独占ダンジョンのある現代生活

せとり

第1話 チュートリアル

 

 目が覚めると変な場所にいた。

 ファンタジックな洞窟だ。

 前後左右はゴツゴツとした岩肌の壁に囲まれている。

 岩から生えた水晶がほのかに光っていて、薄っすらと明るい。


 周囲を見回すが、どこを向いても岩しかない。

 出口らしき場所は見当たらなかった。

 閉じ込められている?


「……夢?」


 あまりにも異様な光景に、夢を疑う。

 しかし五感にもたらされる感覚はこれが現実だと訴えていた。


 どこかかび臭い匂いがする。

 ひんやりとした空気で若干寒い。


 よく見たら自分は貫頭衣のような粗末で変な服を着ていた。

 身に纏うのは薄い布切れ一枚。

 どおりで寒いわけだ。


 頬をつねってみたら痛かった。

 夢じゃない?

 不安でゾッとするような感覚。

 じわーっと嫌な汗が出てくる。


「……鏡? なんでこんな場所に」


 洞窟の中央には、何やらアンティークな感じの全身鏡が置かれていた。

 恐る恐る近づいてみる。

 細かな彫刻で飾られた、古ぼけた木製のフレーム。

 古そうなものだが、しかし鏡面は新品のように綺麗だった。


 鮮明に映し出される自分の姿に、思わず息を飲む。

 それは紛れもない美少女だった。

 透き通るような白い肌。

 長いまつ毛に縁取られた紫の瞳は大きくて、吸い込まれそうだ。

 肩に届くぐらいの長さの銀髪はシルクのような手触りで美しい。

 手足はスラリと細く長くて華奢だ。


「……?」


 はて?

 自分はこんな見た目をしていただろうか。

 どこか違和感がある。

 自分はもっと、別の姿をしていたような気がする。

 そう、もっと男らしかったような?

 だが……。


「……だめだ、思い出せない」


 自分が誰なのか、何の情報も思い出すことができない。

 ここで目覚める前に、何をしていたのかもわからない。

 だが、社会的な常識や知識といったことはわかる。

 自分は地球に生まれた日本人で、2020年代で令和で、最近はデジタル技術が発展して情報化社会で……。

 しかし、自分に関する記憶がすっぽりと抜け落ちていた。


 記憶喪失。

 そんな言葉が脳裏に浮かぶ。


「ん? なんだこれ、紙?」


 ふと、鏡の下に何かが落ちているのを見つけた。

 拾い上げてみると、それは1枚の紙だった。


『この度は、当ゲームにご応募いただき、誠にありがとうございました』

『厳正なる抽選の結果、“セナだよ”様は見事、当ゲームにご当選されたことをお知らせいたします』


「……は?」


 紙に書かれた内容を頭の中で読み上げるが、意味が分からない。

 いや、文章の意味はわかるが、理解が追い付かない。


 ゲームに応募して? 当選した?

 なんだそれ。

 まさかここがゲームの世界だとでも言うつもりか?

 というか「セナだよ」って誰だよ。

 本当にネトゲみたいな名前じゃん。

 そんなゲームに応募した覚えもなければ、セナなんて名前に心当たりも――


「……いや、セナ、か。なんとなくしっくりくる、ような……」


 その響きは不思議としっくりきた。

 まるで元から使っていた名前のように。

 たらーっと冷や汗が流れる。


「……まさか、本当に自分が?」


 よくわからないゲームとやらに応募して、記憶を消して参加している、とか?

