第1章
月光に導かれし邂逅
第1話
神様は世界を創り終わった際に、世界を捨てた。
そして天使は世界にイタズラをし――――世界を破滅へと向かわせた。
即ち、天使は悪である。
王都エヴェロンの真っ暗な路地裏に無数の松明の炎が走る。重い鎧を着込んだ騎士たちの足音が響き渡り、淀んだ空気を更に重くさせた。
光で反射した甲冑が不気味に銀色に輝き、下水道から顔を出した鼠もビックリしてすぐに闇の中へと身を引っ込めた。
狭いおんぼろアパートの前に勢揃う騎士たち。松明の明かりに照らされる、白の外套の真ん中に刻まれた真っ赤な十字架が異様に誇らしげだ。
最先端の二人が頷き合ってから突入してから、他の騎士も後を続いて押しかける。玄関の明かりが点滅する中、階段はギシギシと悲鳴を上げる。
けれど、軋み音はある時点を境にぷつりと止んだ。3階の突き当りにある寝室――報告にあった異端分子の住まう部屋に到着したのだ。
一瞬の後、建物全体に緊張感が走った。
「ミア・アドラー! 其方が異端者との報告を受けた。大人しく我々と付いてくるがいい!」
夜中にも関わらず、先端に立つリーダー格の騎士が無遠慮に声を響かせ、ドアを蹴り落とす。
「きゃああああああ!」
少女の悲鳴が空気を切り裂き、たちまち5名の騎士がリーダーの後に続いて、シフトドレスの少女を包囲する。全身がベッドに入っていることと乱れた茶髪から鑑みるに、彼女が就寝中に邪魔されたのだと一目瞭然だ。
「ミア・アドラー! 其方を異端者の疑いとして拘束する!」
「待って! 私はミアじゃないッ!」
「この期に及んでまだ名を騙るつもりか、この異端者め! いいから、大人しく付いてこい!」
真夜中に自身よりガタイのいい男が5,6人部屋に押し込まれ、恐怖を感じない少女がいるはずもなかろう。
逃れようと少女が暴れ出し、初めての捕縛に苦戦する二人の若手騎士。膠着状態が続く中、癪に障ったリーダーが直接少女の頭をわし掴み、ベッドから引きずり下ろし床に押さえつける。
――ドン!
鈍音が部屋の外まで響き渡り、頭を打った激痛に少女は涙目になった。しーんと静まり返った現場の中、幾つの固唾を呑む音とすすり泣きがハッキリと聞こえる。
「いいか、お前ら。異端者には容赦するなんざ必要がねえ。奴らは我々の故郷を奪った、忌み嫌うべき対象だ。くれぐれも忘れないように」
構わず力を込めるリーダーの“有難いお言葉”に、若手騎士たちが返事せず、茫然と立ち尽くしている。
現実を受け入れないよりも、自分自身に言い聞かせているのと似だ。
異端者分子はネズミ以下だと。
「お願い、話を聞いて! ――密告したのは私なの!」
「なんだと……?」
は、と若手騎士の眼が見開く。
一体何を言ったんだ――脳裏が質問に支配される中、少女はリーダーの手から解放されるも鋭い眼光からは逃れられない。
「ぴ、ピン! そう、確かここに……」
少女が這いつくばるようにしてサイドテーブルへ寄ると、引き出しからあるモノを取り出し、「あった!」と震える手で差し出す。
受け取ったリーダーが確かめるように目を眇めても、仄かな光の中で色まで判別がつかず、舌打ち一つ。
「は、はい、ただいま!」
ハッとなった若手騎士が慌てて自分の松明を近寄ると、紅い十字架のピンに瞠目。
彼らのマントと同様の紅い十字架は、教会の人間である証だ。けれど異端審問会軍団の彼らとは違い、聖職者でもない一般人が所持しているとなると話が変わってくる。
我が身可愛さに身近な人間を売っても厭わない下衆――教会のために働くスパイである証だと。
「ッ!」
驚いた若手騎士が思わず室内を見回し、初めて二人用の部屋だと知る。
