ムゲンを生きる。

あおいそこの

無限の夢幻


(♪~)


白いうさぎが1匹おりまして


まんまるお腹の双子が一対仲良く笑っておりまして


魔法使いが杖を1度振りまして


そしたら驚き


1つのシルクハットから人がボワリ


孤独な赤色のお姫様と


寵愛の白色お姫様


ムゲンの狭間で


迷い込んだメシア


ムゲンの狭間に


舞い込んだメシア


1つしかない脳でお国を救う


1つしかないおくびで世界を救う


(~♪)


ここ「ムゲン」の世界に代々伝わってきたお伽囃。

知らない人はいない。この歌を聞けばどんな子供も紙芝居に集まるようにその方向を向く。

謳い人はメシアの役を勝ち取り、子供はこぞって登場人物になりたがる。

泣いていた子供も言葉の意味は分からずとも笑って指をくわえて再び眠る。


「アリス!まだ皿を洗っていないじゃないか!何をしている、この、役立たず!」

「ちょっとアリス、私のドレス縫っておいてって言ったでしょ!」

「こんなことも出来ないの?馬鹿ね!アンタは所詮出来損ないアリスなのね」

アリスが拾われた家は父親が立派な君主として有名な一国の長でした。しかし大陸戦争時代に入り、父親は戦場で勇敢に死を遂げました。短いが多くの犠牲を出した大陸戦争時代の後では大陸は1つの国として統合されました。民はみなそれぞれ傷をいたわるように、敵国自国関係なく手を取り合っていました。

父親という柱を無くし、統合した国の長以外はみんな戦犯として処刑されるか、不名誉を背負わされることになりました。戦時中の一時帰国でアリスは拾われ、この家にやって来ました。父親が生きている間は国のために戦っているヒーローとして国民からも称賛を浴びました。そしてアリスは他の娘と同等に扱われていました。しかし死んでしまってからは穀潰し、と召使いの役割をさせられるようになってしまいました。

「大丈夫よ、アリス。いつかきっと本当のお父様が迎えに来て、私のことを助けてくれるわ」

毎朝自分に言い聞かせてアリスは理不尽も耐えていました。

信じる者は救われるのです。神であろうと、メシアであろうと。その者の信心深さを哀れに思い何かしらのご加護を与えてくれるのです。対価ではありません。全ては慈しみでした。

「ちょっとアリスー!!」

「アリス早く来なさい!」

「ねえもうアリス!」

昼夜問わず、アリスの都合は無視して呼び立てられては雑用を押し付けられる。平気だ、と言い聞かせていても。いつか救われる、と心から信じていても。アリスその心を悪意が蝕んでいることに変わりはありませんでした。

誰かの誕生日だった日の夕ご飯の準備をしている最中にアリスはお皿を落として割ってしまいました。

その罰として床に落ちたご飯を食べろ、と言われ食べないなら追い出す。拾い集めた残飯を口に詰め込まれる始末。

拾ってもらった恩もここまで。もうこれ以上はそれを理由にしての迫害行為を耐えられない、そう思ったアリスは夜中に逃げ出しました。

小さいお友達には一言だけ別れを告げて。

「もう、無理よ…私にはこれ以上耐えられない…」

雨は降っておらず綺麗に光っている夜の星が憎たらしいと思う程でした。

目的地もなく走り続けて、神様か誰かが。神様のような人だった父みたいな人がまた拾ってくれたいいのに。責めるような星の光を遮るための傘を差しだしてくれたらいいのに。

アリスは体力が尽きることを知らずに走り続けました。

段々と夜が明けて来ていつも目覚めるような時間になるまで走りました。開けた場所について果てしなく広がる海岸線の前に立ち尽くしていました。森の中や、川に入ることも気にせずに走ったので体中に切り傷がありました。洋服もボロボロでした。

唇を舐めるといつの間にか渇いた海の味がしました。これ以上走れない、と思うくらいにこの先の道も体力も残されていませんでした。しかし一歩前に踏み出しました。


落ちていく感覚の中に捕らわれました。海の魔物に手を伸ばされているような感覚もありましたし、激しく地面にぶつからないように上から伸ばされた手に包み込まれているような感覚でもありました。


