第6話 家族の決意

 日下部警部は再び遺体安置所の中へと入ると棺の横で立ちすくむ守に声を掛けてから遺体安置所の外へと守だけを連れ出す。


「何かありましたか?」

「ええ、実は池内さんにお会いしたいと言う方が来てまして」

「どうせマスコミか何かでしょ。すみませんが、お断りして下さい」

「あ、待ってください」


 守はこんな時に会いたいと言ってくるのは直樹のことを話せというマスコミだろうと日下部警部に断り遺体安置所の中へ戻ろうとしたところで、日下部警部に引き留められる。


「なんですか! 何もこんな時に来なくてもいいでしょ!」

「いえ、私もマスコミ関係者だとばかり思ったのですが、実はそうでもないようなんです」

「え? どういうことですか?」

「この名刺の方に覚えはありますか?」

「……」


 守は日下部警部から一枚の名刺を手に取ると、その名刺に書かれている人物の名に驚いてしまう。


「……あの、本当にこの方が私達に用があると言ってるんですか?」

「私にもよく分かりませんが、ここに来られている方は代理の弁護士だと聞いています。なので、一度お話を聞くだけ聞いてみてはどうですか?」

「……分かりました。マスコミ関係でないならば、直樹がこれ以上傷付けられることもないでしょうから」

「そうですね。では、案内しますので」

「はい、お願いします」


 守が日下部警部の後ろを着いて行き遺体安置所がある地下から一階のロビーへと上がると、受付の前のソファーに一人だけ、この場に雰囲気にそぐわない見るからに高級そうなスーツを着た男性が座っていた。その襟には弁護士を示す向日葵のバッジが見える。


 日下部警部はその男性の前に立つと、その男性もソファから立ち上がり守に対し深々と頭を下げる。日下部警部はその男性を連れ、奧の会議室へと案内すると守と男性の二人だけにする。


「この度はお悔やみ申し上げます。また、不躾ながら、ここまで押し掛けて来たにも関わらずお会いして頂きありがとうございます」

「はぁ……」


 日下部警部から会いたいと言ってきた弁護士の前まで連れて来られた守だったが、目の前の弁護士の身形から圧倒的なオーラを受け怯んでしまう。


 橋口はしぐちと名乗った弁護士は、一七五センチメートルある守よりも背が高く、その体は細く引き締まっており、頭髪は長すぎずサラサラとして顔は整った顔立ちをしている。橋口が日下部警部にお礼を言った後、守にソファに座るようにお願いしてから、ここに来た経緯を話し出す。


「先ずはこんな状況に対しなんの連絡もせずに押しかけて来た非礼をお詫びします」

「あ、いえ。お気になさらずに。それよりも直樹にご用がおありだとお伺いしたのですが、一体どういうことなのでしょうか」

「はい。私の雇用主である方が、路上で困っていた時に助けて頂いたのが池内直樹様だと聞いております」

「え? そんなことがあったんですか?」

「はい。その方が言うには、名を告げずに行かれてしまった為にどうやって探そうかと考えていたようですが、今日の報道番組で助けてくれた中学生が映されていたと言うので……」

「そうでしたか……」


 守は橋口から直樹が路上で困っている人を助けたという話を聞き、自分の教えを直樹が忘れていなかったことを嬉しく思い、知らず知らずの内に涙が零れてくる。


 橋口もそれに気付いたのか、話を進めることもなく守が落ち着くのを黙って見ていた。


「すみません。直樹が私の教えを守ってくれていたのが嬉しくて……」

「ええ、分かります。路上で困っている人がいても見て見ぬ振りをする人が多いのですから。それも中学生のお子様が声を掛けるだけでも勇気がいったことだと思います」

「はい……ありがとうございます。その話が聞けただけでも十分です。ありがとうございました」

「あ、お話はそれだけじゃありません。お待ちください」

「え?」


 守が橋口にお礼を言ってソファから立ち上がろうとしたところで話はまだ終わっていないと待つ様に言われる。


 守がソファに座り直したところで橋口は話を進める。


「そのお方はテレビの報道で直樹君の訃報を知りました。それと同時にあの時、出来なかったお礼をしたいと申しております」

「はい。そのお気持ちだけで十分です。ありがとうございます」

「ですから、それでは私が叱られてしまいます」

「え?」


 守はお礼を言って再びソファから腰を浮かそうとしていたところで、再び橋口から止められる。


「ですから、直樹君のご家族であるあなた方の力になるようにと言われております」

「ですが、力になると言われましても……」

「本当に手助けは不要ですか?」

「どういうことでしょうか?」

「警察署の前はご覧になりましたか?」

「いえ、パトカーに乗せられ直接地下の駐車場へと案内されたので」

「では、こちらの署に詰めかけているマスコミの方は見ていないのですね」

「え? もう来ているのですか?」

「はい。あなた方池内家の姿をカメラに納めようと手ぐすね引いて待っている状態でしょう。多分、ご自宅の前にも数社は貼り付いているのでしょうね」

「……」


 守は絶句すると同時に今まで見てきた報道番組の内容を思い出す。加害者、加害者家族だけでなく被害者の家族にも押しかけマイクを押し付けてくるマスコミ達の姿を。


 それを思い出した時、「どうすれば」と守の口からポロッと零れる。


「その助けをするように仰せつかって参りました。どうか、ご安心ください」

「せめて妻に相談しても……」

「構いません。ですが、まだ幼いお子さんのことを第一にお考えください。私の雇い主もあなた方ご家族が少しでも不幸になることは望んでおりません」

「分かりました」

「では、こちらの番号にお願いします。私はこちらでお待ちしておりますので」

「分かりました」


 守はまるで狐につままされた様な不思議な感覚になりながらも直樹が待つ遺体安置所へと戻ると、美千代が棺から顔を上げていた。


「いつまでも鳴いていたら直樹に悪いから……頑張った直樹に悪いから……うっううう……」

「「「……」」」


 そこまで言うと美千代は守の胸に顔を押し付け、また泣きだしてしまった。


「お父さん、兄ちゃんはどうして死んじゃったの?」

「私……いい子にしてたよ? お兄ちゃんを困らせるようなことはしてないよ? ねえ、なんでお兄ちゃんは死んじゃったの? ねえ、なんで……なんで……う、うぅぅうぇぇ~ん」

「……」


 史織も直樹が死んだことをやっと受け入れたのか、守に対しなんで直樹が死んだのかと聞いて来たが、守に答えられる訳がなく泣きだした史織をそっと抱きしめるしかなかった。


「陽太、お前は泣かないのか?」

「泣かない! 俺はお兄ちゃんだから、だから……だから、泣かない! 絶対に泣かない!」

「お前……」


 守は『泣かない』と言って、その場で足を踏ん張っている陽太を見て直樹の代わりに史織を守ろうとしているんだなと気付く。そしてさっきまで『僕』と言っていたのがいつの間にか『俺』と言っていたことにも。


 守はそんな家族達を見て『自分がしっかりしなければ』と名刺を手にしてから橋口弁護士へ電話し「お世話になります」と一言だけ告げるのだった。

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