第19話 何かが変わる時(宮里咲楽)
おばあさん(観鈴さんのお母さん)の話は、僕にとってはとても衝撃的な内容だった。
それは20年前の鎌倉神社のお祭りの日、観鈴さんはお母さんに何も告げずに消えてしまうというのだ。
今年もそのお祭りは、昔と同じように10月10日に開催される。
「あと、10日…」
恐らく僕もなんらか関わっているのではないだろうか…、いや絶対に関係していると思う。
おばあさんによると、観鈴さんは、高校の美術の教師になったのを機に実家を離れ、高校に近い鎌倉西郵便局前のアパートに住んでいたそうだ。でも、ちょくちょく実家には帰ってきていたようだ。
観鈴さんからすれば、女で一人で育ててくれたお母さんのことが心配でたまらなかっただろう。だけど、親元を離れ一人でしっかりと生きていくことを選んだこともまた観鈴さんの正直な思いなんだろう。
重い足を引きずりながら自分のアパートに戻ってきた僕は冷蔵庫を開けると、随分前に買ったまま放置していた缶ビールを取り出し、プルタブを乱暴に引き上げ一気に半分以上を飲み干した。
「咲楽くん、アルコール苦手じゃなかった?」
急に聞こえた声に驚いて振り向くと玄関に立つ栞奈さんがいた。
「何度か呼んだんだけど、全く返事がないから、ドアノブを回したら開いたのでちょっとね」
いつもの彼女みたいな感じではない…。なんて表現していいかわからないが、全く違う目で僕を見つめているような気がする。
内心慌てている僕を知ってるかのように、ふふっと笑うと栞奈さんは突然話を切り出した。
「ねぇ、夕御飯はどうするの?」
「いや、まだ何も考えてないけど」
「そう。良かった。じゃあ、これ食べて」
そういいながら彼女は鍋を僕に渡す。
「えっと、、」
ありがとうの一言がすぐに出てこない。なんで僕に?どうして?なんてことを考えているとそれを見透かしたように彼女はこう言った。
「これね、ちょっと作りすぎたのよ。おでん。私、おでんは関西風がすきだから出汁は薄めでさ。とにかく具材の味が際立つ感じが好きなんだけど、実は、久しぶりに上手く出来たからお裾分けってことで…」
彼女は、少し頬を赤らめて僕の顔を見つめる。
「ねぇ、あとさっ。咲楽くん。ちょっと話があるんだけどいいかな?」
「じゃあ、見ての通り散らかってるけどどうぞ」
彼女の表情になにか決心のようなものを見た僕は、これまで一度も女性が入った事のない自分の部屋へと彼女を導いた。
「珈琲でも飲む?」
「うん。ありがと。でも、私はミルクたっぷりのやつがいいな」
「うん、大丈夫。牛乳もあるから。任せて」
「はーい」
ちょっと甘えたような可愛い声で返事をした栞奈さんを見る。
さっきの険しい表情は少し消えているもののやはりいつもとは違っている。
これからどうやって話せばいいのだろうかとなんだか悩んでいるようにも見えた。
「ところで栞奈さん、話って、」
「うん、ちょっとだけ待って、頭の中で整理しているから」
「いや、急がせるつもりではないんだ。ごめん…。そうだ、まずは珈琲を入れないとね」
僕は、ガスコンロに置いていたやかんに水を入れると火を点けた。
そして、ミルに豆を入れ、ゆっくりとハンドルを回していく。『ゴリゴリ』という音と共に珈琲の良い香りが仄かに漂ってくる。
ペーパーに、挽いた豆を入れると丁度良い具合に水が沸騰してきた。火を止めた僕は、やかんから慎重にペーパーへと少しずつお湯を落として行く。
お湯を含んだ瞬間にペーパーに置かれた珈琲豆がどんどん膨らんでいく…。
僕は、この瞬間が好きだ。嫌な事も悩みもこの作業をすることで少しだが忘れることが出来るのだ。
だから、今日の出来事もこの時間に少しずつ整理しようと立ち上がる湯気をじっと見つめていた。
その時、その静けさを消すように栞奈さんは呟いた。
「咲楽くん、私、咲楽くんが好き…」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます