訓練、認められていくまで

 強くなると決めた当日から、俺は早速テレサの猛特訓を受けていた。

 ゴールディング家に雇われた兵士が鍛錬たんれんを積む広い庭の真ん中で、屈強な男達に見られながら、強くなるための試練が始まったってわけだ。


「……は、はひ……かへ……」


 ――汗だくで突っ伏したまま動けなくなるほどの、過酷な試練が。

 あの後、髪をさっぱりと切ってしまった俺は、勢い任せに「強くなるためなら何だってやる」と宣言してしまった。

 すると、テレサは眉ひとつ動かさず、はっきりと言った。


『それではネイト様、庭でのランニング100周から始めましょう』


 最初は聞き間違いかと思ったけど、勘違いでも間違いでもなかった。

 もう一度聞き直すよりも先に、テレサは俺を無理矢理走らせた。

 どうやらネイトって人間は運動があまり得意じゃないようで、庭という名のグラウンドを5周するだけでも息が切れて、今にもゲロを吐いてしまいそうだった。


「どうなさいましたか、ネイト様。まだ5周しか走っていませんが」


 足を止めた俺の背中を、余裕綽々のテレサが押すのは最悪だ。


「む……無理、も、も、もうちょっと……段階、踏んで……」

「なるほど、走るのは苦手と。では、まず腕立て腹筋背筋スクワットを200回ずつ、各10セット行いましょう。もちろん、それがお嫌なら走っても……」

「は、走る……走るっての……!」


 こんな調子で、すっかり鬼教官になったテレサのしごきに、俺は従う他なかった。

 とはいえ、当然100周もできるはずがなく、結局ゲロを3度ほど吐いて中止になった。


「初めてにしては上出来です、ネイト様。このテレサ、大変うれしく思います」

「ごぇ、おえぇ……」

「基礎の体力がつけば、格闘戦の訓練ができます。ここが踏ん張りどころですよ」

「おぼろろろ……」

「それにしても、まだ吐き続けるのですね。よしよし、背中をさすってさしあげましょう」


 テレサが慰めてくれる声を聞きながら、早くも俺は自分の発言に後悔し始めてた。

 けど、もう強くなる道から逃れられるわけがなかった。


「――まずは魔法発動の基礎からだ。私はテレサのように甘くはないぞ」


 メイドの地獄のしごきが終わった後は、実兄の地獄の猛勉強が待ってるからだ。

 転生する前も後もさほど頭がよくない俺にとっては、椅子に座ってドミニクと向かい合う時間は、ある意味体力づくりよりも過酷だ。


「お前の魔法についてはさっき聞いた。魔法を融合させるのは非常に特異な能力ではあるが、魔力流動と発動点の固定、放出時のエネルギー調整など基本的な面は通常の魔法と変わらないだろう。つまり、第5次元変動魔法力学の基礎さえ学んでいれば……」

「え、ちょ、もう一度……」

「いいだろう、もう一度だ。完全に理解するまでこの部屋から出さんから、そのつもりでな」


 案の定、俺は部屋に入ったきり、何時間も出てこられなかった。

 ノートを見返してみても、自分で聞いた内容がちっとも理解できていなかった。

 こんな無様な俺の様子を、使用人や護衛の兵士達が影で笑ってたのを知ってる。きっと、ネイトは笑われるだけの嫌がらせや迷惑なことを、彼らにしてきたんだろうな。


「ネイト様、周りの声はお気になさらぬよう」

「これまで努力しなかった人間が嘲笑ちょうしょうされるのは当然だ。気にしている暇があるなら、気にならなくなるくらい、昨日より厳しい授業にしてやろう」


 それでもテレサとドミニクは、俺に地獄の訓練を課し続けてくれた。


「……ありがとう、テレサ、ドム!」


 俺もまた、次の日も逃げずに、ふたりに訓練を受けさせてくれと頼み込んだ。

 自分で言った手前ってのもあるけど、もしも俺がなまけた末にヒロイン達を助けられなかったらって思うと、とてもやめるつもりにはなれない。

 彼女達のバッドエンドの惨い死にざまが、今になって網膜もうまくに浮かび上がる。


 爆散、公開処刑、魔物の慰み者。

 口にするのもはばかられる残酷な末路。


 そんな目に遭わせたくない――遭わせてたまるか!