ドスンと花畑のような匂いがする場所に落ちて、痛みがないことに驚いてゆっくりを目を開けると自分の顔を覗き込む動物たちの姿が。

「ここはどこなの?私は海に落ちたはずじゃないの?」

可愛らしいうさぎを抱き上げて手をつくスペースを作る。

「言葉、分からないわよね。ここはどこか、だけ知りたいんだけど」

「馬鹿にしないでくれたまえ。わたしは言葉が分かるよ」

「そうなの?ごめんなさい」

混乱のあまり普通だったらあり得ない状況にも適応したアリス。

「君はアリス?」

「そうよ。どうして私を知っているの?」

「そうか、アリスか!『ムゲンの島』へようこそ!早く寵愛の女王のところへ行こう」

走り出した白いうさぎの可愛いお尻の後ろに状況が飲み込めないままついていきます。

「寵愛の女王って?」

「アリスはムゲンの歌を知らないのかい?」

「ムゲンの歌?私はここに来るのが初めてなのよ。この世界のことを知っているはずないわ」

「知らないことを思い出すことだってあるのさ。さあ早く急いで。寵愛の女王は君が来るのをムゲンの島が始まった時から待っていたんだ」

「どういうこと?ねえ、どういうことってば!」

それ以上質問に答えられることはありませんでした。残飯処理をさせられるより、不思議と力がみなぎってくるこの場所で名前も知らない白うさぎの背を追っていく方がアリスにとってはわくわくしたのでした。

「白うさぎ、その小娘は誰だいね?」

「その小娘は誰だいね?白うさぎ」

「双子、小娘じゃない。アリスだよ。寵愛の女王の所に連れて行くところなんだ。2人も来なさい」

「どうする?双子」

「双子、どうする?」

「いいから!」

怒った白うさぎの毛がほんのりピンクに染まってこの世界は何でもありなのかもしれない、と思いました。自分で自分の舌を噛んでみたけれど痛いままで、夢の中ではないことを知りました。

「この帽子は…帽子屋だな。帽子屋を出しておくれ、消える猫」

「しょうがないなあ。出してあげようかあ」

「おっとっと。お茶会の時間かい?」

「帽子屋、アリスが来たんだ。寵愛の女王の所に行くからついてくるだろう?」

「もちろんだとも!アリス、アリスだね。君は」

「どうしてみんなが私の名前を知ってるの?」

「寵愛の女王が年老いたおばあ様になってしまう前にみんな行くぞー!」

帽子屋のその掛け声にみんなが足をそろえて前に進んでいくのでした。アリスの混乱は増すばかりでしたがそれでもついていくしかありませんでした。この世界の、ムゲンの島の右も左は、もしかしたら自分の知っている右と左ではないかもしれないからです。

「寵愛の女王、ただいま戻りました」

「白うさぎ?あら、それにみんなもいるじゃない。どうしたの?・・・もしかして」

「そーうです!寵愛の女王。白の女王。我らが女王様!アリスなのです。この帽子屋が言うのだから間違いがありません!この者はアリスなのです!」

「アリス、会いたかったわ」

「どうしてみんなは私に会いたくて、私がアリスということを知っているのですか?」

「あら、聞いていないの?ムゲンの島が出来た時からアリス、貴方が来ることが決まっていたのよ」

「どういうこと?」

ちんぷんかんぷんで混乱しているアリスの手を引いて寵愛の女王は真っ白な雪の大地のような大広間からアリスたちを連れ出しました。そして無限に続くように思える螺旋を描く階段を下りていきました。

「ここがムゲンの泉と言って、ムゲンを司る場所なのです」

「なにをする、泉なんですか?」

「ムゲンの泉が許した人だけが時の流れを操り、今を生きる人に干渉することができるのです」

「つまり…どういうことですか?」

「貴方の場合でいうと、アリス、貴方のひどい家族に。いいえ、家族とは思えない仕打ちをするあの者たちに復讐が出来ます。運命を変えることは出来ないけれど貴方が望むならば、復讐をして過去の栄光も、今の僅かな栄光も、未来の栄光の可能性も剥奪することができます」

言われていることを理解するのに少し時間が必要でした。それを予想していた寵愛の女王は泉のすぐ近くの椅子に座って優雅にアリスのことを眺めていました。

アリスはというと、泉の中に現れては消える自分のされた惨い仕打ちの数々を見返していました。今でも心の中でどうして自分がこんな目に遭わなければいけなかったのかを問い続けていますがその答えは分からないままでした。

「私、を捨てた人のことを見ることは出来ますか?」

「えぇ、貴方の記憶の泉だもの。触れて、念じなさい。知らないことを、思い出せるのよ」

泉の表面に触れるとまるで鏡に触れたように波紋が消えて平面になりました。そこに映し出されたのは見覚えはあるけれど誰か思い出せない顔でした。

「この人は…」

「自分で思い出すのよ」

力を込めて鏡を押してもその人の正体を思い出すことは出来ませんでした。強く押しすぎて鏡が割れて、泉の中に溶けていきました。もう一度作れることは分かっていましたがアリスはやめました。

思い出したところで、捨てるほどにいらない子だったのだから普通の世界に戻って、会っても知らん顔をされると思ったからです。なのでこの人に復讐をすることは馬鹿げていると思いました。でも自分を捨てた人の今後の幸せは祈れませんでした。

「さあ、アリスどうするんだい?」

「君があ、決めないとねえ」

「どうするの?アリス」

「アリス、どうするの?」

「こらこら、急かしちゃだめだぞ」

復讐をすると言っても何をしたらいいのかがアリスには分かりませんでした。

同じように残飯を食べさせる?皿を落としただけで何十回も叩く?朝昼晩と自分の用事を押し付ける?起きていない罪をなすり付けて怒鳴る?

そんなことをしたってアリスは自分の心の傷が癒えないことに気づいていました。それをするだけ無駄、ということも分かっていましたがきっと心は晴れるでしょう。モヤがかかった霧の中のような人生のステップとして今後の糧にはなるでしょう。

アリスは生まれてから自分の手を誰かを傷つけるということに使ったことはありませんでした。自分が苦しい時にまで優しくするために手を使うのではなく、優しくできる時に優しくしていました。優しく出来ない時に何かを傷つけるために手が出そうになった時は手を合わせて祈るように握りました。

傷つけられたから、傷つけたくありませんでした。

「アリス、今決めなくてもいいのよ。ほら、今日は誰の誕生日でもない日だからお茶でも飲んでゆっくりしましょう。そうして考えればいいわ」

再び手を引かれて今度は階段を昇るのではなくいくつかの部屋を通りました。段差は1つもなかったはずなのにいつの間にか大広間の廊下を通っていました。

「おもちゃの兵隊さんよ。この子たちが淹れる紅茶はとっても美味しいの」

「寵愛の女王じゃないか!誰の誕生日でもない日に遅刻だよ!全くもう!」

「ごめんなさいね、三月うさぎ」

「白うさぎの兄貴なんだよ、アリス。おかしいくらいに違うよね」

帽子屋がこっそり教えてくれました。白うさぎはちゃんとした服を着ているのに、三月うさぎはよれているシャツの上に同じくよれている上着を羽織っているだけでした。それにアリスはくすり、と笑っていました。

「美味しいスコーンだよ!」

「三月うさぎがあ、焼く、スコーンは美味しいねえ」

「消える猫、座れ」

「そうだ!座れ、消える猫」

机に置かれたまだ温かいスコーンに手を伸ばして小さい一口で噛みました。久しぶりの温かい食べ物にアリスはかぶりついていました。甘い甘い紅茶もスコーンによく合っていました。

「ねぇ、寵愛の女王様」

「どうしたの?」

「もしも、復讐をしないって決めたら?私はどうなるんですか?」

「そのまま愚かな世界に戻ることになるわ。それも出来る、というだけだけどね」

「復讐をしたらどうなってしまうんですか?」

「愚かな世界でも、ムゲンの島でも貴方はヴィランの仲間入り。孤独の女王の所に行くしかなくなるわ。寵愛の女王のこの城はヴィランがいてはいけないの。でもあそこもいいところよ。ただちょっと、ルールが厳しいけれどね。ヴィランのまま愚かな世界に戻れば貴方は1人ぼっちになってしまう」

