唐突なカミングアウト

 解放された俺はエルマを座らせ、その髪に鬼火由来の温風を当てる。流石に髪が長いので相応の手間は掛ったが、大体十分程度で大部分の水気を取ることができた。

 あとは吸水性の高い布で更に水気を念入りに取ってやり、櫛で程よく髪を解かす。

 すると――


「おおっ! 凄いわね、君。意外な特技だわ」


 鏡の前で、様々な角度から自分の髪の仕上がりをまじまじと見つめるエルマ。

 その喜びように、俺は自然と胸を張って鼻高々といった気分になってくる。


「ふふん! どうよ? 凄いでしょ?」

「ええ、これは素直に凄い。いつもは布巻いたまま寝ていたから不便だし不快で仕方無かったけど、これならその不快感ともおさらばね!」

「へぇ……ん?」

「何よ?」

「濡れたまま寝ていたの? これまでずっと? いつも?」

「ええ、そうだけど? それが何か?」


 髪は、濡れたままの状態が一番傷みやすい。

 長年そんな生活を続けていたというのに、エルマの髪質は実に美しい。彼女の髪をカツラやウィッグとして売り出せば、美容に気を配るマダムを中心にさぞかし大勢の買い手が付くことだろう。それほどの髪質ゆえにさぞかし念入りな手入れをしているだろうと思っていたのだが、まさかこれ以上ないほど雑な扱いをされていたとは……いやぁ、ビックリ仰天。


「今日からは、ちゃんと乾かして寝ような? 濡れたままは、髪によくない」

「え、えぇ……そうね、そうするわ。それにしても、随分と手慣れているようだけど、そういう仕事でもしていたの?」

「いや、別に。ただ、昔母親にも同じようなことをしていたからな。その時の経験ってとこ。まあ、昔取った杵柄ってヤツかな?」

「昔取った……何だって?」

「昔取った杵柄。昔に身に付けてから衰えない技術や技量の事を指す、俺の世界の諺だよ」

「ふぅん。なんか、妙に古臭い言い回し。それに、俺の世界って変な言い方ね。まるで別の世界からここへ来たって、そう言っているように聞こえるけど?」

「えっ? ああ……まあ、いいか。そう、その通りだよ」

「まあ、そうよねぇ……へっ? はぁあああああああああああああああああああっ?」


 驚嘆の声を上げ、動揺から目を白黒させるエルマ。


「ど、どどど……どういうことだってばよっ!?」

「どういうことだってばよ? 落ち着けよ。語尾が変なことになっているぞ?」

「だ、だっていきなり変な冗談言うからぁ……」

「そこまで驚くとは、悪かったな。でも、冗談でも嘘でもなく、俺は元々この世界の人間じゃない。別の世界で生まれ、その世界で死んで、そしてこの世界へと転移してきた。女神様のご加護でな。お前が評価するこの風魔法だって、その時に女神様から貰ったモノだよ」

「へ、へぇ……そ、そうなんだ?」

「まあ尤も、転移時のトラブルで肉体を用意して貰えなくて、ご覧の通りの有様になっているんだけどな」

「……いや、でもそんな事あるワケな――くもないのか。文盲だけど言葉を知らないワケでは無さそうだし、それどころか私の知らない言葉をたくさん知っている。名前だって、あまり聞かない響きだし。妙だなとは思っていたけど、なるほど確かに異世界の人間なら不思議ではないのかも」


 一人ぶつくさと呟きながら、自身の思考を整理するエルマ。

 そして考えが漸く纏まったのか。


「正直まだ完全にはムリだけど、その話信じるわ。説得力もあるし、何より……」

「……? 何より?」

「別の世界があるなんて、中々にロマンチックな話じゃない。まあ、私が足を踏み入れることは無いだろうけど」

「それはまぁ、多分そうだな。けど、一つ言っておくが……俺の世界はそこまでいいモノじゃないぞ。金が無いと何にも出来ないし、魔法も無ければロマンも無い。あるのは厳しい現実と、冷たい人の心だけだ」

