アンコモン・センスの強奪

テクスチャーの演習

アンコモン・センスの強奪

買い物は、それをしている時が最も楽しい。ゲーテも言っていた「これが私のものになるのだという昂揚感。私でありスーパーのもの、この牛乳もアイスも。まさに我が子同然の親しみを痛感する瞬間がそこにある」と。道を歩けば颯爽と飛び込んでくる赤青黄の食材たち。野菜。セロリもパセリもみんなが仲間。ピーマンが嫌いだ、なんて言わせない。その緑々しさは図らずも丁寧で、どの遊郭へ行こうとも触れることができない艶やかさ。肉。失われた時その頃、私たちの1ピースを担っていた、寸歩違わず同じ存在。それが「嘗て」という表現で済まされたとしても、私が美味しくふるまうのだから、対手も文句は言えないだろう。果物。甘美の王様。ピーマンが艶やかだと言ったけど、あんなのまやかしだ。レモンに勝てるか?リンゴに勝てるか?終いにドリアンに勝てるか?否。それらを一緒くたにしてはいけない。親和性と対立のボーダーがせめぎ合う彼らの美的精神。固有の栄養分に、彫刻のフォルム、立ちどころに酩酊させる匂い。この要素をちょっとでも知っているなら、果糖ブドウ糖がべちゃべちゃに溶けた人工飲料水なんて、捨ててしまえ。そんなものはお呼びでない。私たちが必要なのはビタミンだけだ。魚。人類の祖先。私たちの血液が塩っぱい原因。知識の羅列が最も光る共通の友。食べる時、同じ哺乳類の牛や羊を食べる時には感じられない「畏怖」は病弱な体をちぢこませてしまう。なぜなら、そこには、遥かに凌駕し離すことのないエクスタシーがまみえるから。式典とはそういうもの。そして絶対に忘れてはならないのが「卵」。うっかり落としたら割れてしまう。ぶつけても割れてしまう。何をせずとも割れてしまう。だけど結局自分自身で割ってしまう。ああ消失してしまう文言よ。だけれども、そこに一縷のカラザも悲愴も感じられない反語的現象。あるのは喜びだけ。ならば感じてみよう、あの白堊のマチエールを。ならば観察しよう、パレだって使ったその白身を。触れてみよう、これが生命だという証を!

ここでスーパーマーケットを代表して言わせてもらうわ。こんなに素晴らしい環境は他にないの!決して誇張じゃないってよ。人間生きていたら、色んな所に行くわ。サヴォア邸ぐらいしか行ったことがないけれど、私には分かるわ。スーパーほど美しく、「これは人間である」としか定義できない世界が拡がっているのは、この沃土に塗れた地球のどこを探しても、中々ないものよ。ここには全ての常識。大して差異のない商品を、なんとしてでも買わせようとするコマーシャリズム。欲望。真の実在が揃っていると錯覚を思わせるイデア。遠い過去の愛人。地獄の門は開けば招くよ、愚かな民のトロイの木馬。奇妙に感じる総動員された五感。回り回ってストラテジ。それらの対立。向かわぬ止揚。「考えてみて」なんていう言葉がここでは全く通用しない。時間がない、感情でしか正常な判断ができない。大雨が降ろうが、戦争が起きようが、終末が近かろうが、ただ一つ。スーパーには商品しかない。生きる本能が、売買のバランスが、万物の初源が、カスタマーを翻弄する/魅了する。ほら。考えていることを、一瞥しただけでも楽しさが溢れているでしょう?雪解け水の分量じゃないね。滔滔とうとう滾滾こんこんの2語で表現できるキャパシティじゃないね。行動の多さにこそ、スーパーが私を形成するプロセスの一助を担う、高密度な作用があるの。一生尽きないこの喜び!満足!ああ何といいう気持ちの良さ!そして私の持っているこのカート、ここには私のセンスが詰まっている。対局の存在を重ね合わせによってとどめた有機物と無機物のユニティ。それらは私のために歌ってくれる。でもサヴォイ・トラッフルは歌ってくれない。濡れた夢も、ここでは見れない。だけど知覚が大丈夫だと励ましてくれる/判断してくれる。それがオーケーだと。今まで考えたこと、思ったこと、それらが洗練したスキルが、私の買い物という行為の所作のあるべきところに、連綿と表象されている。例示が正しいのか判決は不明だが、真にこれは「私はブロードウェイを歩いているのだ」と同じ表情を成している。

それほどの栄光が存在することを、私以外は知らない。栄光は限りなく見えにくくて、限りなく近くに存在するのだ。よく遠慮がちに「ただ選んでいるだけじゃない」と嗤う人もいるけれど、いつもその連続よ。人生なんて取捨選択じゃないの。だから少しも怖くないわ。私は行く。それが私の持ち得る全てなの!


その時見知らぬ風が吹いた。生温いそれではなく、切断する冷えた颶風ぐふうだった。それは、嬉々とする彼女の思索の範囲外の出来事だった。ある人物が、美しくない素振を見せ、彼女のカートを奪おうとしていた。

その時が今、来たのだった。

「私のセンスを返せー!」

一同シャッターを下ろして幕。

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