迫りくるキリン

葉島航

1

「毎晩、少しずつ近づいてくるんだ。アイツが……」

 先生は絞り出すように言った。

 その目元には、はっきりと隈が浮かんでいる。普段の朗らかな笑みはなく、ただひたすらに憔悴していた。

 網戸から吹き込む風が、マグカップから上る湯気を揺らしている。僕は先生の前に正座したまま、首をかしげるしかなかった。先生が何の話をしているのか、全く分からなかったからだ。

「アイツ、とは?」

 先生は僕の方を見た。まるで、今、僕がいることに気付いたみたいに。

 長いこと、彼は何も言わなかった。

 風鈴の音が、白々しく響く。奥の台所で、先生の奥さんが何かを刻んでいる音が聞こえてくる。

「キリン」

 僕は最初、それが先生の発した言葉だと分からなかった。その滑舌は曖昧模糊として、言葉としての輪郭を失っていた。

「キリンが近づいてくるんだよ」


 先生と僕の関係を一口に説明すると、「小説の師弟関係」となるだろう。

 先生は作家として世間でもそれなりに認知されている(「それなり」というのは失礼だろうか)。大ベストセラーと言われるような大作はないものの、コンスタントに新刊を出し、何冊かに一冊は重版となる。

 もともと農家の息子だった先生は、父親との折り合いが悪く、中学卒業と同時に家を飛び出してしまったらしい。

「親父は偏屈で、考え方も古かったんだよ。『鍬を振るってこそ日本男児。原稿用紙にペンなど軟弱極まりない』なんてよく怒鳴られてさ。こっそり東京の新聞社でアルバイトの口を見つけて、卒業式の翌日に特急へ飛び乗ったんだ」

 以前、居酒屋へ出掛けたとき、酔っぱらった先生はそうこぼしていた。

「とは言え、当時のアルバイトなんて、最低賃金も労働基準法もあってないようなものでさ。

どれだけ良い記事を書こうが、それは正社員の手柄。文章の校正を泊まり込みで進めても、給料は雀の涙。母さんや姉さんとは時折連絡を取っていたものだから、ずいぶん援助してもらったものだよ」

 そんな苦労を重ねながら、毎日ほんの少しずつ書き進めていた処女作「他人の願い」をとある出版賞に応募。新聞社を舞台に、上下関係の難しさや危うさをシニカルに切り取った純文学作品だ。受賞は逃したものの最終候補作に残り、編集担当が付いたことから同作で作家デビューを果たしたらしい。

 その後、自分の書きたいものを詰め込んだ二作目「心臓と料理店」が思うように売れず、作家業もここまでかと腹をくくったそうだ。前回の純文学から一転、人肉を取り扱う料理店を題材としたサイコスリラーで、ミュージカル「スウィーニー・トッド」を下敷きにした作品だ。「スウィーニー・トッド」がその後、ブロードウェイで人気を博し、映画化までされたことを考えると、時代を先取りしすぎたのだろう。

 二作目にして業界の洗礼を浴びた先生だったが、編集者とともに市場調査を尽くして発表した三作目「三つ目の門をくぐるとき」がヒットとなる。ある恋の行方を描いた恋愛小説で、みずみずしい味わいと純文学的な繊細さから、特に若い世代からの支持を集めた。タイトルにあるとおり、この小説には三つの門が登場する。一つ目は主人公とその恋人が初めて出会う「入学式の校門」、二つ目は二人の恋が成就する「卒業式の校門」、そして三つ目は二人が家庭を築いた「家の門」だ。今思えばコテコテのメロドラマで少し恥ずかしくもあるのだが、バブルがはじけた直後という時代背景もあって、ドラマティックで前向きな筋書きに感動する人間が多かったのだ。

 そんなふうにして、先生はノンジャンル作家としての地位を確立し、その後も専業作家として、SFに恋愛もの、純文学にホラー、エッセイと、多岐にわたって執筆活動を続けている。僕は、そんな先生を師として崇める、小説家志望のしがないフリーターだ。


 僕はもともと、大した目標も目的もなく大学の文学部へ進学し、毎日をそれこそ無為に過ごしていた。親が口うるさくないのをいいことに「作家志望」という言葉を免罪符にして、就職活動もせず、書きもしない原稿用紙を広げては、何かを構想しているふりばかりしていたのだ。