 そう思い至った瞬間、背筋がゾワっとした。

 なにそれ、怖い。

 私は一体何をさせられようとしているんだろう。

 得体の知れない恐怖を感じながら、出口のない洞窟の中で途方に暮れる。


 ごごご……、と岩が崩れるような音が聞こえたのはその時だ。


「な、なに?」


 振り返って音の方向を見ると、岩壁が崩れて亀裂ができていた。

 亀裂は人が通れそうな大きさで、その先は洞窟の奥へと続いているようだ。


「進め、ということか」


 何者かの作為を感じるが、しかしいつまでもここに留まっている訳にはいかないだろう。

 意を決して一歩を踏み出す。

 亀裂を乗り越え、足元に注意しながら慎重に進む。


 足元に白い何かが落ちていた。

 小石かと思って蹴っ飛ばす。

 何となくそれが向かう方向を目で追って。

 そして、壁際の暗がりにあった『ソレ』に気づいて、私は飛び上がるように退いた。


「ほ、骨……人骨か……?」


 そこにあったのは白骨化した死体だった。

 骨の山に転がる頭蓋骨の形は、どう見ても人間のもの。

 恐る恐る近づいて確認するが、やはり人間の骨に見える。

 そしてよく見ると、その白骨死体の傍らには、錆びついた剣が転がっていた。


「……」


 なんというか、いかにもって感じだな。

 ゲーム最序盤で拾う武器みたいな。

 そう思うと、この死体もただのオブジェクト、作り物という感じがして、怖くなくなってきた。


 錆びついた剣に手を伸ばし、拾ってみる。

 ずしりとした鉄の重みを感じた。

 1kgないし、2kgぐらいありそうだ。

 でもまあ、振り回すことはできる。


 剣の全長は70cmほどか。

 私の腕と同じぐらいの長さ。

 柄の部分も刀身も錆に覆われてボロボロだが、目立った刃こぼれもなく剣の形としては綺麗だ。

 錆びつく前は、しっかりした造りのショートソードだったのだろうと感じた。


「ゲームで、武器が手に入った。となると次は……」


 モンスターとか、出てきたりして。

 警戒しながら先に進む。

 すると案の定、洞窟の奥から、自分以外の動くモノの気配を感じた。


『グゲゲ!」


 薄暗がりの向こうから現れたのは、醜悪な見た目をした1体の小人だった。

 子供のような体躯に緑色の肌。

 悪魔みたいな醜い顔立ち。

 ファンタジーでおなじみのゴブリンだ。


「……うへぇ」


 思わず変な声が出た。

 リアルで見ると、生理的な嫌悪感が凄まじい。

 気持ち悪い。

 あまり直視したくないビジュアルだ。


『ギャッ!』


 そいつは、こちらに気づくと奇声を上げて襲い掛かってきた。

 爪を振りかざすようにして、私に向かって駆けてくる。


(……剣を持ってる体格が上の相手に、素手で向かってくるとはいい度胸だな)


 あるいは、それを考えるほどの知性は与えられていない、単なるAIなのだろうか。

 どちらにせよ、向かってくるなら対処するだけだ。


 腰を落として半身に構える。

 激しく高鳴る心臓。

 それを落ち着けるように大きく息を吸って吐く。


「ふっ!」

『ギギッ!』


 ゴブリンが近づいてきたところを一歩踏み出して剣で斬りつける。

 しかしゴブリンはひらりと身を翻して回避した。


(……やばいかも)


 恐らく目測を誤った。

 もっと引き付けた方がいいみたいだ。

 そして思ったよりも剣の振りが遅い。

 この体、貧弱過ぎないか?

 ゴブリンの動きも素早い。

 野生の獣という感じの反応をしている。


 自分が思った以上に弱い上に、敵が強い。

 自分より体が小さいはずのゴブリンが強敵に見えてきた。

 呼吸が浅くなり、ぶわっと嫌な汗が噴き出てきた。


『グギャギャ!』

「くっ……!」


 思わず一歩下がった私とは対照的に、ゴブリンはさらに突っ込んでくる。

 迎撃のために剣を振るうが、当たらない。

 ゴブリンは身を低くして剣を掻い潜り、私の脇を駆け抜けていく。

 すれ違いざまに引っ掻かれて、太ももの辺りが裂けた。

 痛い。

 痛みを感じる。

 血が出ている。

 じんじんと痛い。


『ガァアッ!』

「っ……! 離れろっ!」


 さらに追撃してくるゴブリン。

 近寄らせまいと剣を振るが、マジで剣が当たらない。

 攻撃を掻い潜ったゴブリンは、私に向かって肉薄してくる。

 大きく跳躍して私の体に飛び掛かってきた。


 ゴブリンの体にそこまで重量はなく、倒れるのはなんとか堪えたものの、そのまま組みつかれてめちゃくちゃに暴れられる。

 こちらも死ぬ気で抵抗してどうにか振りほどくことができたものの、無数のひっかき傷を負ってしまった。

 あちこちが痛む。

 特に顔をガードしていた手が痛い。


 痛い。

 痛いが、逆に冷静になってきた。

 というか、頭に血が上って怒りが湧いてきた。

 いろんなものが許せない。


 こんなゴブリンごときに苦戦するだと?

