第3話 これは少女じゃない、幼女だ

「う、うわあああああぁ、あ?」

 

 一面に広がる、真紅の炎。

 それに、僕はチリも残さず燃やし尽くされてしまった。


 ——と、思った。


「〜〜〜〜〜〜〜!?!?」


 目を大きくカッぴらいた。

 驚愕せざるを得なかった。

 顎が落ちそうだ。


 体に、炎は届かない。

 それどころが、周りの草すら焼けていない。


 炎が、のだ。


「トウっ! この私、カッコ良く参上!」


 その時、頭上から声がした。

 少女の声である。

 

 それは、言葉に言い表せないほど美しい……というわけでもなく、目を奪われるほど幻想的……というわけでもなく。

 ただ、空から降ってくるようにして、ドラゴンめがけて飛んできた。


 僕は引いた。

 あたりまえだ。

 突然、無駄に体幹の良い奇妙なポーズをして、頭上から地面に降ってくる人の影があれば、ドン引きするしかないだろう。


 その少女は、瞬く間に降下してくると、ドラゴンの巨体と激突した。


 砂塵が視界を舞い散る。

 爆音が耳元まで流れてくる。


 一体、どうなった。

 僕は固唾を呑んで見守った。


「……」


 果たして、ドラゴンは頬を腫らして涙を浮かべていた。

 あの、巨龍が、あの巨体が、なんとあっけない。

 

 少女に殴られて泣く巨龍。


 実に奇妙な光景だ。


 ドラゴンは、その少女を恐れているのか、首を低くしてビクビクと震えていた。


「ふん、弱いものをなぶる癖して、自分より強いものを前にして怯える。お前に生物としての誇りがないようだな」


『う、うぅ……』


 少し、ドラゴンが可哀想に感じた。

 そして俺は少女に視線を向け、絶句した。


 いや、少女だと思っていたものと言った方がいいかもしれない。


 いわゆる、先入観というやつだ。

 例えば、佇まい。

 例えば、行動。

 例えば、言葉遣い。


 ここでいうなら、ドラゴンを目の前にした時の異様な度胸であり、巨龍を泣かせるほどの驚異的な攻撃力であり、違和感を感じるほど大人びた言葉遣いである。


 それらの情報を総合した結果、僕はその人間の造形を脳内で余分に補完していた。


 小さな体躯。

 幼い眼。

 そして丸っこい童顔。


 これは、少女ではない。

 ——幼女だ。


 いや、ますます意味がわからない。


「ほれ、もうお前はどこか行け」


 幼女に促されるがまま、ドラゴンは遠くの方へ羽ばたいて行ってしまった。


「さて」


 と、幼女が僕の方を振り返る。


 僕は、その時になって、幼女の頭に小さなツノが生えていることに気づいた。

 飾りにしては、リアル過ぎる。


 本物を見たことはないが、きっと本物なのだろう。

 

 幼女は近寄ってくると、僕の目に視線を合わせた。

 じっと見つめられる。

 それはもう、視線で目が焼けてしまいそうなほど。


「お前、その奇抜な格好からして、だな? それも、この世界に来たばかりと見える」


「転、移者……?」


「そう、転移者。異世界から転移してきた者のことだ」


 大正解だ。

 僕は、幼女の瞳をじっと見つめ返した。


 そうすると、幼女はフッと笑って、小さく目を細めた。


「何か聞きたいことがあるようだな。いいだろう、答えてやる」


 僕は、グッと唇を結んで、決心した。


「あの、君、御両親がどこにいるかわかる? よかったら、一緒に探そうか?」


「……?」


 僕は、困ったことになった、と頭を掻いて眉を下げた。

 子供の相手は苦手なのだ。


「僕、このあたりの土地は全く知らないけど、できるだけ力になるからさ、お父さんかお母さんに会えるまで、付き添うよ」


「いや、私の両親は普通に家にいるが」


「じゃあ、家の場所はわかる?」


「リグサル龍帝国第三区ハミル村の五三三番地……じゃないっ! 圧倒的にそうではない!」


 幼女は突然癇癪を起こし、僕を非難した。

 やっぱりだ、子供の心は読めない。


 ゼエゼエと僕を指差す幼女は、なんとも言い難い表情を浮かべて、拳を握りしめた。


「なんか、もっと、こう、他の質問があるだろう! 自分が置かれている状況とか、私の正体とか!」


「僕は転移者で、君は迷子。でしょ?」


「でしょ? ではない! お前が転移をやすやすと受け入れているのは置いておいて、私は断じて迷子なんかではない!」


 迷子じゃないのか、それはよかった。


「ふん、転移者だからと、少々私のことを舐めているらしい。ならば教えてやろう、私の正体を」


 幼女はそう言うと、ビシッと胸を張ってニヤリと笑って見せた。


「私は龍神族の期待の星、イリス・アルメスト! この名前、しかとその胸に刻むがよい!」

 