「孤独の女王の所に行ったらヴィランじゃなくなるんですか?」

「まぁ、そうね…」

言葉が濁った意味は分からなかったけれど怖いことが待ち受けているのかもしれない、とアリスは少し怖くなりました。

「今私が言えるのは許すことも、許さないことも貴方の強さってことよ。アリス。今日はゆっくりしているといいわ。私は白い木たちに声をかけてこないと」

「双子、行く!」

「行くよ、双子!」

「あらそう。じゃあおいでなさい。帽子屋、お部屋に案内しておいてくれる?」

「もちろんです!寵愛の女王」

お茶会の部屋を出て行った3人を目で追いかけました。いつの間にか消える猫はいなくなっていて、もしかしたら一緒に行ってしまったのかもしれません。

「アリス、消える猫はここにいるよ」

「ぎゃあ、帽子屋あ、猫の尻尾をお、引っ張るもんじゃないよお」

「悪い悪い。さあアリス、部屋に行こうか。急にムゲンの島に来て、泉に触れて、腹一杯な日になっただろう。ゆっくりと部屋で休めば考えも進むさ。おいで、こっちだ」

まるでプリンセスになったようにエスコートをされてアリスはたじろぎましたが束の間の楽園にいると思って甘えることにしました。

本当に楽園なんじゃないかと思うほどの部屋に通されてアリスは驚きのあまり目を見開きました。

「本当に、私がここを使っていいの?」

「もちろんさ!君はアリスなんだからね。寵愛の女王が最大限にもてなすように、って言っているからね。何かあればおもちゃの兵隊を呼ぶといいよ」

「ねえ帽子屋さん。ちょっと待って」

「どうしたんだい?」

「アリスってムゲンの島でどういう存在なの?ムゲンの島が出来る時から私が来ることが決まっていたって女王様は言っていたけどどういうこと?分からないことだらけだわ」

「じき分かるようになるんだよ、アリス。俺たちの口からは言っちゃいけないんだ。君が自分でそれに気づかないといけない決まりでね」

「行ったことも会ったこともないけど孤独の女王の決まり事みたいね」

「はは!そうかもしれないね。いつか君の知りたいことが全て分かる日までムゲンの島は安全だ。ゆっくりとおやすみ、アリス。いい夢を」

優しくいい匂いのする布団をかけられてアリスは疲労が押し寄せてきました。

「見たい夢を想像してごらん。この世界ではそれが見られるのさ!」

その声を聞いて想像するまでの間に寝落ちてしまいました。

夢の中はとても幸せでした。食べても食べても減らないケーキがたくさんあって、美味しい紅茶はいつまでも冷めないままでした。自分の着ているお洋服はボロ切れではなくびろうどの美しいドレスでした。歩く度に花が幸せそうな顔をするくらい。森の中のお茶会で音楽を演奏してくれる動物たちもその綺麗さにうっとりするほど。

会ったばかりの帽子屋さんや、白うさぎ。寵愛の女王、三月うさぎ。双子に消える猫。みんないました。でも何よりも幸せだったのは低い声で「アリス」と名前を呼んでくれる神様のような人がいたことでした。返事をすると、大きな手で頭を撫でてくれました。感じたことの無い愛情にアリスは夢の中で泣いてしまいました。


アリスが泣くとみんなオロオロ


アリスが笑うとみんなケラケラ


アリスが怒るとみんなプンプン


動物たちがそうやって歌ってくれました。涙が止まってもう大丈夫、と笑いかけるとアリスの髪の毛を黒い顔の人が指先でもてあそび始めました。黒い顔の中の見えない表情はどんな顔をしているかは分からなかったけれど微笑んでいた気がしました。

帽子屋の言った通り、アリスの心から望んでいることが夢になっていました。優しいお父さんに笑顔を向けられて、アリスアリス!と仲良しなお友達と一緒にいることがアリスの最大の望みでした。