 私は一体何をやっている?

 私はゴブリン以下の人間だと?

 そんなわけがない。


「ふぅー……」


 落ち着け。

 私なら勝てる。

 非力な女の細腕とか関係ない。

 射程と体重では勝ってるんだ。

 基礎スペックで勝っているのは私の方。


 その証拠に、これだけ傷を受けても私はピンピンしている。

 ……痛いけど。

 まだまだ戦闘不能には程遠い。

 奴の攻撃なんて大したことはない。

 私の方が強いんだ。

 多少の手傷なんか怖がるな。


 悔しいが、ゴブリンを見習った方がいい。

 私よりも小さな体なのに、微塵も恐怖を見せずに素手で襲い掛かってくるこいつの姿を。

 そうだ、怖気づくな。

 躊躇するな。

 恐れずに戦え。


 そうすれば、最後に立っているのは、きっと私の方だ。


「あああああ!!」


 吠える。

 腹の底からを声を出す。

 全身の力を込めて、思い切り剣を握って振りかぶる。

 さっきまではスマートに戦おうとしすぎた。

 血と痛みが伴おうと、泥臭くても構わない。

 勝利への執念でねじ伏せてやる。


 ゴブリンとの距離を詰める。

 今度は絶対に命中させる。

 拳をぶつけるような勢いで剣を振り下ろす。


『ギャッ!?』


 ゴブリンも案山子ではない。

 私の動きに対応して、すぐさま回避行動をとる。

 だが、深く踏み込んだ私の攻撃を躱しきることはできなかった。


(当たった!)