 龍神族……。

 ちょっと、ときめいた。


「人間の子よ、どうだ、私の偉大さがわかるか?」


「わかる、かもしれない」


 イリスと名乗った幼女は、ふんと鼻息を立てて口角を上げた。

 如何にも、自尊心がそのまま態度に出ている。


 ところで、とイリスは首を傾げた。


「お前、転移を経験した割に、冷静なのだな」


「まぁ、元の世界じゃ、こういう設定は良くあったから。それに、イメージトレーニングは万全だった」


 僕は、少し誇らしかった。


「なるほど、お前の世界には、幻想に取り憑かれた者が多く存在しているのだな。夢物語とはよく言うが、何度も想像を繰り返せば、実現しても冷静になれる……のか?」


 イリスはなおも納得し難い表情だった。


 しかし、僕も少し意外な点がなかったといえば、嘘になる。

 ——転移者。


 どうやら、この世界では、別世界から人間が転移してくることが、日常的に起こっているらしい。


 普通、別世界から人間がくるとなれば、究極の秘伝の術なり、超次元的な災害の発生なり、何かしら特異的な現象を経ていると考えられるが。

 この世界ではそれほど特別なことでもないのだろうか。


 僕は考えこんだ。

 考えこんだせいで、前がよく見えなくなっていた。


「まぁ良い。とりあえずお前は、異例的な存在と言うことで私が直々に保護してやっても——って、ひょえぇ!? いきなり私の角を触るな!?」


 僕は飛び跳ねたイリスを見て、我に返った。


「あ、ごめん、気づいたら触ってた……」


 異世界で他種族にあったら、やってみたかったことその一。

 ツノか尻尾を触ってみる。

 この願望の魔力を前に、どうやら僕は抗えなかったみたいだ。


「や、やっぱり、お前は少々上位種に対する敬意が足りていないようだ」


「上位種?」


 僕は気になって聞き返した。


「そういえば、お前はこの世界に来たばかりなのだな。それならば、上位種が如何に高潔な存在か、教えてやらなくもない」


 イリスはそう言うと、自慢げに口元を緩ませた。

 どうやら、ご教授願うほかないようだ。


「この世界には、十二の種族が存在する。その間には序列が存在し、神霊族に始まり、人間族に終わる。私たち龍神族はそのうちの一つだ」


「なるほど」


 種別の序列は、イメージに易い。

 食物連鎖にしろ、人種差別にしろ、種族間に上下の指標を設けようとする動きは、どこにでも存在するというわけだ。


 イリスは続けた。

 

「とりわけ、上位六種を上位種と定義し、下位六種が、劣等種と呼ばれる。その間には、圧倒的な力の差が存在する」


「ほうほう」


「そしてなんと、龍神種は序列が三位!」


 どうだ、すごいだろう。

 そう言わんばかりに、輝いた目で見つめられる。


 確かに、序列が上から三番目なら、すごいのかもしれない。

 上位六種の真ん中だから、ちゃんとトップだし。


 僕はパチパチと拍手した。


 イリスはちょっと誇らしげに鼻を擦った。


「そういうわけだから、今一度、その態度を変えるが良い」


 態度を変える。

 そう漠然と言われたところで、何をすればいいのかわからない。


「えっと、わかった……です」


 イリスはうんうんと頷いた。

 なるほど、そういうことか。

 

「それで、僕はどうなんですか?」


「お前は人間種だから、最下位だな」


 僕はガックリと項垂れた。

 なんとなくそんな気はしてたけど、残念だ。


「思ったより、衝撃を受けていないようだな」


「そりゃあ、非力だし、魔法とか使えませんし」


 グッと、拳を握りしめて歯噛みする。

 しかし、肝心のイリスは、何やらピンと来ていない様子だ。


 僕は、眉を寄せて彼女を見る。


 ムムム、と唸ると、イリスは疑問を吐露した。


「まほう? って、なんだ?」


「魔法、って言ったら、魔法ですよ。何もないところから炎を出したり、風を自由に操ったり」


 僕の言葉を聞くと、イリスは、はたと考え込み、再び言葉を吐いた。


「そんなもの、この世界にはないぞ」


「……え?」


 柔らかなそよ風が吹く空間。

 僕は幼女と向かい合う。


 しばらく何も話さない沈黙が流れて、僕は再び声をこぼした。


「……え?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る