 所属していたゼミの教授は、それを目ざとく見抜いていたらしい。

「小説家を志望していると聞いたけれど、何か、具体的なプランはあるのかしら」

 彼女はそうやって僕に尋ねた。

「ええ、プランならあります」

 本当に計画があるわけではなかった。そのときの僕は、親の前でも友人の前でもその場しのぎの嘘を重ねていて、このときもそれを援用しようとした。

 ウェブ投稿サイトへの登録、出版賞への応募、そういったことをもっともらしく話してみせたところで、教授は悲しそうな顔をした。

「止めはしないけれど、私の個人的な懸念を伝えてもいい?」

「ええ」

「あなたとほとんど同じことを言う学生を、これまで二度、受け持ったことがあるわ。一人は中年と言える年齢に差し掛かっても、就職やアルバイトを一切せず、実家の部屋に閉じこもっている――今でもね。本人曰く、執筆活動を続けているらしいんだけれど。でも、彼の小説は、一度も日の目を見たことがないはずよ。出版作品としては当然として、ウェブ上の作品としても、ね」

 ぎくりとした。僕は大学の四年間で、ただの一度も小説を完成させたことがなかったからだ。当然ながら、書き始めることはできる。そのとき、頭の中ではアイディアが渦巻き、「これは売れる、名作になる」と根拠のない自信だけが先行している。しかし、二、三日もすると、自分が書いているものがどうしようもなく陳腐で、つまらないものに思えるのだ。そして結局、筆を折ってしまう。

「もう一人は、何度か作品を書き上げていたようね。でも、応募した賞にはことごとく落選していた。そればかりか、投稿していたウェブ小説も、思うようにいかなかったそうだわ。評価というか、何ていうの? 閲覧数? そういうものが、全く上がらなかったらしくてね。最終的には、自分で命を絶ってしまった」

 僕は何も言えない。僕自身、自分の言っていることがどれだけ夢見がちなものであるのか、自覚していた。それに、その夢の少なくとも八割以上は、働きたくないというモラトリアム的な発想に基づいているのだ。

 でも、教授がこうしたエピソードを武器にして就職を迫るつもりなら、僕だって反論をしたかった。これは僕の権利だ。僕の人生は僕が決めるし、誰かに指図される筋合いはない。大学のホームページに、「就職率」として挙げられるデータの一部になるつもりは毛頭なかった。

 しかし、教授はそんなことを一言も言わなかった。

「小説家、というのはいばらの道よ。簡単になれるものでもない。だから、誰かに師事するのが一番いいと思うわ。執筆の指導を受けられるのみならず、ずるずると『書かない生活』にはまっていってしまうことへの抑止力にもなるはず」

 もっともだ、と思った。そして不思議なことに、この提案は僕にとって悪くない、と思う自分がいた。おかしなものだ。僕は働きたくなくて「小説家になる」と言い続けていたのに。

 僕は教授に、誰かに師事したい、と伝えた。心なしか、教授は嬉しそうな表情を浮かべていた。

「私の知り合いに、作家として身を立てているベテランがいるわ。その方に師事なさい」

 そうして紹介されたのが、先生だったのだ。


 初めて先生の家を訪ねていったときは、緊張で心臓が口から飛び出るかと思ったほどだったけれど、先生は常に朗らかだった。玄関払いになりながらも長い時間玄関先で土下座を続けて入門を認められた、なんてエピソードは、よく芸術や芸能の世界で耳にする。でも僕の場合は、インターホンを押して先生の奥さんに迎えられ、ものの一分で応接間に招かれていたわけだ。僕らの世代は苦労を知らない、と思う。良くも悪くも。

 先生は、文筆家の気難しくて気分屋なイメージとはかけ離れているように思えた。物腰は柔らかく、威圧的な雰囲気は皆無だ。奥さんは、映画や舞台のメイクスタッフとして活動してみえる方らしい。下世話な話、二人ともそれなりの稼ぎがあるはずで、生活のゆとりがそこかしこに見える。そのゆとりが、先生に朗らかさをもたらしているのかもしれないと思った。

「君は、小説を書きたいのかい? それとも、小説家になりたいのかい?」

 世間話をする中で、先生は唐突にそう聞いた。

「僕は……」

 わずかな逡巡の後、僕はすべてを正直に伝えることにした。

 もともとはモラトリアムの延長として「小説家」という目標を安易に口にしていたこと、教授の言葉が自分に刺さり、今では甘えた気持ちがなくなっていること。そういった諸々を、僕はたどたどしく説明した。

「だから、僕は小説を書きたいし、小説家になりたい。つまり、両方です。最近は毎日、文章を綴るようにしていますが、読み返してみるとやはり拙い。もっと文章が、構成が、物語の設計がうまくなりたいのです。それが僕にとっての、『小説を書きたい』の意味です。それだけではなくて、僕は小説を書くことで生計を立てたい。このままいけば、親のすねをかじりながら、執筆をしているという言い訳をして僕は部屋にこもり続けることになるのでしょう。そうなりたくはありません。それが、『小説家になりたい』という僕の思いです」

 先生は、その答えに頷いた。満足げな表情が浮かんでいた。

「君の面倒を見ましょう。これから定期的に、作品を見せてもらうことになるだろうから、そのつもりで。今日は、原稿を何かお持ちですか?」

 持ってきていた。原稿用紙二十枚ほどの短編だが、ここ最近で書いた中では一番手ごたえがあったものだ。

 僕はクリアファイルに入ったそれを差し出した。プロの作家が、僕の小説を読む。そう考えただけで、手が震えた。

 その作品については、「うん、悪くないんじゃないの」なんて感想を、書いている最中も、書き終わった後にも抱いていた。でも、先生の目が原稿の上を滑っているあいだ、僕のみぞおちの辺りからはどんどん力が抜けていく。自分の作品に対するありとあらゆる自信が、絶望的な勢いで消失していくのだ。どうして作品を渡してしまったんだ、あんなに出来の悪いものを見せてしまったら今からでも破門になるに違いない、そんな不安ばかりが駆け巡る。

 ものの五分で、先生は原稿を読み終えてしまった。用紙の端をそろえ、僕へ返してくれる。

「プロットは個性的でおもしろい。文章は粗削りですが、それもまた味になっている」

 それから、僕の作品におけるいくつかの問題点を具体的に挙げた。

「これらの問題について解決するためには、人物の行動原理を明確にすることと、作品内の時間の流れを客観的に見直すことが必要です。来週にでも、直して持ってきてください」

 そんなふうにして、僕は先生に師事し始めたのだ。


 微笑を絶やさず、指導の際にも決して激したりしない先生が、ここ最近は珍しく落ち込み、イライラしている様子だった。

 先生がここまで追い詰められているのを見るのは初めてだった。

 新たに着手した小説が、思うように進んでいなかったのだ。

 新しい小説は学生寮が舞台らしい。青春群像劇として学生たちを描きながら、恋愛やホラー、スラップスティック・コメディといった要素を盛り込んだ連作短編だと言う。その構想を聞いたとき、なかなかにエンターテインメント路線へ振り切った作品だな、と思った記憶がある。

 先生にとって不幸だったのは、執筆が三分の一ほど進んだところで編集者が交代したことだ。それまでは、たしか五年ほど井本さんという若い理知的な女性が担当してくださっていて、先生の思いを十二分に尊重してくださっていたらしい。それが、彼女の異動に伴って、中年の竹重という男性へ変わった。

 この竹重が、曲者だったのだ。

 すでに先生は、前任の編集者と一緒に、今書いている作品の方向性やエンディングをある程度固めていた。出版社の方でも問題なくGOが出ていたと聞く。

 しかし竹重はそこへ難癖をつけ始めた。曰く「会話に現実味がない」とか、「リアルにそんな反応する人間がいるのか」とか。

 このころから先生はあまり笑わなくなった。聞くと、筆が完全に止まってしまったと言う。

「私の作風を、ここまで理解してくれない人間が編集になるとはね」

 先生は、恋愛ものにしても、ホラーにしても、コメディにしても、どちらかというと漫画的な技巧を凝らす作風だった。よく言えば、ダイナミックで読者を飽きさせない。悪く言えば、大げさで鼻につく。しかし先生には固定読者が多いことが知られていた。つまり、先生のその作風を求めている読者がほとんどを占めていて、それは決して出版社としても無視できる数ではないはずなのだ。

 残念ながら、竹重はその辺りの事情を一切理解しようとせず、自分が正しいと信じる創作論を一方的に先生へ押し付け続けた。僕に言わせれば、「会話に現実味がない」や「リアルにそんな反応する人間がいるのか」は、助言として的外れもはなはだしい。フィクションにおいては、たとえ現実味がなくとも『このような会話がなされたとする』『このような反応をしたとする』という暗黙の了解がある。ある事件に遭遇した人が「ええっ?」と声を上げた、という場面が描写されていたとき、読者は「ああ、驚いたのだな」と解釈する。「現実に『ええっ?』なんて言う人がいるか?」という指摘は、ここでは水を差す行為に他ならない。誰もそんな表面上のリアリティを小説に求めてはいないのだ。逆を言えば、現実の会話を文字起こししたような会話文なんて、誰が読みたいだろうか? きっと要領を得ず、文法的にも不正確で、退屈な代物であるはずだ。

