隔儚記
嘉会
本編
序章
第1話 出会い - Touches of the Heart
チャーチャコン河はリーキ山を水源としたエーヴィハイトと隣街を分断する大きな河だ。両岸にはこの河を監視するための監視塔が設置されている。
普段は穏やかでゆったりとした流れの河だが、雨期の氾濫に加え、最近はリーキ山から降りてくる魔物の経路となった点が大きな悩みだ。
魔物どもの活性化は世界共通の悩みで、数年前まで存在しなかったダンジョンというものが出現したことと関連しているのではと推測されているが、正確な因果関係は不明だ。
とにかく、河川流域沿いの安全管理は以前にも増して重要かつ危険なものとなったことだけは確かだ。
波止場から少し離れた場所には、警備用の市街門が設けられている。
堅固な石造りの壁と共に築かれている市街門は、監視塔の氾濫情報や魔物襲来の知らせを受けると素早く閉門する。市街門は最終防衛ラインなのだ。
────────── ◇◇◇
今日の河の巡回当番は、エドガーとトーマスの二人が担当だ。
巡回当番は市街門の当番兵が交代しながら担当する。監視塔任務の新卒兵の監督と波止場や河川周辺でのトラブル処理が主な仕事だ。
「おーい、お前ら!何も起きてないからって居眠りするんじゃないぞぉ。」
トーマスが塔の下から声をかけて、上で欠伸をしていた新兵に喝を入れた。
この季節のチャーチャコン河は雪解け水でやや増量するがそれ以外は比較的穏やかだ。そのため、防寒装備もままならない新卒兵たちにとってはひたすら河を見つめるだけのつらく退屈な時間に感じてしまう。
「ったく、あいつらは目を離すとすぐ気を抜くんだからな。」
トーマスの厳しい口調が響く。
「そういうなよ。今年は雪が例年よりも多かったから上流からの風はまだ冷たいんだ。狭い場所でじっと立ち続ける新卒にはなかなか辛いだろう。」
トーマスの大声にシャキッと姿勢を正す若者たちの姿を見てエドガーは軽く彼らに目線を向けて頷き、次に進むようトーマスに合図した。
トーマスはまだ何か言い足りないようだったが、エドガーと共に再び歩き始めた。
と、ちょうど二人が踵を返したその時、なぜか川底から目が開けられないほどの強烈な光が放出された。
何事かと二人は目を細めて上流を見つめたが、光はすぐに消えてまた元の通りの風景に戻った。
そしてその光が消えるのと同時に、河で溺れる子供の姿が浮かび上がり、そして再び流れに飲み込まれていくのが見えた。
「子供が溺れている!」
エドガーは叫ぶと間髪を入れずにトーマスの制止を無視して河に飛び込んだ。
(────…あの子を助けなければ!今度は絶対見捨てない!!もう二度と「あの時」のような思いは…。)
────────── ◇◇◇
エドガーは、水に飛び込むと凍りつくような冷たさに身を委ねた。
冷たい水が彼の全身を貫き、手足があっという間に痺れてしまう。気を抜けば流れに翻弄されてしまいそうだ。
だがエドガーはそんなことを少しも気にすることなく、目の前の子供に集中する。
子供は意識を失っているようで、青ざめた唇が目に飛び込んでくる。時間がない。エドガーは子供に向かって必死に泳ぎ続ける。
なんとか子供の腕を掴むと、体を向き直してトーマスが待つ岸へと泳いでいく。
途中何度か河底の深い箇所に足を取られそうになり流れに巻き込まれかけたが、辛うじて踏ん張って体勢を立て直しながら必死に泳ぎ続ける。
そしてなんとかトーマスが投げた監視塔に常備している非常用ロープの端を掴むと、彼に引き寄せもらいながら子供を助け上げることができた。
◇
一方トーマスも、岸でエドガーが必死に子供を救う姿を見つめがら心配と不安が交錯する気持ちでいっぱいだった。
心臓が高鳴る。何もできない自分の無力さが辛かった。
トーマスは波間に見え隠れするエドガーを見失わないように見守るしかできない自分を歯がゆく思った。
溺れた子供を見た途端に河に飛び込んだエドガーの胸中をトーマスは知っている。だがそれでももしエドガーが命を落とすようなことになったら、幼馴染である友人を止められなかったことを一生後悔するだろう。
そんな気持ちでいたトーマスも、ようやくエドガーが子供を抱えて岸に戻ってくる姿をみて安堵のため息を漏らした。