 肩口から袈裟懸けに入った一撃は、ゴブリンの体を浅く切り裂いた。

 痛々しい傷が刻まれて鮮血が舞うが、しかし致命傷ではない。

 ゴブリンは怯まずに反撃してきた。

 喉元を食い破ろうと、私の体に飛びついて鋭い牙で噛みつこうとしてくる。


『グギャア!』

「ぐっ……!」


 咄嗟に左腕で庇う。

 ゴブリンの顎は、差し出された私の腕に食らいついた。

 そして肉を食いちぎろうと激しく首を振る。

 腕が千切れるかと思うほどの激痛に襲われる。

 私は歯を食いしばり、涙が滲みながらも苦痛に耐えた。


「――死ね!」

『ギャッ……!』


 無防備になったゴブリンの体に、逆手に持ち替えた右手の剣を突き刺す。

 刺す。

 刺す。

 刺す。

 とにかく剣を刺しまくる。


「痛いんだよクソが! よくもやってくれたな! 100倍にして返してやる!」


 ゴブリンの体勢が崩れたところを押し倒し、馬乗りになってさらに剣を突き立てる。

 こっちの方が体重が乗って刺しやすい。

 ゴブリンは必死に暴れて逃れようとするが、私はそれを許さない。

 やがて、ゴブリンの抵抗は弱まり、動かなくなった。


「はぁ、はぁ……」


 それでもまだ死んだふりを警戒して、ゴブリンの体に突き刺した剣をグリグリしていた。

 だが、反応がない。

 どうやら本当に死んだようだ。


「え、死体が消えていく……」


 ようやく安心していると、動かなくなったゴブリンの体が光の粒子となって消えていく。

 血だまりになっていた床の染みも、私にかかっていた返り血も同様に、キラキラと光って跡形もなく消失する。

 死体があった場所には、銀色に光るコインだけが残されていた。


「なにこれ、銀貨?」


 拾い上げて眺める。

 銀色に輝くコインだ。

 大きさは500円玉よりも1回りも2回りも大きい

 表と裏には、現代の硬貨と比べて見劣りしない細かさで、交差した剣と、竜の意匠が施されている。


「死体が消えてアイテムを落とすなんて、本当にゲームみたいだな」


 何はともあれ、ゴブリンは倒した。

 この銀貨は戦利品。

 薄汚いゴブリンを銀貨に変えてやった。

 そう考えるといい気分だ。

 銀貨をポケットにしまう。


「でも、ちょっとダメージを受け過ぎたか。いてて……」


 興奮状態が収まって脳内麻薬が切れたのか、麻痺していた痛みが戻ってくる。

 体中が痛い。

 どこもかしこもひっかき傷だらけだ。


 特にやばいのは左腕。

 結局食いちぎられたのか、肉が抉れて血が流れだし、酷い有様になっている。

 というか、指が上手く曲がらない。

 もしかして手の健が切れたのか。


「はは、やばいな」


 もはや乾いた笑いしか出てこない。

 いきなり洞窟にいて記憶喪失だわ、凶暴なゴブリンと戦わされるわ。

 もう何がどうなってるんだか。

 わけがわからないよ。


「……とにかく進むか」


 またゴブリンと遭遇したら、さらに左腕を犠牲にして同じパターンに持ち込んで何とかしよう。

 ゴブリン以上の敵と遭遇したら……。


「ま、その時はその時だな」


 とにかく今は前に進もう。

 諦めるなんてごめんだ。

 私は洞窟の奥に向かって歩き出した。


 しばらく進むと、宝箱を見つけた。

 洞窟の壁際に置かれていた、アンティーク調の木箱。

 それはいかにも“宝箱”といった見た目をしていた。


「罠は……いいか、警戒しなくて。えいっ」


 疲労で考えるのが面倒くさい。

 思い切って宝箱の蓋を開ける。

 鍵はかかっていなかった。

 罠の類もないようだ。


「これは……包帯と、錠剤の入った小瓶と、平たい瓶?」


 中にはその三つが入っていた。


「あ、説明書も入ってる」


 宝箱には一枚の紙きれも入っていて、それぞれのアイテムの名前と、簡単な説明が書かれていた。


 『包帯』

 この包帯を巻くと、怪我を治せる。


 『軟膏』

 この軟膏を塗ると、怪我を治せる。


 『鎮痛剤』

 この錠剤を飲むと、痛みを和らげる。副作用として、気分が高揚する。


「なるほど、回復薬か」


 回復アイテム。

 それはちょうど私が欲しかったものだ。

 都合のいいこともあるものだ。

 あるいは、これはチュートリアルのようなものなのか。

 剣を拾って、ゴブリンと戦って、怪我を治療する。

 そう箇条書きすると、ゲームのチュートリアルっぽくはある。


 とりあえず使ってみるか。

 まずはこの痛みをどうにかしたい。

 小さな薬瓶に入った白い錠剤を1つ取り出して、ごくりとのみ込む。


「え、すごい、もう効いてきた」


 効果はすぐに現れた。

 全身の傷から痛みが引いていく。

 あれほど痛かった左腕の傷も、ほとんど気にならないぐらいにまで痛みが薄れた。

 とんでもない即効性だ。

 副作用で気分が高揚するとかあるし、やばい薬だろこれ。

 依存性とかないだろうな。


「まあ、細かいことはいっか。便利だしヨシ!」


 なんか楽しくなってきた。

 深く考えずにポジティブにいこう。

 即効性のある痛み止め、便利! 素敵!

 それでいいじゃないか。


 傷の手当をしていく。

 ひっかき傷は軟膏だけで対処して、傷が深い左腕には、軟膏を塗った上で包帯を巻いてみる。

 見る見るうちに回復していく……なんてことはなかったが、それでも血は完全に止まった。

 痛みも殆ど無く、だいぶ楽になった。

 まだ左手はうまく動かないが、まあ、そのうち治るだろ。

 ……頼むから治ってくれよ。

 期待してるぞ、軟膏と包帯よ。


「さーて、次は何があるのかな」


 空の宝箱を後にして、私は不敵な笑みを浮かべながら先に進む。

 足どりが軽い。

 なんだか今なら複数のゴブリンに囲まれたって勝てる気がする。


 ほどなくして、行き止まりに突き当たった。

 どこにも進む道がない。


 ただ、洞窟の奥には何やら怪しげな光る門が存在していた。

 アーチの扉枠から、眩い白い光が溢れ出している。

 光によって、中の様子を窺うことはできない。


「出口だといいんだけど」


 そこ以外に進む場所はなさそうだ。

 私は光る門の前まで歩いていく。


「どこに通じているのやら」


 少し不安ではあるが、楽しさもある。

 もしかしたら現実に戻れるかもしれない。

 これで終わりかもしれない。

 淡い期待を抱きつつ、輝く光の門を潜った。





―――――

【あとがき】


近況ノートにキャライメージの挿絵を載せてます。

AIイラストです。


https://kakuyomu.jp/users/setori217/news/16817330664207234291

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