120 これは喧嘩じゃない

僕ができうるかぎりの手当てをしている間、自分もしんどいはずであるレイスは必死になって治癒魔法を使っていた。


「小さい傷は手当するから大きいのを治せ。敵地の真ん中で魔力切れなんて洒落にならん」


「あぁ、わかってる」


 そう言うくせして遠慮なく魔法を使っているが……。まあ、何もいうまい。


 僕は一人っ子だから、レイスがどんな思いをしているのか、何てわからない。


 ここに僕しかいなかったら、魔力の温存のために大きな傷だけ治して担いで帰ろうとするだろうな。


 冷たいといわれるかもしれないが、怪我を治した結果、脱出に失敗するなんて本末転倒もいいところだ。


 まあ、今回は元々レイス親子が動けない状態も想定していたし、レイスに戦力として期待していなかったから大丈夫なんだが。


 ロンテ先輩は、仮にも罠にはめるような形になった腹違いの兄が必死になって自分を治療していることを知ったらどうするんだろうか。


 これで、僕たちに何かするようなら動けないようにして、置いていく他ないだろう。


 レイスは置いていくことに思いきり反対しそうだがな。


 手当が終わって、レイスが施している治癒魔法も終わることになるとロンテ先輩の呼吸は正常なものに変わり、痛みに歪めていた表情は多少は安らかなものになっていた。


 それに気がついているのか、弟の怪我が完治とは言わずとも怪我が治ったのが嬉しいのか。ホッと息をついた。


 怪我がある程度治った今、たたき起こすかと言ってみれば即却下された。


「鬼かお前は……」


「しかたがないだろう。ここは敵地のど真ん中。一体いつ遭遇して戦闘になるかもわからないんだぞ」


 そういえばしぶしぶながらも、受け入れられた。


 自分がある程度の時間がたつまで、僕が拷問部屋の探索をすることになった。


 まあ、といっても物騒な痕跡しかなかったから探索しない方が良かったと後悔したんだけど。


 そろそろ僕がしびれを切らせそうになったとき、ロンテ先輩が小さく唸り声を上げて、うっすらと目を開いた。


「あ?なんで……!こほッ!こほッ!」


 レイスが視界に入っただろうロンテ先輩は慌てて起き上がり、レイスにたいして怒声を放とうとしたが咳き込んでしまい、言葉にはならなかった。


 あいにくと、レイスも僕も、飲み物の類いは所持していなかった。


 心配そうなレイスがロンテ先輩の背中を撫るが、すぐに手を振り払われてしまう。


 咳が落ち着いたロンテ先輩がふらつきながらも立ち上がり、僕たちに怒声を浴びせた。


「一体なに考えてんだ!」


「何って、弟の心配してるだけだけど?」


「お前、俺が原因で捕まってここに連れてこられてるのに、よくそんなこと言えるな!罵倒のひとつでもねえのか!?」


「ロンテが罠を張っていたとしても、こんなボロボロなのに心配より先に罵倒が出てくる兄貴はいねえよ!」


「兄貴面すんな!出ていったくせに!」


「命には変えられないだろ!」


「あぁ!?んだよそれ!!」


 僕が口を挟む間も無く兄弟喧嘩らしきものが始まってしまった。


 内容は中々に不穏だ。


 音が外に響かないのは知っているが、そのあまりのロンテ先輩の大声に思わず心配になり出入り口の方向を確認してしまう。


 そうだ。そう簡単に音が外に漏れるわけないんだった。


 ロンテ先輩の背中の傷跡からして鞭で打たれていたんだろう。だから喉を痛めたのか、咳をした。

 

 実際、僕が扉の魔法を解除しようとしていたときに、そう言う音は聞こえてこなかった。


 僕が集中していたというのはあるんだろうけど、この地下に入ったときから上階の音は聞こえてこなかったし確実に音は遮断されている。


 ……それを考えると、噂に“屋敷は夜になると鞭を打つ音と悲鳴が聞こえてくる”という話が出ているのは些か不思議だが、告発のときに似通った発言から派生でもしたんだろう。


 にしても、この不穏な言葉が飛び交う兄弟喧嘩はいつまで続くんだろうか。


「というか、母ちゃんどこだよ!」


「知らねえよ!」


 む、アーネチカさんの場所知らないのか。


 なら、ロンテ先輩の呼び出しは罠?


「はぁ!?嘘かよ!?昔に言っただろ!“嘘つきは泥棒の始まりだ”って!」


「うるせえ!一体いつの話してやがるんだ!そもそも、俺はこんなことになる何て想定していなかった!」


 “想定していなかった”……?