◇
しかしほっとしたのも束の間だった。エドガーから受け取った子供の体温がとても冷たかったのだ。
トーマスは急いで子供の濡れた服を脱がせて、代わりに自分の上着で子供の体をくるんで温めようとした。だが、それだけでは体温の低下に間に合いそうにない。
「おーい、誰か、この子供を温めるを手伝ってくれ~!」
河から上がったエドガーも声を張り上げて助けを求めたところ、先ほどトーマスから注意を受けていた新卒の一人がものすごい勢いで監視塔から降りて駆けつけてくれた。
彼は生活魔法で火を使えると言って、木の枝を集めてきてすぐさま「《
生活魔法は威力こそ低いが適性さえあれば誰でも使いこなせる、日常生活に密接した便利な魔法群のことだ。
「くそっ、こんなんじゃ体温がどんどん下がってしまう…。」
焚火の力ではまだ火力が足りず、冷たい風が子供の体温を奪い続けている。
エドガーも自分の魔力を込めた
◇
「あ、意識が戻ったか?おい、しっかしろ、大丈夫か?」
トーマスに抱えられていた子供の瞼が微かに動いて口元が歪んだ。トーマスは子供の頬をぺちぺちと軽く叩きながら声を掛け続ける。
「うーん…。!!こふっ、けほけほけほ。」
子供が顔をしかめながら口から水を吐き出した。
まだ青白い顔をしているがだんだんと脈拍が力強く戻ってきたようだ。
もう大丈夫だろう。目の前で子供がだんだんと意識を取り戻すのを見て、二人の胸の内に安堵と喜びが広がった。
「助かってよかった、神に感謝します。」と、エドガーは静かにつぶやいた。
────────── ◇◇◇
川から救出された子供はボロボロの状態だった。
シャツは色褪せていて所々破れており、半ズボンは大きすぎて全くサイズが合ってない。足には履き潰されたサイズの合わないショートブーツが、無理矢理紐で脱げないように縛られている状態だ。
「おや?」
子供の小さいが上品そうなポーチ付きの腰ベルトに目が行く。そのホルスターには使い込まれたナイフ2本が収まっている。そして指には古びてはいるが洗練された上品な指輪が嵌められている。
(────服はボロボロだが持ち物やアクセサリーを見る限り、この子供は単なる浮浪者ではないかもしれないな。)
そう思いながらエドガーは子供の観察を続ける。
服の隙間から見える肢体には至る所に切り傷や擦り傷があるが筋肉は引き締まっており、かなり鍛えられた体つきだ。厳しい環境で生き抜いてきた強さを感じさせる。
それにしても小柄な子供だ。おそらく5歳か6歳くらいだろう。この国では珍しい、まっすぐな黒髪とつぶらな黒目が印象的な男の子だ。
(────黒髪とはな…。)
エドガーの弟も黒髪だった。
髪の色が同じでも弟とは別人とはわかっている。そう頭でわかっているが、どうしても弟が失踪した時の年頃と同じくらいの背格好の少年から目が離せない。
◇
目が覚めたその子供は最初はぼんやりと焦点が合わない様子で周囲を見回していたが、やがてその切れ長な黒目に少しずつ理知的な光が戻ってきた。
「気が付いたか?名前は言えるか?お前、どうして川で溺れていた?」
トーマスがそう訊ねると、子供は「フ#リッ@パ!ンbツァ」と口を動かして、何かを伝えようとした。
だがトーマスやエドガーにはそれが意味不明な音にしか聞こえず、ちょっと戸惑った表情になった。
トーマスはもう一度子供に向き直り、「ん?もう一度言ってみてくれ。お前の名前は何だ?」とできるだけ優しく声を掛けた。
子供は「モ゙ワ@ン#!ドル」と再び不可解な言葉を口にした。
トーマスは子供の言葉が通じないことに対して少しイライラして、つい大きな声で「おいっ」と言ってしまった。
子供が、びくりとして固まってしまう。
トーマスはその反応を見てさらに苛立ち、子供の薄い肩に乱暴に手を掛けようとした。
「トーマス!」
エドガーはトーマスの手を掴んでその動きを止めた。そして子供に微笑みかけながら、
「大丈夫だよ、安心して。具合はどう?というか、俺たちの言葉、わかるかな?」
と声を掛けた。
トーマスは苛立ちを隠さずにエドガーを睨みつけながら、
「エドガー、お前がせっかく救助してやったこのガキ、意識を取り戻したのはいいが話せねえみたいだな。どうすんだよ?」
