1-3 辺境伯の令嬢たち

「そうね、せっかくだし、お茶をいただきましょう。――わたくしは、オリヴィア・マルディンと申します。陛下のご領地ナグワーンに東で接する、マルディン辺境伯領から参りました」


 次に口を開いたのは、アイリーンの正面に腰掛ける、おっとりとした雰囲気の女性である。


 オリヴィア・マルディン辺境伯令嬢は、たしか今回集められた娘たちの中では最も年嵩としかさの、二十二歳だったはずだ。それでも新皇帝よりは三つほど年下だが、落ち着いた様子なのは、重ねた年齢のおかげもあるのだろうか。


「なによ、わざわざ隣領だって言って、牽制かなにかつもりなのかしら。あたしの父が治めるランス領だって、陛下のいらっしゃったナグワーンの隣ですわよ。あなただけが特別じゃないんだから!」


 そう言ってあからさまにオリヴィアを睨んだのは、アイリーンのはす向かいに座っている少女だった。


「レイチェル・ランスよ。よろしくとは言わないわ。だってあなた方はみな、ライバルなんだもの」


 ふん、と、軽く顔を背けてみせるレイチェルは、いかにも気位が高そうだった。アイリーンが父から聞かされた情報によれば年齢は十七歳のはずだから、トレノエル辺境伯家の次女、アイリーンのすぐ上の姉とは同い歳ということになる。


 オリヴィアは茶色がかった黒髪、レイチェルは陽に透けるような亜麻色あまいろの髪を、それぞれ長く背に流している。ひとみ濃褐色のうかっしょくで、これは南部に暮らす人々が多く持つ特徴だった。


「あなたは?」


 やわらかな声でこちらに話しかけてきたのは、アイリーンの隣に座り、みなが話し始めるきっかけとなったソフィアである。


 こちらは、いかにも北部の人らしく、髪はブロンド、青味がかったひとみの女性だった。年齢はたしか十九歳のはずだから、少女から大人への、ちょうど過渡期かときといったところだろうか。


「あなた、トレノエル辺境伯の御令嬢よね」


 続けて言われて、アイリーンはあわててちいさくうなずいた。


「はい。アイリーン・トレノエルと申します。トレノエル辺境伯の三女です」


「歳は? いまいくつなの?」


 無遠慮に質問を投げかけてきたのはレイチェルだ。


「十二歳です」


 アイリーンが答えると、ふうん、と、彼女は鼻を鳴らした。舐めるような視線がアイリーンをひと眺めしたが、それですぐに、レイチェルはアイリーンへの興味を失ったようだった。


 十二歳では、争うまでもなく自分の敵ではないと判断したのかもしれない。


「まあ、つやつやで透き通るようなきれいなお肌ねえ。うらやましいわ」


 ふふ、と、穏やかに笑ったのはオリヴィアである。それですこし、ぴりぴりとしていた場の雰囲気が和んだようで、アイリーンはほっとした。


「南部は陽射しが強いから、髪も、肌も、お手入れがたいへんなの。いやになっちゃうわ」


 片頬に手を当て、溜め息をつきつつ、冗談めかしてそんなふうに言う。けれども、彼女の髪にはすこしの傷みも見えなかったし、肌にはしみひとつなかった。頬に添えられている手指もたおやかで、畑仕事や水仕事などに関わる者のそれとはまるで違っている。


 ああこのひとも貴族令嬢なのだ、と、アイリーンはそんな当たり前のことを思った。すこしでもよい結婚をして、実家に、ひいては領地に利益をもたらすことだけを期待されてきた存在だ――……自分と同じように。


「ねえ、ソフィアさまも北部の方ですわね。北はどんなところなのかしら。やっぱり寒い?」


 オリヴィアは続けてそう言った。


「そうですね。わたくしはフォルディアの外を知らないので、なんとも……ずっと北にいると、長い冬も普通でございますから」


「そう……アイリーンさまはいかが? 同じ北でも、東部と西部ではちがうものなのかしら?」


「フォルディアは北でも東部の沿岸地域ですので、あたたかい海風が吹いて雨も多く、わりあい穏やかな気候だと聴いています。ベイワーンからトレノエルにかけては、乾いた陸風が吹きつける影響で、身に沁みるような寒さを感じるかもしれません……といっても、私もトレノエルから出るのは今回が初めてなので、実際のところはわかりませんが」