お城に着いた時は太陽が真上にあったのに、目が覚めた時には空は赤色に染っていました。部屋の窓からみたら赤色に染っていましたが、少し身を乗り出して広く見てみると浅い海のような青色に染まっているではありませんか。

「っていうことは、今は朝なの?昼なの?夜なの?もう分からないわ!」

「アリス、今は夕方ですよ」

「あなたがおもちゃの兵隊さん?」

「そうです」

「よろしく」

「よろしくお願いします、アリス」

敬語なのに名前は呼び捨てで変な感じでした。鉄を被った兵隊さんはとても優しく髪の毛をクシでといてくれました。

「もう少しで夕食になります。寵愛の女王が是非一緒に食べたい、と」

「もちろん!ご一緒するわ!」

ご丁寧に用意されたいろいろな白色が使われたドレスを身にまとって帽子屋が迎えに来たので一緒に晩餐会に向かうことになりました。

「おやまあアリス!綺麗なお洋服だね!どんな帽子が似合うかな。今度作らせてよ」

「もちろん、お願いしたいのだけど」

「どうしたんだい?頭のおかしい帽子屋は嫌かい?」

「そんなことないわ。私はいつまでここにいていいのかしら。復讐をするにしても、元の世界に戻るにしてもいつかは決めないといけないんでしょう?」

「そうだね、でもまだ来たばかりだ。時間なんて気にすることないよ。白うさぎと三月うさぎ以外は意外と時間にルーズなんだ」

「なら安心して今日の夕ご飯は食べられそう!」

「今日のお、夕ご飯はあ、だってえ?」

どこからともなく現れた消える猫。まだ驚きを隠せません。

「消える猫さん。私おかしいこと言った?」

「消える猫でいいい、言ってないよお。けれどお、帽子屋はあ、思うことがあるみたいだねえ」

「帽子屋さん?」

「俺も帽子屋でいいよ。今日じゃなくなったら一緒に夕ご飯を食べてくれないのかい?今日したお茶会も、明日になったら今日じゃなくなっちまう」

「いいえ、そうじゃないわ。いつかどんな形であれ、この寵愛の女王の城から離れなきゃいけない時までは今日なのよ。だから帽子屋、私はそう簡単に離れていきはしないから安心して」

帽子屋は安心したように笑いました。そして握っていたアリスの白い手を柔らかく持ち直しました。

「みんな集まったわね。夕食を始めましょう」

寵愛の女王の合図でみんなが一斉に食事に手を伸ばします。アリスにとっては見たことにない食材や、料理ばかりでしたがどの料理も一口食べてしまえばみんながかぶりつくのが分かるくらいに美味しい味でした。

お腹いっぱいになるまで競い合いながら食べました。

「お腹いっぱいだ。もう食べられない…」

「もう、食べられない」

「食べられない、もう…」

「俺様の作る料理の方が上手いけどな!」

「三月う、うさぎのお、料理もお、うまいよお」

「どうだったかしら、アリス」

むしゃぶりついていたアリスたちを柔らかいまなざしで眺めながらスープをすすっていた寵愛の女王が声をかけてきました。

「ものすごく美味しかったです!今まで食べたことなかったけど、こんなに美味しいものがあるなんて知りませんでした!」

「気に入ってもらえたようで何よりだわ。明日が今日になった日も、同じようにご飯を食べましょうね」

「それはとっても素晴らしいわ!」

感激の声を上げて食後のデザートを別腹にしまい込んでから割り当てられた自分の部屋に戻りました。

「私、こんなに幸せ…もうここから帰りたくないわ…」

孤独の女王がどんな人かは分かりません。けれど寵愛の女王や、他のみんなの様子からするに怖い人だとアリスは思っていました。心が晴れるのならば復讐の道も選んでみたいと思いましたが、悪役、ヴィランになることは嫌でした。かといって元の流れのまま、元の世界に戻ったってアリスは救いがないからやっていけるようには思えませんでした。

邪魔者だと思われることが怖かったので早くに決断をしなければと思っていましたが今は満腹で眠気に脳の働きが抑えられていました。

「また明日、考えよう…」


明日が今日になった日、がやって来た。

「お寝坊アリス!朝ごはんの時間に遅刻だよ!」

「三月うさぎ?」

「分かってるならさっさと起きてきたらどうなんだ!全くもう!」

「こら、三月うさぎ。そこまで怒らなくたっていいだろう。アリス、朝ごはんの時間だよ。早く起きといで!」

「今行くわ!ごめんなさい、遅くなっちゃって」

「いいんだ、気にすることはないさ!ゆっくりやって来ておくれ!」

急いで髪の毛を結ってパジャマから、マネキンに着せられていた白さが際立つけれど柔らかい正装ではなさそうな控えめなドレスに袖を通しました。

「ごめんなさい、もっと早く起きなきゃね」

「早起きが出来るようになるまでいたらいいのさ」

「優しいことを言うのね、帽子屋は。ありがとう」

「では行こうか!明日が今日になった日の朝ごはんパーティーを始めよう」

朝とは思えないほどにはちゃめちゃに騒いだパーティーが朝から開かれました。笑い声が絶えず、温かい空気に満ちているお城の中はアリスにとってこれ以上ない楽園でした。


「寵愛の女王様」

「どうしたの。アリス」

「ムゲンの泉に行きたいんです。どこから言ったらいいですか?」

「大広間まで一緒に生きましょうか。1人で思案したいこともあるだろうし」

「ありがとうございます!」

一番最初に入った大広間まで案内してもらいました。そして降りていった螺旋階段をひたすら下って行きました。

不思議な光を放っていたムゲンの泉の階までたどり着き、覗き込みました。私の顔に模様かのように姉や、母にされた仕打ちが浮かびます。

「やっぱり、許せないのよね…」

復讐をする道に足を一歩踏み出しました。でも同じくらい恨んでいる自分のことを捨てた相手のことも不幸な目に追い込んでやりたいと思っていました。

「この顔、やっぱりどこかで見覚えがあるんだけど…」

肖像画の形でムゲンの泉に浮かんだ板に指先から触れていきます。まるで頬に触れるように。すると指が沈み込んでいきました。そのまま引っ張られてムゲンの泉の中に落ちてしまいました。


何が起こっているのか分かりませんでした。目を開いた時は見覚えのない豪華の装飾が施された家の廊下に立っていて、場所の見当もつかずさらに混乱しました。とりあえず人の声がする方に歩いて行きました。