「お前なぁ…、そう簡単にイラつくなよ。とにかくデカい声出すな。見ろ、怯えているじゃないか。」
エドガーはそう言って大きなため息をつきながら、子供の目からトーマスの姿が映らないように体をずらした。
「お前はもう巡回に戻れよ。俺がこの子を門処に連れていって事情を聴いてみるから。」
「そんな小汚いガキ、手数かける必要もないだろうに。
まぁ、とりあえずお前も濡れている。さっさとそのガキを連れて門処に戻れ。巡回は俺一人で充分だ。」
そういうと、トーマスは自分の上着を子供に着せたまま少し寒そうに肩をすぼめながら立ち去った。
本当は早く門処に戻って体を温めろって言いたかったんだろう。そう思いながら、エドガーはこの根は優しいくせに口が悪くて損な性格の同僚に対して「ありがとうな。今度夕飯をおごるから。」と声をかけて追いやった。
────────── ◇◇◇
トーマスの後姿を見送った後、エドガー自身も少し空を見上げて軽くため息を吐いた。
(────言葉が通じないこの子供とどうやって意思疎通したらいいのかな?
これは本人確認はもちろん、経緯や状況を聞き出すのに苦労しそうだ。「通訳」スキル持ちを呼んだ方がいいかもしれない。)
そんなエドガーとトーマスのやり取りをじっと見ていた子供は首を傾げながら、
「あ、りゅい、が、てぅ。」
と言って、ぺこりと頭を下げた。
「ん?お前、今なんて言った?言葉、しゃべれるのか??」
さっきまでまるで言葉が通じているようにはみえなかったその子の口から、今確かにたどたどしいながら『ありがとう』と言われたように聞こえたようだが、気のせいだったろうか。
「うー、わかん…にゃい、けど、あとしゅ、すこし…。今、か、いせ…き、してる…。」
子供が眉間にしわを寄せながら、片手でこめかみを揉みつつ唸るように口をモゴモゴさせ始めた。
「おい、お前…?」
「…あ、わか…た。」と何やら独り言を言った後、子供はエドガーの方を向き直って若干不明瞭ながらもしっかりと話し始めた。
「…もう、なんとかなりゅ。えっと、助けてくれて、ありがてう。まだ少しおかしい、でも、すぐに、話せ…できりゅ。
俺の名前、キーリュ…ル。名前わかりゃない、から、ニックネーム。」
「えっ、お前、さっきまで話せなかったんじゃ…?あと、『にくねーむ』ってなんだ?」
「俺、いぶ…、くしゃん」とキールと名乗った子供は、くしゃみで言葉に詰まると少し鼻をすするように自分の手で軽く口元を押さえて、上目遣いでエドガーを見つめた。
そんなキールの様子を見て、エドガーはまだ彼の体が冷たいことを思い出した。
「あ、すまない。この若いやつに火を熾してもらったんだが、まだ完全には乾かせてないようだな。
とにかく門処に戻って早くお前の体や服を乾かさないと。歩けるか?」
エドガーが慌ててそういうと、キールと名乗った子供はにっこり笑うとエドガーに向かって、
「ありゅがとう。だいじょ…ぶ、俺も、魔法…できる。」
と答えて、風魔法であっという間にエドガーと自分の体、それから脱がされた自分の服を乾かしてしまった。エドガーと若い兵士は目を丸くして驚いた。
「おぉ、これはすごいな!うちの若いやつより魔法の使い方が上手い。俺まで乾かしてくれてありがとう。」
単に服が乾燥されただけでなくふんわりとした肌触りに仕上げらえたその感触を驚きながら、エドガーが言葉を重ねた。
そして真顔に戻り、
「そうはいってもとにかく外はまだ風が冷たい。まずは急いで門処に行こう。」
と言うと、エドガーは若い兵士に礼を言ってからひょいっとキールを抱えるようにして運び、少年があたふたしている間に門処へ足早に向かっていった。
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本編を開始しました。
長くなりがちな情景をなるべく省略したら、妙に躍動感が伝わらなくなったような気がするんですが…。
こういうあたり、ちょっとうまく調整できないです。
話は、スローにまったりと進む予定です。
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