悪夢と流儀と甘ちゃんと
ぐっすりと眠っていた俺だが、目覚めは唐突に訪れる。
「スヤスヤ……ぐげっ!?」
腹部に強烈な衝撃を感じて、その衝撃を前に意識が完全覚醒してしまったのだ。
「げほっ! がはっ! な、何だ? 敵襲か?」
飛び起きてみるが、周囲に当然敵襲などいない。
一体何が? ふと衝撃の感じた方を見てみれば、俺のか弱いボディをがっしりと掴むエルマの手。瞬間俺は、エルマに叩き起こされたのだと理解した。
「……ったく! いきなり何しやがん――だ?」
口にした苦情の言葉を、思わず呑み込んでしまう。
見ればエルマの目は、固く閉じられたまま。どう見ても、起きている様子ではない。更にはどこか苦しそうに顔を歪めて、大粒の汗が額に浮いている始末。その様子、どう見ても普通ではない。俺は必死に力強くホールドしてくるエルマの手を解くと、彼女の方へ駆け寄る。
「おい! おい! 大丈夫か?」
先述の通り、俺は本来眠っている人間を起こすようなことはしない。
だが、この状況では話が別だ。どう見ても、明らかに様子がおかしい。いい夢を見てふやけた声を漏らしながらニヤけていた時とは逆に、今度は悪夢に魘されて苦しんでいる様子。
これを放って置くことなど、流石に出来ない。悪夢なんか、見てもいいことは何も無い。
「おい! おーい! おいってば! 起きろ!」
「うぐっ……お……お母……さん……や……めて……お……お願い……やめ――」
「おい、起きろっ! 起きろっ! この……起きろって言ってんだろ、エルマぁっ!」
「――はっ!? はぁ……はぁ……はぁ……」
飛び起きたエルマの表情は真っ青で、大粒の汗を滲ませて息も絶え絶え。必死に毛布を掴むその手も、その華奢な体も、恐怖からか不安からか小刻みに震えている。
反射的に「大丈夫か?」と声を掛けそうになってしまったが、その言葉は口に出さずに飲み込む。そんな事聞くだけ野暮というモノだろう。どう見ても、大丈夫ではない。
俺は風魔法を使ってベッドからゆっくりと降りると、キッチンへダッシュ。手近にあったコップを軽く濯いでからその中を水で満たし、この体には重いそれを風魔法の補助と共にしっかりと抱き締めながら、いそいそとエルマの元へと戻る。
「……飲める?」
「え、ええ……」
弱弱しい口調でそう答えると、震える手でコップを手に取る。薄暗い中でも見えるくらいに、気の毒なほどカサカサに乾いてしまった唇にコップを付けて、中の水を一気に口内から喉へと流し込む。
「酷く魘されていたぞ。怖い夢でも見たのか?」
俺が静かにそう問えば、エルマは小さく首肯する。
しかし、聞いたはいいがどんな言葉を返せばいいのやら。逡巡の後に、俺は「そうか」とだけ小さく答えた。
「……内容、聞かないの?」
「細かく聞いて欲しいのか?」
「そう……じゃないけど……」
言い辛そうに言葉を濁し、自分で自分の体を抱き寄せるように小さく縮こまる。
「けど、何だ?」
「……やっぱり、興味無いんだと思って……私の事なんか」
「はぁ?」
「まあ、そう……だよね」
絞り出したような弱々しい声音で告げられたその胸の内に、俺は思わず唖然としてしまう。そして肺――まあ、絶対この体に肺どころか臓器の一つとして無いだろうが――だけでなく全身から空気を絞り出すように深々とした溜息を零す。
「さては……お前、バカだな?」
「――なっ!?」
心底バカにしたような視線と共に、これ以上ないほどにシンプルかつドストレートな一言をぶつけてやれば、エルマの顔が凝然と固まる。
「――だ、誰がバカよ!」
「いやぁ、馬鹿だろ。ビックリするわっ!」
「このっ! バカバカ言うな、バカっ!」
「いいや、今回だけは確実にお前がバカだ! 俺が興味無いって? ざけんな、滅茶苦茶気になるわ。アレだけ横で魘されていたらどんな悪夢なのか知りたくなるし、出来るならこの場で根掘り葉掘り聞きだしてやりたいところだっての!