「何か、殺伐とした世界みたいね。まあ、別段ここも大差ないと思うわよ。違いは魔法の有無と文明の発達度合いくらいかしらね」

「そんなことない。きっとこの世界には、ロマンがあるさ!」

「どうだかねぇ……あっ、もうそろそろ寝ないと。夜更かしは美容の大敵だわ」

「美容って、一切気を使ってない髪の手入れしていた癖に」

「うっさい! ほら、さっさと寝るわよ!」

「はいはい」

「はい、は一回!」

「はーい」

「伸ばしてんじゃ……もういいわ。さあ、寝ましょうか」


 そう言って、エルマは俺を小脇に抱えるとベッドへと潜り込む。


「じゃ、おやすみなさい」

「ああ、お休み――じゃないな、ちょっと待て!」

「何よ?」

「いや、『何よ』じゃない! 何で同衾!?」

「そりゃ、ここは私のベッドだし」

「知ってるわ! 何で俺まで一緒に潜り込んでんのかって聞いてんの?」

「仕方ないでしょ? 滅多に人の来ないこの家に、寝具なんか一個しかないんだから」

「……ああ、そうか。友達いないから――」

「捻り潰すわよ?」

「すんません」

「まあ、そんなにイヤなら床で寝る? 言っておくけど、寝心地よくないわよ?」

「……うっ!?」


 昔は酔い潰れて固い床で雑魚寝なども出来たのだが、生憎と社畜生活で鈍った今の体ではそれも厳しい。だって、夜はぐっすり寝たいじゃん! 睡眠大事。固い床とか、絶対無理!


「あ~あ。よく働いてくれて、おまけに髪まで乾かしてくれたから、折角同じベッドで寝かせてあげようかと思ったのに。まあ、イヤなら仕方ないわ。大人しく、床で寝てなさ――」

「――ごめんなさい! 勘弁してください。同衾でお願いします」

「全く、最初から素直にそう言いなさいっての。あと同衾ってやめて。いかがわしい感じがするから。もふもふ二頭身と一緒に寝たって、何ともないでしょうが」

「……ごもっともで」


 おずおずといった感じで、エルマのベッドへ潜り込む俺。

 そしてエルマの枕の上に寝転がると、そっと毛布をかけられる。


「はい、それじゃあお休みなさい」

「お休みなさい」


 優しい口調でそう言い残すと、エルマはさっさと目を閉じてしまった。



 エルマが目を閉じてからあまり間を置かずに、彼女から寝息が漏れ聞こえてくる。

 どうやら、寝つきはいい方らしい。悪戯したくなるくらいに、スヤスヤと穏やかな表情で眠っている。

 他方、俺はと言えば。


「……ね、眠れん」


 カフェインを過剰摂取した直後の様に、目がバキバキに冴えていた。

 それもその筈。何せ今の俺は、エルマに絶えず頬ずりされていたのだから。

 経緯を説明すると、アレは彼女が深い眠りについてから数分経った頃だろうか。


「う~ん……」


 唸るような声と共に寝返りを打った瞬間、俺の顔の真横にエルマの顔が最接近。

 いや、流石に近すぎると思った俺は距離を取ろうとしたのだが、瞬間無意識のエルマの手が俺に伸びてきたのだ。その手に顔面を鷲掴みされる形で敢え無く捕獲された俺は、そのまま引き寄せられて頬に押し当てられてしまう。

 無論逃れようとするのだが、如何せん握力のホールドが強過ぎる。いや、俺の膂力が貧弱過ぎるだけか。とにかくガッチリと捕獲され、逃れようにも逃れられない。


「んふふ……」


 相当いい夢を見ているのだろうか。ニヤケ面でふやけた声を漏らしながら頬をスリスリしてくるエルマ。起きているのかと勘繰りたくなるのだが、生憎と間違いなく眠っている。狸寝入りなどでは、断じてない。

 無論魔法を駆使して叩き起こしてやることも不可能ではなかったのだが、流石にそれは気が引ける。いい夢を見ているところで無理に起こされるのは可哀想だし、俺自身も眠っているところ叩き起こされたら腹が立つ。自分がされて嫌なことは、人にしない主義なのだ。


「そうだ。俺はぬいぐるみ……そうだ俺はぬいぐるみぃ……」


 しかし、このまま眠れないのは困る。だからこそ、俺はとうとう自分に暗示をかけることにした。そうとも。眠っている持ち主に抱かれるのは、ぬいぐるみの宿命。かく言う俺だって、子供の頃はポケ〇ンのぬいぐるみとか抱いて寝ていたし。

俺はぬいぐるみだ。そしてこうして扱ってもらえるのはぬいぐるみ冥利に尽きるのだ。そうして幾度も自分に言い聞かせたことが、功を奏したのだろう。


「あっ、ちょっと眠くなってきた……」


 心地よい微睡を覚えた俺は、その微睡を遮らぬよう細心の注意を払って目を閉じる。

 さて、明日はもう少し楽しい一日にならないかぁ……いや、無理か。俺、ぬいぐるみで奴隷だし。内心でそう自嘲しながら、俺は静かに微睡の底へと落ちていった。

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