 正義の味方気取ってるなんて笑われるかもしれないけど、独りよがりかもしれないけど!だとしても俺は、物語をハッピーエンドにするって決めたんだ!


「こんなところで、へこたれて、たまるかああああっ!」

「その意気でございます、ネイト様」


 ヤケクソ気味に叫びながら、俺は汗だくでテレサについて庭を走った。




 あっという間に1か月が経った。


「まだまだここからですよ、次は片手腕立て伏せ100回です」


 テレサの地獄の筋トレに少しだけ体が順応してきた。


「基礎は理解できたようだな。明日からは魔法応用発動学の授業だ」


 ドミニクが出す抜き打ちテストをどうにかパスできるようになった。


「ネイト様、急に強くなりたいなんて言い出して、どうしたんだろうね」

「きっとご両親に見放されたくなくて、今更頑張ってるのよ。無駄な努力よね、ドミニク様にはどこをとっても敵わないのに」

「あんなクソガキ、部屋でゴロゴロしてくれてた方がまだマシさ」


 周りの声はまだ冷たいままで、まるで期待なんかされてないのが俺にも分かった。




 たちまち2か月が経った。


「ネイト様、今日はテレサと組手です。一本取るまで食事は抜きでございます」


 筋トレから格闘戦の訓練に移り、毎日俺の体に青痣ができた。


「集中だ、集中しろ。魔法の発動と出力の制御はすべて魔力を放つときの集中力にある。手のひらの風を1時間持続できるまで、これ以外のことはしないぞ」


 椅子に腰かけ、ドミニクの目の前で滝のような汗をかきながら、小さな台風をかき消さないように精神をひたすら集中させた。


「音を上げるかと思ったけど、ネイト様も案外やるもんだなあ」

「礼儀正しくなったし、最近雰囲気も明るくてさ。あれなら、気さくに話せるぜ」

「筋肉だってついてきたわよ。この前、着替えてるところに鉢合わせちゃったんだけど、見事な細マッチョになってたわ!」


 メイドや兵士達が時折俺を見て、小さく頷くようになった。




 光のような速さで3か月が経った。


「今日からは棒や木剣の武器を用います。不肖テレサ、参ります」


 俺の力を認めてくれたテレサが、とうとう武器を使った訓練を始めてくれた。


「融合魔法はお前にしかない力だ! 確実に活かすんだ! 魔力総量が少ないなら、炎・水・風・雷・土とすべての融合パターンと戦い方を覚えろ、お前にならできる!」


 融合魔法が上達するにつれ、ドミニクの教育にも熱がこもった。


「ネイト様、がんばれーっ!」

「テレサ嬢ちゃんに負けんじゃねえぞ!」

「お食事を持ってまいりました、これを食べて午後の勉強も頑張りましょう!」


 気づけば誰もが、ネイトという人間を応援してくれていた。




 そして――4か月目。


「おはよう、テレサ。朝の訓練を始めるか」


 いつものように庭で声をかけると、テレサが振り向く。


「おはようございます、ネイト様。すっかりたくましくなられましたね」

「ん、そうか?」

「はい。肌は健康的、細身ながら筋肉質、目にも活気がございます。テレサがもしも町娘でしたら、きっとネイト様に一目惚れしてしまうでしょう」

「よせよ、恥ずかしいっての。ほら、早く訓練をしようぜ」


 ぱき、ぽき、と俺は腕と肩を鳴らす。

 4か月の訓練を経た俺は、俺が予想していた以上にずっと成長したみたいだった。

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