皇帝陛下の幼妻ーお前は皇妃という名の人質だと言われましたが、お飾りなんかイヤなんですっ!ー

あおい

序 お前は人質だ

「ひとつ、お聴きしてもよろしいでしょうか?」


 アイリーンはすこしもおくすることなく、目の前に立つすらりと背の高い男を見上げた。


「なんだ?」


 相手はつやめく黒曜石の眸をすぅっとすがめ、どこか面白がるようなまなしをアイリーンに向けてくる。


 アイリーンは、ひとつ、深呼吸をした。それから再び、男を真っ直ぐに見る。


 男は蜂蜜はちみつ色の肌、陽に透けるとさかりたつほのおのようにも見える赤銅色の髪をしていた。なによりも、意思の強そうな黒眸こくぼうが印象的だ。


 決していかつい身体つきをしているわけでもなく、顔立ちも整っていて端正で、強面こわもてという感じはしなかった。それでもアイリーンには、彼が威圧感にも似た独特の気配をまとっているように思われた。風格とか威厳とでも表現すればいいのだろうか。


(おとぎばなしの王子様や王様は、みんな、自分のお姫様にはやさしいわ……なのに)


 目の前の男は、アイリーンが物語で読んでうっとりと憧れたような、やさしげなヒーローではない。


 皇国のあるじ、皇帝という立場。それを矜持きょうじもって背負って立つ者だけがかもしうる、すごみ。


 一見して軽佻けいちょう浮薄ふはく飄々ひょうひょうとしているようでありながら、その実、相手には一部のすきもない。アイリーンはちいさな胸に手を当てて、再びひとつ、息を吸って、はいた。


「陛下はなぜ……よりによって、私を選ばれるのですか?」


 相手の気配に呑まれない昂然と顔を上げ、エメラルドの眸を相手に向けて問う。


 すると男は、ははっ、と、声を立てて笑った。


「よりによってときたか」


 おかしそうにくつくつとのどを鳴らしている。


「そうだなあ、いて言うなら……四人の令嬢の中で、おまえがとびぬけて、俺の皇妃こうひに似つかわしくない女に見えたから」


 そう言って、に、と、人をったような笑みを見せた。


 アイリーンは十二歳。


 皇国の北西に位置するトレノエル辺境伯へんきょうはく領からやってきた、現辺境伯の末の娘である。


 対する相手は二十五歳。


 さきの皇帝の突如の崩御ほうぎょによって、先頃あわただしく御位みくらいいた――あるいは、即けられた――ばかりの、皇国こうこくの年若き新国主だった。


 二十五歳の青年皇帝の皇妃――正妃――として十二歳の少女では、たしかに、年齢的にそぐわないと言われても仕方がない。アイリーンは、む、と、くちびるを引き結んだ。


「さて、おまえの父、国境の獅子とも渾名あだなされるトレノエル辺境伯が、なんでわざわざ、おまえのようなものを皇妃候補として俺のもとへ寄越したのか。――その、腹の内は?」


「……一番上の姉はすでに嫁いでおりますし、十七歳になる次姉にも婚約者がおります。陛下のもとへける者が、末娘の私しかいなかったというだけのことで、他意はありません」


 アイリーンは真っ直ぐに相手を見返して言った。


 が、男はまるで小馬鹿にしたように、ふん、と、鼻を鳴らす。


「果たしてそうかな。うまくすれば、娘が皇妃になるのだぞ? 皇帝の義理の父になれるかもしれない、めったとない機会だ。すこしでもそれを狙う気なら、すでに決まっている婚約など破棄させてでも、年齢的にふさわしい二番目の娘を寄越してくるだろうさ。――そうは思わないか?」


「父上は……婚約者を慕っておられる姉上のお気持ちを、おもんぱかられたのです」


「ははっ、どこまでも現実主義者の、あの男がか? まさか! 天地がひっくり返ってもないだろう」


 はははは、と、相手は無遠慮に哄笑こうしょうした。


「あの男の考えは、こうだ。――この先の政変の可能性を考えれば、現状、立ったばかりの権威薄弱な皇帝との間に親密な縁が出来てしまうのは、得策ではない。だから、自家から皇妃は出したくない。ならば、選ばれるはずのない娘を送っておこう」


 ちがうか、と、皇帝の地位にある男は、アイリーンの表情をのぞきこんだ。


「私は……」


 アイリーンは言葉に詰まる。


 相手は、ふ、と、口許をゆるめた。どこまでも深い夜のような、つややかな黒い眸が静かに細まる。


「だからさ、俺の皇妃は、おまえってわけだ。で、悪いがおまえをトレノエル領に返すわけにはいかない。このまま皇宮ここにとどまって、俺と結婚してもらうよ。おまえは、人質ひとじちだ。皇妃という名の人質……おまえを押さえることで、俺は、トレノエルにくびきをつけておくことができる」


「っ」


「ああ、そんな顔するなって。可愛いのが台無しじゃないか。――安心するといい、とりあえず俺の政権が安定するまでの間だからさ。もう大丈夫だとなったら、離婚にだって応じる。だがそれまでは、おまえには皇妃として、俺の傍に立ってもらわなければならない。嫌でも、な」


 男――ウェリス皇国皇帝、シグルス・ウェリス=ナグハーンは、終始にこやかな、それでいて人を食ったような笑みを浮かたまま、アイリーンにきっぱりとそう告げた。


(おはなしの中のすてきな王子様と、ぜんぜんちがう。でも……)


 相手の言葉に、アイリーンは、きゅ、と、花弁はなびらのように可憐なくちびるを噛みしめた。

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