周りと比べて一等豪華なドアから言い争っているような声が聞こえてきました。

「まだ見つからないのか!」

「いえ、見つかってはいるんですが、なにせ拾ったのが敵国の長でして…」

「なに!?」

鍵穴からのぞくとムゲンの泉で見た男がいら立った表情を浮かべて部屋の中を落ち着きなく歩き回っていました。

「そんなにも惜しいのならどうして捨てたりしたんですか、皇帝陛下」

「あの子のためだ。皇帝の子供だと知れたら大陸戦争で命を狙われるだろう」

「何よりも守られている環境下に置かれていたのに、ですか?」

「下女が示し合わせた時間にその道を通る予定だったんだ。しかしあの男が通って拾いやがったんだ」

「そりゃあの男もあの道を使いますよ。でもまぁ拾った娘が《キシュヴァ》の皇帝殿下、ステュー・ル・アンテの子供とは思いませんよね」

アリスは名前を聞いて思い出しました。ステューとは大陸戦争で勝ち抜き、大陸全ての国を統合した名高き英雄として知られていることを。

ここまで失ったことを悔やんでいるのなら戻っても愛してもらえるかもしれない。最後まで話を聞かずに戻れ戻れ、と念じたらムゲンの泉の脇に座っていた。

「私、帰らないと!」

帰り道は分かっていました。すぐ近くの廊下を曲がったり、まっすぐ進んだりすればいいだけなので。そして大広間の近くに出てみんながいる場所に向かいました。

「寵愛の女王様!」

「どうしたの?アリスそんなに慌てて」

「私、帰らないと。愚かでも、あの世界に帰ります!」

全員の視線が一気にアリスに向きました。近づいてくる不穏な空気にアリスは気づかずに話を進めます。

「私のお父さんだったんです。ムゲンの泉で見えたあの人は私の、お父さんで…捨てたのはちゃんと訳があったんです!」

「まぁまぁアリス、落ち着いて?本当にその人が父親なのかい?」

「えぇ、そうよ!私の写真があったもの!」

机の上に置かれていた宝石がちりばめられた写真フレームの中にいたのは確実にアリスでした。アリスは自分の父親だと確信していました。

「帰る方法は?あるんでしょう?教えてください」

「もちろん、今すぐにでも教えるわ。帰るのは明日にしましょう」

「どうして?」

「明日が今日になった日の晩餐会だけでも参加していって頂戴よ。まだまだ食べてもらいたい料理があったのに残念だわ。お願い、今日だけ。だから」

「はい、喜んで参加させてもらいます!」

アリスは自分の部屋に浮足立った気持ちで向かいました。早くお父さんに会いたい、会いたいな。その気持ちがはやっていました。

「アリス、どうしたんですか?」

おもちゃの兵隊が嬉しそうなアリスを見て尋ねました。

「明日になったら私はお父様がいる元の世界に帰るの!はぁ…早く会いたいわ」

「帰ってしまうんですか?」

「悲しい?」

「はい。赤色の範囲が増えると思うと少し悲しいです」

「赤色の範囲?」

聞きなれない単語にオウム返しをする。

「孤独の女王のことです。ムゲンの泉も前は孤独の女王の所有物でした。しかし赤色の軍団と、白色の軍団がぶつかり合って白色の軍団が。寵愛の女王が勝ち取ったのです。それ以来孤独の女王が鳴りを潜めていますが反逆の機会をうかがい続け、今も赤色の範囲と呼ばれる孤独の女王に従う者を増やしているという噂です」

