内なるもの

藤宮一輝

「小説を、書いてみようと思うんだ。」彼は突然言った。


「ほう、それはまたどうして。」


「どうして、と聞かれると俺も困るんだけども。」


そう言って、彼はしばらく考え込んだ。「例えばだが、お前はトランペットが吹けるか?」


「吹いたことはおろか、触ったこともないな。」


「そうだろうと思ったよ。……さて、質問を変えよう。」彼はやっとこちらを見た。

「お前は文章が書けるか?」


「そりゃ、書けるさ。」


「そう、つまりはそういうことだ。」彼はしてやったりといった顔をした。


「今の問答がなんでお前が小説を書く理由になる?」


「俺は常々何かを表現したいと思っていた。自分の内にある何かを。」


「へぇ。」


「だが、何を表現しようにも技術が要る。音楽なら楽器の、美術なら描画の、という具合に。」


彼はなおも言葉を続けた。


「だが新しい技術を習得するのは難しい。なんせ時間がないからな、平日は社会の歯車だし、休日は休みたい。」


「その怠慢な態度に目をつぶれば、言わんとしていることはわからなくもない。」


「そこで俺は思いついた。ならばすでに持っている技術を有効活用すれば良いってね。それが文章を書く技術で、表現されるのは小説ってわけ。どうかな。」彼は得意げな顔をした。


「どうと言われても……。」彼は重大な問題を見落としているようだった。


「小説なんてそんな簡単に書けるものなのかね。お前が持っている程度の技術で。」


「さあ。そんなことをこれから書く俺に聞かれても。」なぜか彼は開き直った。


「そうかい。じゃあそれは小説を書いた後に教えてくれ。」


「ああ、楽しみにしているといい。なんせお前が読者第一号だからな。」


そう言って、彼は笑った。

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