第7話 唯一の安寧



 訓練が終わると、メイドのモミジが俺の面倒を見てくれた。


 救急キットを手に担いで、訓練で地面に倒れ伏した俺のそばまで寄る。

 そして、俺の怪我を癒してくれた。


「テオ様、失礼します」


 モミジは俺が転生した初日のときと比べて、体調がとても良くなったように思う。

 目の下にできていた酷い隈も綺麗さっぱりなくなり、血行も見違えるほどよくなった。


 元々美人だった彼女の表情は柔らかいものとなり、少しずつ俺への警戒心を解いてくれていた。


 この日、俺は日課である地獄の訓練を終えたあと、モミジを部屋に呼んでいた。


「モミジ、横に座ってくれ」

「はい」


 彼女は怯えた様子は見せないが、心を覗いてみるとまだ僅かに俺へ恐怖していることが分かった。

 ベッドに座る彼女は綺麗だが、その心には闇がある。


「これ、治癒用のポーション。あと、エリクサーと辞職用の書類だ」


 俺はそれらを渡すために今夜、彼女を呼んだのだ。


「え、こ、これは‥‥‥ ?」

「ポーションは体にできたあざを消すためだ。すぐ飲め」


 おずおずと受け取った彼女はポーションを口にした。するとみるみる彼女の体にできていたあざや火傷跡などが消えていった。


「あ、ありがとうございます。ですが、この二つは?」


 彼女は受け取ったエリクサーと書類に目を落とした。


「エリクサーはお前の家族用だ。少し調べさせてもらったが、辺境に住むお前の母親は重い病気を患っているんだろう?それを送ってやれ」


 彼女は息を呑んだ。

 何故、それを俺が知っているのか疑問に思ったのだろう。

 そして、何故俺がその彼女の母親のために最上級ポーションであるエリクサーを送らせるのか。


 彼女は疑心暗鬼の状態だ。

 まだ完全には俺を信用していない。


 ならばと俺はもう一つ手を打ってある。それが辞職用の書類だ。


「その書類はモミジが、ここで働くことを辞めるためのものだ。心配するな。退職金は今までの慰謝料も込めて、お前の希望の額を渡すつもりだ」

「え?‥‥‥え?」


 彼女は何が何だかわからないという感じだった。

 突然の事態に驚きつつも、目の前の書類を見つめている。


「ここを辞めたければ今すぐ辞めていい。そして、今までお前を傷つけて悪かった。もうお前を傷つけることはしない」


 けじめ。

 殴られるという行為はただの建前。

 一瞬で片付けられるほどの問題ではない。


 彼女の人生を棒に振ってしまわないよう、配慮することも主人の使命なのだ。


 彼女にとっての最善とは何か、それを考えたらここを辞めること。

 俺が導き出した答えはそれだった。


 俺は深く深く頭を下げる。


 だが、彼女は何も言わなかった。そして、その書類を破り始めていた。


「お、おい、何をするんだ!」

「‥‥‥ 私は、私はテオ様のメイドです」

「────」


 彼女の心は熱く燃えていた。


「何度もここを辞めたいと思うことがありました。あなたを殺したいと思うことも何度もありました‥‥‥」

「‥‥‥‥‥‥」

「ですが、ここ数日間のテオ様を見て気づいたんです。私はただのメイド、あなたを支えるためにここに来たのに、自立していくテオ様を見て私はいらないんじゃないかって」


 彼女なりの葛藤が言葉に表れる。


「でも、あなたはまだ人生が始まったばかりのか弱い男の子だと、私は気づきました。私はあなたを支えなければなりません。本当はこんなにも優しく、私の母のことを思ってくれるほど優しいあなたに私は何も返せていません」

「そんなことは‥‥‥」

「いえ、返せていないのです」


 彼女の口にする言葉は嘘偽りのない本当の気持ち。

 俺が転生することで起きた変化が彼女の心にも影響していた。


「だから私に、これまでのことを責める権利はありません。逆に私がテオ様に恩を返さなければならないのです」

「────モミジはどうしたいんだ?」


 俺は彼女に本心を聞いた。


「ここに残ります。そして、テオ様、あなたを生涯支えます」


 彼女は俺の後頭部に手を添えて、胸元に軽く引き寄せた。


「あなたのお母様もお父様も本当はあなたが優しい子だと知っております。私は、私はあなたが往く末を見守るだけです」

「後悔はしないのか?」

「する、こともあると思います」

「おい」

「ふふ、ですが私はそれを一生の誇りだと思うようになると思います」


 彼女は泣きながら俺に笑みを見せていた。

 それは彼女が初めて俺に見せた笑顔で、今までで一番輝いて見えた。


「じゃあ、俺が世界一になるぜ」


 彼女はまた笑った。


「世界一、ですか?」

「ああ、世界一だ。見守ってくれよ、モミジ」

「ええ、分かりました。ふふ」

「なんだ?」

「いや、こんな七歳児がいるなんて凄いなと」


 ぎくっ


「まあいいだろ!それより今日は一緒に寝るぞ!」


 そしてその夜、俺とモミジは人生の中で一番、深い眠りにつくことができたのだった。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る