温度
「あ、そう言えば君くらいしっかりしてたらクラスでも頼られてるでしょ? 男子からはモテモテなんじゃない」
幸寿の無理に絞り出した言葉に鈴音はクスクス笑い出した。
「本当にお優しいですね。砂田さんこそ職場ではモテモテなんじゃないですか?」
「え、いや……実は全然」
「ふふ、意外ですね。私は全然モテませんよ。交流もないですし」
まあそうか、こんなに大人びてたら周りから浮くかもな…
「あ! 今『そんな風なら周りから浮いてるだろ』って思いませんでした?」
「え! い、いや! そんなことは全然……全然だよ」
「ホントですか? 身体一杯使って誤魔化そうとしてますけど?」
イタズラっぽい表情で言う鈴音に幸寿はすっかり慌ててしまっている。
これじゃどっちが大人だか分からない。
「いやいや……あの、ホントに……」
「ふふっ、砂田さんとお話してると何でこんなイジワルになっちゃうんですかね? ゴメンなさい、いじめ過ぎちゃいましたね。言葉が見付からない時は無理して話さなくてもいいんですよ。言わなくても伝わる事、一杯あるんです」
言わなくても伝わる事……
「それに言葉のない空間も心地良いですよ。本当に静かな部屋にいると、雨や風、雪の降る音まで凄く良く聞こえます…ほら、雨が降ってきましたよ」
「……あ」
本当だ。
小雨だったので、気付かなかった。
「もっと耳を傾けると、他にも色んな音が……足音や木々の音や遠くを走る車の音。ペットの犬の鳴き声。そんなのが混ざってとてもホッとする空間になるんです」
鈴音の言うように、静寂に耳を傾けてみると外の雨音がとても良く聞こえる。
そして、その内その音に包み込まれているような安心感や心地良さを感じてきた。
こうして外の音をじっと聞いたのはいつ以来だろう。
時間を経つのも忘れてボンヤリしていると、突然コーヒーの香りが鼻に飛び込んできた。
ハッと横を見ると、ニコニコ笑いながら鈴音がコーヒーをテーブルに置いた所だった。
「どうぞごゆっくり。お砂糖とミルクも置いておきましたので」
そう言ってカウンターに戻る鈴音を見ていると、まるで幸寿よりもすっと年上の女性に見えた。
あんな小学生……いや、下手したら中学生も自分の周りで見たことない。
不思議な気分で出されたコーヒーをそのままで飲んで見る。
「……美味しい」
深くほろ苦いが、落ち着く優しさも感じる香りだった。
そして飲んでみるとその香りのままの味わいが優しく身体に染み渡って行く。
「良かった。ゆっくり飲んでいて下さい」
結局それから幸寿はボンヤリとコーヒーを飲みながら窓の外を見ていた。
鈴音は何も言うことなく、気づいたら幸寿の向かいの席に座り二人で窓の外を見て一時間ほど過ごした。
幸寿は店を出る際料金を払おうとしたのだが「お詫びですから」と何度言っても断るので、ふと思い立って今後も定期的に店でコーヒーを飲ませてもらう、と提案した。
当然料金を払って。
そう言うと鈴音は少し驚きながらも
「もちろんです。そんな嬉しいご提案をして頂けて嬉しいです」
店を出て家への道を歩きながら、幸寿は多幸感に包まれていた。
職場の近くにこんなに素晴らしい場所があるなんて。
これから仕事に行くのも楽しくなりそうだとすら思えた。
それから幸寿は宣言通り鈴音の店にほぼ毎日足繁く通った。
それまではアパートに帰っても一人ということもあり時間を持て余していたが、今では仕事終わりが待ち遠しいとさえ感じている。
理由としては、あの店のどこか外界から隔絶されているような
彼女は見た目に寄らず実に様々な事を知っており、それは
決して押し付けがましくなく、それでいて何かに悩んでいるときは、さりげ無くコーヒーのお代わりや菓子類を持って来る体で近くに来て、幸寿の方をジッと見ている。
まるで心でも読まれているのでは、と思う程の洞察力だった。
また、何故かは分からないが鈴音の声や話を聞いていると、まるで音楽を聞いているように心地良くなってくるのだ。
幸寿も人並みに友人関係は持っているつもりだったが、こんなに誰かと過ごして満たされる気持ちになったのは初めてだった。
だが、それほどに会話を重ねていたにも関わらず、何故だが鈴音の昼間の姿、学校生活については未だに全く分からなかった。
彼女が何処の学校に通っていて、どんな生徒なのか。
友達はいるのか。
それどころか、最初に聞いていた「祖父」なる人物の顔も見たことがない。
一度聞いてみたことはあるが、その時は「近くの学校に通ってます」「祖父は病気がちで」と言う返答のみだった。
もっと突っ込んで聞こうとも思ったが、その時はそれまでずっと暖かい陽の光のように感じる彼女の口調が、スッと温度を下げているように感じるためそれ以降は聞くことは無くなった。
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