ルームメイトを売ったのか――そんな推測に辿り着くのに二秒も掛からない。実際に密告した者には報酬が用意されていたと聞くし、教会の勢力が日に日に増す今、このようなことが起きても不思議ではない。
今まで自分は暖かな家庭でぬるま湯を浸かっていたのだと見せ付けられた気分で、恐ろしい悪寒を感じて身を震わした。
「フン、なら最初からそう言え。紛らわしい」
やっと少女の言い分を信じる気になったリーダーはピンを彼女に投げて、別のベッドに近付く。布団の膨らみ具合からして、恐らく人が寝ているだろう。
だけど入室した時からずっと感じていたこの妙な胸騒ぎは一体何なんだ――不安を覚えながらも強圧的な背中を眺める若手騎士。
「ミア・アドラー! 其方を異端者の疑いとして拘束する!」
勢いよく引き剥がされた布団から何重に包まった毛布が現れ、若手騎士は茫然自失。彼らはまんまと嵌められたのだ――あたかも人が寝ているように見せかけるためのフェイクに。
「クソっ、嵌めやがって……!」
眼下のベッドを蹴ったリーダーの怒声が波紋を起こし、ひそひそ騒ぐ騎士たち。
「教会に歯向かうおかしな女がいるとは、どんなだけ命知らずだ」という難癖から「これからどうする」というリーダーの顔色を窺う声まで様々だ。
次第にひそひそ声が大きくなる中、リーダーの肩が怒りで震えている。
「おい」
ドスの効いた声一つで雑談がピタリと止み、ゴクリと喉仏を鳴らす音がやたらと響く。当然と言えば当然の話。振り返ってきた怨念に濁った黒い双眸は今でも火が噴きそうだから。
「何ぼさっとしてる? さっさと探してこい!」
ハッと騎士たちが一斉に踵を鳴らし、わらわらと部屋を出て行く。やがて辺りが静まり返った頃、
「クソ、クソっ、クソッ。この、俺を、嵌めるとはっ。いい度胸してんなあおい!」
凄まじい形相で身近の家具を手当たり次第に蹴るリーダーに、耳を塞いでひいひい怯えているルームメイト。ほとんど八つ当たりの怒りをぶちまけたのに、凄まじい憤怒がまだ眉の辺りに這っている。
「――ミア・アドラー、いつか必ず、貴様を火刑台の上に引きずり込むから、今の内に束の間の自由を味わうがいい」
天使狩りが蔓延る王都エヴェロンから遠く離れたところに、黒いフードを深く被っている人物がいる。腰まですっぽり隠れるマントを羽織っているせいで服の上から体格を判別するのは難しいが。
バスケットを提げていることと女性の間で人気を博していた白いフィンガーレスニットグローブを付けているから鑑みるに、恐らく女性で間違いないだろう。
けれど、こんな深夜に一人で歩く女がいるはずもない。精々脳内お花畑なのか、それとも同伴なしに夜道を歩かざるを得ない事情にあったのか、そのどちらかだけだ。
「……? 気のせいでしょうか」
名前が呼ばれた気がした彼女は慌てて振り返った。
が、後ろに誰も追ってこない上に王都が小粒に見える現実が気のせいだよと知らせて、改めてホッと胸を撫で下ろし歩き続ける。
「一時にどうなるかと思ったけど……何とかなってよかったー」
きっと今頃は血眼になって探しているだろう――少し
「あーあ、折角この名前が気に入ってたのに、変えなきゃいけないなんて……」
頭上で広がる星空に向かって呟くと、無数の星々がこちらの事情といかにも関係なしに輝いているのを見てふふっと笑い声が漏れる――その時。
「きゃっ」
突然の夜風に吹かれたフードは滑り落ち、灰色の長髪が姿を現す。空のイタズラに彼女は小さく息を吐いては再び見上げる。
「次の名前は何にしよう……」
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