けど、流石に嫌だろ? 俺たちはまだ、出会ったばかりだ。そんなまだ信頼も築けていないような奴に、あれこれと自分の事を明かすのは勇気がいるし怖い。それに誰だって、触れられたくない過去や思い出したくない記憶くらいあるだろ? 俺にだってあるさ。そしてもし俺がお前の立場であれこれしつこく色々聞かれて、触れられたくない過去に触れられたらウンザリする。だから聞かない。人にされて嫌なことはしない、それが俺の流儀だ」
「……ご立派な流儀ね。往来で女の子のスカート覗いたり捲ったりしていたヤツのセリフとは思えないわね」
「バカ野郎! それとこれとは話が別だ。いいか? スカートの中には、男の夢と希望が詰まっているのだよ。それを『覗くな』『捲るな』なんて、『死ね』ってのと同義だぞ!」
ドンッ! という効果音が付きそうなほどに胸を張って、自信満々にそう答えてやる。
すると訪れるのは、暫しの沈黙。そして。
「…………ぷっ! あはははははははは!」
突然噴出した後に、堰を切ったように捧腹絶倒するエルマ。
「バカだ! 本物のバカがいる!」
「バカバカ言うな! あと、そこまで笑うな! 悲しくなるだろ?」
「いいや、これは笑うしかないでしょ! 何せ君は、私の人生で後にも先にも絶対出会うことのない、次元を超越した超ド級のバカなんだから!」
「お前なぁ……」
「あ~ぁ、おっかしい。なんか、バカと喋っていたせいか、悪夢なんかどうでもよくなってきちゃった。まだ外も暗いし、寝直すとするわ」
そう言い残して、エルマはベッドにゴロンと横になる。
追撃の文句を口にしようとしていたのだが、折角悪夢で叩き起こされたヤツが気を取り直して眠ろうとしているのだ。そんな野暮なことは出来まい。口にしようと思った文句をグッと呑み込んで、俺も不貞腐れたような態度でベッドに横たわる。
「でも、意外だったなぁ」
「……? 何が?」
「下僕の分際で、私を気遣ってくれるなんて」
「下僕下僕言うんじゃねえ! まあ、こう見えても社会人なんでな。社会人たるもの、気遣いはマナーだ。覚えておけ?」
「ふぅん……」
「だから、お前にだって気を遣う。お前が聞いて欲しくないことは聞かないし、踏み入って欲しくない場所には立ち入らない。逆に、もしもこれから先でお前が俺に話してもいいと思えるようになったら、その時は全部包み隠さずに気が済むまで話せばいい。黙って全部聞くし、この胸でドンッと受け止めてやる。まあちょっと頼りない、顔より小さな胸だけどな」
「……威勢のいいことを。まあ、そんな時が来るとは思えないけど、もしもそんな時が来たら、お願いするわ。その小さな胸同様に、あんまり期待しないでおく」
「可愛げのないことを……クソ生意気なガキンチョめ!」
「誰がガキンチョよ! 全く、バカに付き合うのはもう疲れたわ。……お休み」
言いたいだけ好き放題言って、それっきりエルマは口を閉ざしてしまった。
相変わらずそっぽを向いたままで、寝ているのか起きているのか判然とはしない。
まあ、いいさ。とりあえず、減らず口が叩けるくらいには心が持ち直したみたいだし。
「お休み。いい夢見ろよ」
呟いた言葉に、返事はない。でも、それでいい。
さて、ちょっとは良いことしたし、俺もいい夢みられないかなぁ……そんなことを考えながら、俺は目を閉じる。
えっ? そんな恩着せがましい物言いだからいい夢見られないって?
うっさい、ばーか!
◇
「……ね、眠れない」
下僕と会話をしてから、数十分は経っただろうか。
幾度目を閉じても眠れないために、観念して起き上がる。見れば外は、まだ暗い。
視線を隣へ移してみれば、小さな体でスヤスヤ呑気に寝息を立てる二頭身。いつもの定位置で寝転がっているのは変わらないのだが、寝息が聞こえてくると何だか違和感が凄い。
しかし、何故だろうか……呑気に寝ている下僕を見ているうちに、何だか無性にモヤモヤイライラしてきた。そうだ、私が今寝付けないのは、多分こいつのせいだ。こいつの言葉が、振る舞いが、胸に引っかかる。
腹いせに、頬を突いてみる。しかし、反応はない。大分ぐっすり眠っているらしい。これなら、ちょっとやそっとじゃ目を覚まさないだろうか。まあ、いい。別に叩き起こして語り聞かせてやるようなことでもない。そう、これは私の憂さ晴らしなだから。
「確か、『気遣いは社会人のマナー』だったかしら? 君が元居た世界は、そういう思想で満たされているの? だとしたら、随分と甘ったるいわね。君も、世界も。何せ、自分に最低限度の気も遣ってくれない相手にまで精一杯気遣いしちゃうんだもん。それをマナーと刷り込まれて疑わないなんて、どうかしている。与えるだけ与えて何も求めないだなんて、搾取する側からすればこれ以上ないほど都合のいい思想だわ。甘ちゃんの君は、きっとこの世界で地獄を見ることになる。この世界は、君が元居た世界ほど生易しくなんかない。気遣いがマナーだなんて甘っちょろい思想を持ち続ければ、きっと後悔する。早く気付けると良いわね……この世界が、そんな甘い思想が通じるような優しい世界ではないってことに」
無性に沸いたイライラやモヤモヤは、多分こいつの言葉が節々から甘ったるかったから。それに対する、私の拒絶反応なのだろう。言葉にして、少しはスッキリした。勿論直接ぶつけてやるのが一番スッキリとしそうだけど、生憎とそこまで手取り足取り教えてやる義理も義務も私には無い。それに無駄に頑固そうだし、言っても聞かないだろうからね。
見れば相変わらず、呑気に寝息を立てている。それでいい。今だけは、精々平穏を堪能しているがいい。
「明日からきっと辛い目にばかり遭うから、精々今日は体を休めときなさい」
聞こえてはいないだろう彼に向ってそう呟くと、私はもう一度瞳を閉じる。
心のモヤモヤは、大分晴れた。イライラも、大分緩和された。お陰で多少、微睡んできた。
今度は、夢を見ないうちに目を覚ましたいなぁ……そんなことを考えながら、私は静かに目を閉じた。
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