 なるほど、ローシュテールと手を組むことをせず、何かしらの理由でタイマンを申し込んだと……。


「あっさりと!兄様が俺に勝つって思ってた。いつも、父様も母様も“ローレスはお前よりも優秀だ”って、“ローレスを越えろ”って、だから一対一を申し込んだところで、すぐに俺がやられて終わるって……」


「……」


「だけど、決着がつくまで時間がかかった。兄様が勝って、アーネチカさんを連れていってくれたら、俺は適当なタイミングで魔法学校に戻って、生きてたよって出てきて、元々はそうなる筋書きだった……」


「ロンテ……」


「あっさり負けると思ってたのに時間がかかって、でも俺が負けたのは予想してた通りで……。しかも、情報がまったくわたっていないはずなのに父様がやってきて……。どうしたら良いかわからなかったけど、咄嗟に部下たちに指示を出して、俺が気を引くことしかできなかった」


 ロンテ先輩の言葉をまとめるよう。


 二人をブレイブ家から引き剥がせば、ブレイブ夫婦が自分のことを見てくれると、今までレイス親子に向いていた感心は自分の方向に向くと思っての行動らしい。


 ローシュテールにアーネチカさんの居場所がバレた原因はわからない。


 アーネチカさんの居場所を知っている素振りも見せなかったらしい。


 レイスに勝とうとも思ったが、今までの両親からの言葉により自分は到底勝てないのではないかと考え、自分の負け前提で考えた。


 ローシュテールが来ると想定していなかった。


 それとは別に、野党などに襲われる可能性は考えていたらしく、ローシュテールが来た瞬間に、対野党用の作戦を決行した。


 対野党ならば逃げることに集中されさえすれば、捕まることはない。


 だが、指定した場所から離れる気はなく、ロンテ先輩と他数名が片付ける予定だった。


 逃げたのはアーネチカさんの安全を考慮しての行動だ。


 それ以外に逃げることは想定していなかったし、そもそもの話、逃げるきなんて更々なかった。


 それにロンテ先輩はアーネチカさんが捕まらなければ大丈夫だと考えていた。


 レイスに何かあれば、僕たちが動き出すだろうと思ってのことだそうだ。


 そして、隙を見てレイスに手紙を送り付け一対一を行い。負けて、計画通りに外に行ってもらう。


「まあ、全部破綻したっぽいけど……」


 ロンテ先輩はバツが悪そうに、レイスから目をそらして、さらに言葉を続ける。


「何でか知らないけど、父様はアーネチカさんの居場所を知って、あの場所に来た。俺のやろうとしたことも知ってるかもしれないし、“俺よりもアイツの方が信用できる”って言ってたし……。なにかすごい協力者がいるんだろうね」


 今後、自分がどうなるかはわからないが、何となく想像はつくと言った。


 ろくでもない未来が見えているんだろう。ロンテ先輩の目に希望何てものはなく、光を一切写していなかった。


「母様は俺にしたことを喜ぶかもしれないけど、父様は確実に怒髪天だったからね」


 ロンテ先輩は全部を諦めたらしい。


 計画がバレなければ、どうにでもなったかもしれない。だが、もう既にバレてしまった今、母親はまだしも父親、ローシュテールの感心は悪い意味でロンテ先輩に向くことだろう。


 そうなったら、噂通りの狂人なのだとしたら、ロンテ先輩がこうも茫然自失といってもおかしくない状態になるのもうなずける。


 向くのは殺意?失望?軽蔑?


 どれかはわからなが、どれか一つでも自分に向けられてしまえば、ロンテ先輩はダメになるだろう。


「はぁ……。なんでこうなったんだろ。最初から手なんて出さなきゃよかったかな」


 そう言って、ため息を吐く。


 重たい沈黙の末、ロンテ先輩は驚きの言葉を告げた。


「兄様は俺を置いていきたくないんだろうな。だから待ってたし、傷も治した。だけど、置いていけ」


「は?」


 レイスらしくない低い声。


 それは静かな地下室のなかで小さくも反響し、ゾワリと背筋に冷たいものが走る。


 普段怒らない人間が、怒ると怖い。これは事実らしい。


「置いていけ?」


「あぁ」


「この状態を見ていてか?」


「そう」


「ふざけてるのか?」


「真剣だ」


 レイスの言葉に、ロンテ先輩は短く返事を返す。


 僕は口が挟めなかった。挟まない方がいいと思った。


 家族間の問題は、僕にはどうにもできないことだからだ。


 二人は僕のことなど、とうの昔に忘れてしまったらしい。


 兄弟喧嘩とも言えない、重苦しい会話は僕を置いて続いていく。

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