 とにかく、そんな背景のもと先生は沈みがちだった。僕はそんな先生の姿に狼狽し、なぜか「一人にしてはならない」と思った。先生は奥さんと一緒に暮らしていたし、落ち込むと言っても病的なそれとは様子が違っていたので、万が一のようなことはないと分かっていたのだけれど。それでも僕は、この前書き始めた小説の冒頭部分について指導を仰ぎたい、などという理由をつけて、先生の家へと足しげく通った。

 そんなある日、先生が突然言い出したのである。

「小説とか、編集者とか、そんなものはもうどうでもいいんだ」

 編集者のことはともかく、先生が小説のことをどうでもいい、と言うのはただならぬことのように思った。

「もう、そんなことで悩んではいない。もっと大きくて、もっと奇妙な問題があるんだよ」

 もっと大きくて、もっと奇妙な問題。

 僕は、先生のその言葉を反復するほかなかった。

「毎晩、少しずつ近づいてくるんだ。アイツが……」

 それが、僕が初めてキリンについて先生から聞いた瞬間だった。


「キリンが近づいてくるんだよ」

 先生がそう言ったとき、僕はなんとも間抜けな返しをしてみせた。

「麒麟ですか? 神獣の」

「違う」

 先生は頭を振る。

「キリンだよ。動物園にもいる、あのキリン」

 キリン。

 僕の脳裏に、黄色くて首の長いあの姿が浮かぶ。草原で、あるいは半砂漠地帯で、首を重そうに押し下げながら草を食む哺乳類。

 キリンは当然、知っている。しかし「近づいてくる」というのがよく分からない。先生は、何かテレビか動画か、そういったものの話をしているのだろうか。何をどう質問すればよいのだろう。結局、僕は黙って先生の次の言葉を待つことにした。

 先生は、僕の方を見ながら、ポロシャツの胸ポケットに時折手をやっていた。それは先生の癖だ。長らく愛煙家だった先生は、数年前に胸を悪くして禁煙した。しかし今でも、何かを思案しているようなときには、無意識に片手でシガレットケースを探ってしまうのだと言う。

「二階に、私の部屋があるんだがね」

 先生はぽつりぽつりと話し始める。

「部屋の中央にベッド、その正面に窓がある。通常のそれより、少し高い位置にね。それほど大きくない出窓だが、この家を建てたときに注文して付けてもらったんだ。横になりながら、星を眺めたいと」

 先生の家は、都心から離れた場所にある。当然、視界を遮るような高層の建物も辺りにないので、星もよく見えるだろう。

「その窓から、キリンが見えるようになったのが、一週間ほど前だね」

 そう言って、自嘲気味に笑った。僕は笑えなかった。冗談と言うには、あまりにも先生が疲れて見えたからだ。

「はじめは夢だと思ったよ。いつものように電気を消して、星をうつらうつら眺めていたら、そのうち窓の中心にゆらゆら揺れるものがある。何だあれは、としばらく見ていたんだが、それがやがて少しずつ、横方向へ移動し始めたんだ。何か細長いものが歩いている、と思った。そして、それが月の前まで来たときに、見えたよ、黒い影の輪郭がはっきりと」

「それが、キリンだと?」

「そうだ」

 先生は真剣な眼差しでこちらを見返してきた。

「面長の輪郭も、耳も、角も、はっきり視認できた。まごうことなきキリンだ」

 月光に照らされたキリンの影。詩的とも言える情景だ。夜、窓の外に現れるという不可解な状況を別にすれば、だが。都心から外れているとはいえ、こんなところにキリンがいるはずもない。

「この家の裏手側に空き地があるだろう? 位置的には、その土地の一番奥に立っているのだろうと思えた」

 その空き地は、訪問の際にいつも目にしている。もともとは畑だったそうだが、土地の所有者が高齢となり、今では背の高い雑草が伸び放題になっていた。広さは、小学生の野球チームが練習試合に使えそうなくらいだろうか。

「よほど、外に出て確かめようかと思った。しかし、キリンの首のゆらゆらを見ているうちに、身体が動かせないことに気付いた。俗に言う金縛りだね。そしてそのまま、僕は意識を失ってしまったんだ」