「それと私が帰ることが何か関係があるの?」

「アリスは強さの象徴です。ムゲンの島にとっても」

「それは言っても大丈夫なもの?」

帽子屋が言ってはいけないと言っていた内容と似ている気がしておもちゃの兵隊が危険な目に遭わないかと心配してアリスは思わず聞きました。

「おもちゃの兵隊はムゲンの島に宿る精霊が兵士の皮を被っているだけなのです。だから許されます」

「そうなのね。いろいろありがとう」

「いえ。アリス、また会える日までその体が変わっていないことを祈ります」

「まぁ」

「ご飯を食べ過ぎないでくださいね。ドレスを作れなくなりますから」

「レディに失礼ね!」

最期の晩餐会。みんなが笑顔で参加していました。またアリスは帽子屋にエスコートされて席に着きました。

「アリスが帰ってしまうのは寂しいけれど。明日が今日になった日の晩餐会を始めましょう!」

大きな歓声を上げてグラスを突き合わせる。

歌って、踊って何でもありな盛大なパーティーになりました。変わらないごちそうを食べて、別れがこんなにも惜しいと思ったことはありませんでした。

「おやすみい、帽子屋あ、アリスう」

「三月うさぎ、自分で立ってくれよ…全く…あぁ、おやすみ」

「もう食べれねぇ…」

「おやすみ、また明日」

「また明日、おやすみ」

「じゃあまたね。さよならが怖くない日のお茶会をしましょうね」

「えぇ、とってもピッタリな名前ね」

「じゃあみんなおやすみ。寵愛の女王も」

夜の城の廊下は少しだけ不気味です。明かりが少なくて、白という色が気温を少しだけ下げている気がします。

「アリス…本当に、明日帰っちゃうのかい?」

「えぇ、私も寂しいけれど」

「ようやく会えたと思ったのに…」

「私も、こんなに楽しいと思えた場所は今まででなかったわ。でも、お父様もきっと私がいなくて寂しいと思ってくれているわ。だから帽子屋、ごめんなさい」

「うん、分かってるよ。俺の都合だけじゃないもんね。謝る必要はないよ、アリス」

そう言いながら頬に伸びた帽子屋の温かくて気持ち良い手の平にアリスは自分の手を重ねました。

「君の手は冷たいね」

「生まれつきよ。きっと」

帽子屋はアリスの頬から手を放して両手を握りました。

「もういらないね。他の人の体温じゃなくて、お父さんの手で温めてもらえるから」

「そうね。短い時間しか会っていないのにどうして始めて会った気がしないんでしょうね」

「俺もだ。俺も、アリスに初めて会った気がしない」

「いつか、また会える?」

「あぁ、いつでも会えるよ」

「どこで?」

「どこでもさ!いると信じたら君の傍にいるでもいる。怖いことがあったら白うさぎの今日のシャツを思い出してごらん」

「「裏返しだった!」」

重なった言葉に笑い合って、同時にアリスの部屋に着きました。

「また明日ね、帽子屋」

「うん、また明日。アリス」

笑った帽子屋の細められた目は月に照らされて鋭く光っていました。


翌日、アリスは自分の体が揺れていて目が覚めました。

「あれ、ここは…?」

「アリスの帰り道に近いところでティーパーティーをすることになったの。さよならが怖くない日のね」

「起こしてくれたらよかったのに…」

「君は起きなかったよ、アリス」

「あらごめんなさい。白うさぎ、起こしに来てくれたの?」

「あぁ、何度もね!」

馬車の外は見えなくなっていました。カーテンをめくろうとすると寵愛の女王に止められました。

「外は見てのお楽しみよ。ものすごいところだから、着くまで目隠しをしててね。急だったからすごいものは用意できなかったけど、期待してくれていいわよ」

「そんな、ありがとうございます!」

何の疑いもなく目隠しをつけて馬車に揺られていました。

馬車を降りて、寵愛の女王の柔らかい手の平に手を重ねてゆっくりと歩き始める。枯葉を踏む音がしたのでまだ外ということ以外は分かりませんでした。

「ここで待っていてね」

椅子に座って、目の前でなにかかちゃかちゃ音がしたので用意されているのかな、と思ってワクワクしていました。

「少し前かがみになってくれるかい?後ろを通りたくてね」

「分かったわ」

前かがみになって首に冷たい何かが当たりました。首だけが地面に転がりました。目隠しが外れて見上げる視線の中には昨日までと変わらない笑顔で笑っているみんながいました。

首を切られたのにどうしてかアリスは喋ることが出来ました。

「どうして…なんで…?」

「君が帰るなんて言うからさ。俺はちゃんと言っただろ?『君が知りたいことを全部知るまではムゲンの島は安全だ』って。だから知らないことを残して君がムゲンの島を出て行ってしまったら崩壊してしまう。この世界の安寧のために君にはムゲンの島にいてもらわないといけなかったんだ」

「だからってこんなこと!どうしてよ!」

「みんなの願いなんだ。みんな、アリスに憧れ、アリスを求めた。なんたって君は俺たちの救世主だからね」

「そお、うう、さあ」

だから、と首を持ち上げられて台の上に乗せられました。血は溢れて台を汚すことはありませんでした。

「なぁに、もうやっちゃったの?」

「孤独の女王」

「女王様とお呼び!」

「失礼しました。赤の女王」

「白の女王が突然来るからなんだと思ったら最っ高い楽しいエンターテイメントを用意してくれちゃって。アンタたちもなかなかやるじゃない」

「光栄です。では早速始めてもよろしいですか?」

「そーね、おやり」

自分の体にナイフを持ったおもちゃの兵隊に似た像が近づいて行ききます。アリスはやめてと言おうにも声が出ませんでした。その後に切り離されたとはいえ、自分の身に起こることを想像すると怖くてたまらなかったからです。

身動きの取れないアリスに残されていたのは目を瞑るということだけです。手がないから耳をふさぐことは出来ませんでした。鼻で呼吸をしないように努めても口の中に生臭い香りが広がりました。

恐る恐る目を開けた時には洋服に血がつくことも気にしていない”みんな”が”私”を持っていました。

「これで俺たち全員”アリス”だ!」

見開かれた目に映る信じられない光景にアリスは涙を流しました。それから大事に大事に抱えられて再び寵愛の女王の城に戻りました。

「ムゲンの島の知識を食べ続けてね、アリス」

寵愛の女王の白いドレスの赤い範囲は花開いた花のようにじわじわと広がっていきました。


【完】

あおいそこのでした。

From Sokono Aoi.

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