 アイリーンが答えると、オリヴィアとソフィアとは、軽く目をみはった。


「おどろいたわ。わたくしより十歳とおも年が下なのに、いろいろとよく御存知なのね」


「ほんとう。さすがは国境の獅子の御令嬢ってところなのかしら」


 ソフィアは感心したようにアイリーンの父の二つ名を口ににした。同じ北部の出身だけあって、耳にしたことがあったらしい。


「っ、なによ!」


 そこへ、不愉快そうな声をあげたのは、それまでひとり黙っていたレイチェルである。


「北の話なんてどうでもいいじゃないの。だいたい陛下は南部のご出身なんだから、北の人間とはきっと話が合わないわ」


 自分は皇帝と同じ南部の人間だから、と、胸元に手を当て、どこか勝ち誇ったような表情を見せた。


「まあ、レイチェルさま……そんなにあからさまに張り合わなくたっていいのではない?」


 穏やかな声で宥めるように言ったのは、やはり今度も、年長者のオリヴィアだった。


「そう言って油断させておいて、あなたこそみんなを出し抜く気じゃないの? そうはいきませんからね!」


 しかし、レイチェルはどこまでもかたくなである。


 その間にも、傍に控えた侍女のふたりがお茶の用意を整えてくれていた。アイリーンたちの会話の邪魔をしないようにしながらも、菓子や茶器を並べるなど、てきぱきと働いている。


「お待たせいたしました、お嬢さま方。どうぞお召し上がりくださいませ」


 やがてすべてを整え終えると、そう声をかけてくれる。


「ありがとうございます。いただきます」


 アイリーンは侍女に微笑みかけてからカップを持ち上げた。


 テーブルには焼き菓子や、果物のみつけなどがいくつか並べられている。豪華きわまるとまではいかないだろうが、それでも皇宮だけあって、供されているものはやはり贅沢ぜいたくな品ではあった。


(おはなしの中に出てくるお城でのお茶会も、こんな感じかしら)


 宝石のようにきらびやかな菓子を目の前にしてアイリーンは思う。


 けれども一方で、それを心の底から楽しめない――楽しんではいけないような――なんとなく切ない気分もまた、アイリーンのちいさな胸にはともっていた。皇宮に到着するまでに皇都で見かけた、まだ自分よりも幼いだろう子供たちの、やせ細った姿を思い出すからだ。


(国が豊かだったら、なんにも気にせず、めいっぱい楽しむのにな……)


 アイリーンは溜め息をついた。


 お茶を注いだカップの傍にいくつか添えられているのは砂糖の包みだろう。砂糖も、簡単に手に入るものではない高級品、贅沢品である。レイチェルは二包み、ソフィアは一包み、何を思うふうもなくお茶に砂糖を入れていたが、馬車から見た光景を思うと、アイリーンはなんとなく気安く使う気になれなかった。


 貴族令嬢であればこれまでも普通に口にしていておかしくないものだから、引っ掛かりを感じる必要などないのかもしれない。


 けれどもやっぱり、路地裏の子供の姿を思い出すと、素直に甘い味を楽しむ気持ちになれない。


「アイリーンさま、どうかなさったの?」


 そんなアイリーンに気付いたのか、オリヴィアが声をかけてくれる。


「あ……な、なんでもありません!」


 アイリーンは慌ててかぶりを振り、カップの中味の甘くないお茶にそのまま口をつけた。


 そのとき、ふと、応接室の扉が開いた。


「お待たせいたしまして、たいへん申し訳ございません」


 入ってきたのは、先程アイリーンたちをここまで案内してくれた侍従じじゅうの青年である。そして彼は、続けて、アイリーンたちには思いも寄らないことを口にしたのだった。


「陛下は皆様に、お会いになれません」

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