 翌日、先生は空き地へ出てみたが、雑草は相変わらずで、キリンのような大きな動物が入り込んだ形跡はなかったそうだ。

 金縛りは、身体は寝ているのに脳が起きている状態だとよく言われる。そして、夢の中で「これは夢だ」と自覚している明晰夢と関係が深い。明晰夢をよく見る人などは、次第に夢の内容をコントロールできるようになると言う。

 金縛りも半ば夢の中にいるようなものだから、金縛り中に「身体が動かない、怖い」なんて思っていると、それに引きずられて怖い現象を体験する(夢を見る)のだ。

 先生もそんなふうにして、「自分は起きている」と錯覚したまま、キリンの夢を見ただけなのではないか。

 僕がそんな考えを伝えると、先生は「私もそう思ったさ」と首を振った。

「しかし、それから毎晩、キリンはやって来るんだ。それに、少しずつ距離が近付いている。毎晩、キリンの足で一歩ずつ。最近は、斑点模様が見えるまでになった」

 先生の言葉に迷いはない。自分が本当にキリンを見ていると信じ込んでいる。当然ながら、僕はこの話をどう解釈すればよいのか分からなかった。十中八九、ただの夢を日々見続けているだけだろうという思いが拭えない。しかし、そうすると先生のこの確信を(そして恐怖を)どう捉えればよいのだろうか。

「先生」

 僕は呼びかけながら、先生の表情や腕に素早く目を走らせた。消耗しているふうではあるが、落ち着きのない挙動や注射痕はなさそうだ。僕は違法薬物の専門家ではないし、本などで読みかじった知識しかもっていない。しかし、少なくともそういった兆候は見られないと言ってもよいだろう。

「先生は、何がご不安ですか? たとえば、キリン以外にも、おかしなものが見えたり聞こえたりするとか」

 最近読んだ、ある心理士の自伝が頭をよぎる。彼女は、幼いクライアントと定期的に対話の機会を設けていた。はじめは警戒心をあらわにしていたクライアントも、彼女の慈愛にあふれた人柄と、熟練の面接テクニックによって次第に心を開き始める。そして、ある日を境に、クライアントは空想上の話をするようになった。子どものカウンセリングでは時折見られることだ。なんでも、自分は水底にひっそりと存在する国の王子で、試練を与えられてこの世界へやって来たのだとか。魚たちは自分の味方で、時には川の中から助言を与えてくれ、そのおかげでいくつかの試練を乗り越えることができている、などなど。

 彼女はその空想を傾聴し続けた。しかしあるとき、そのクライアントが、その空想を「本当のこと」として信じ込んでいることが露呈する。学校で突然「国に戻る」と叫び、そのまま校門を飛び出して、近くの川へと数十メートル上の橋からダイブしたのだ。

 奇跡的に一命は取り留めたそうだが、その心理士は自責の念を拭えない。私は失敗した、と本には書いてあった。クライアントの話を、空想ではなく、精神疾患に基づく妄想として適切に取り扱っていれば、然るべき機関での治療につなげられたのだと。彼が危険な行動を起こさずに済んだのだと。

 つまり、僕は先生の精神状態を疑っているわけだ。精神的、あるいは脳機能の一部に何かしらのトラブルを抱えているのではあるまいか。それが、先生に「キリンが近付いてくる」というありもしない幻想を抱かせているのではないか。

 先生は、力なく首を振った。

「ないね。おかしなものを見たことも、聞いたことも」

 僕は、そうですか、とだけ答える。いずれにしても、先生の答えをそのまま鵜呑みにすることはできない。奥さんはどう考えているのだろうか。聞いてみたいが、今のところこちらへ顔を出す気配はない。後でこっそり話を聞く必要があるのかもしれない。

「すまないが、キリンの話は現実だと私は確信している。もっとも、そんなことを信じている自分自身を疑いたい気持ちでいっぱいだがね。そして、君はどうも、私があらぬことを口走っていると考えているようだ」

 どうやら先生は、すでにこちらの意図を看破していたようだ。

 僕は苦笑いを浮かべ、すみません、と言うほかない。

「お見通しでしたか」

「無論だね。君は名探偵に向いていないようだ」

 わずかに先生が笑みをこぼすのを見て、僕は安堵する。少なくとも、先生の洞察力やユーモアがすべて失われてしまったわけではなさそうだ。

「折り入って」

 先生が、また真顔に戻る。

「折り入って、頼みがある」

「何でしょう?」

「私の部屋に、泊まってほしいんだ。君も同じキリンを目にするのかどうか、確かめたい」

 先生は、どんよりと濁った眼でこちらを見ていた。

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