柳と轍

石田くん

第1話

 K博士は小さな頃から考え事が好きで、雲の高さが日ごとに違う理由であるとか、水を注ぐ音と湯を注ぐ音が違う理由であるとかを考えているときもあれば、自分や皆がなぜ生まれてきたのかとか、なぜ争いは起こるのかということを考えているときもあった。その様子は他人の目には彼がぼうっとしているように映ったので、何のひねりもなく「ぼんやり君」と呼ばれていた。といって、彼は決していじめられていたわけではなく、むしろその思案の深さが育てた聡明さをもって皆の話に気の利いた相槌を打ったり、悩み事にそっと寄り添ったりするので親しまれていた。

 そんなK博士は今、初老の五歩手前ほどになって、有名な科学者であり、発明家である。その腕を買われ、彼の住む国の政府から様々なプロジェクトについて意見を伺われることもしばしばだ。

 K博士が朝の日課である花への水やりの準備をしていると、ジリリと電話が鳴った。その内容は晴れやかな朝に似つかわしくないものだった。

「もしもし」

「もしもし、K博士ですか」

「左様です」

「いつもお世話になっております、大臣のLです」

「ああ、これはこれは」

「先日の会議はありがとうございました、」

「いえいえ、私も国の役に立てて光栄です」

「本当に素晴らしいお方だ、会議のときもそうでしたが博士の聡明さと謙虚さには驚くばかりですな」

「いえいえ滅相もない」

「またまた」

「いえいえ、それでご用件は」

「ああそうでしたな、実は博士に新たなお願いがございまして」

「ほう」

「誰も何もしなくても死刑を執行してくれる機械を作ってほしいのです」

「なんですって」

「まぁ落ち着いて聞いてください」

「私に人を殺せと言っているようなものじゃないですか」

「そう言うんじゃありませんよ、我が国の死刑は絞首刑を使って行っているのはご存じかと思いますが」

「そうですね」

「その絞首刑の仕組みというのが、刑務所の死刑を執行する部屋で死刑囚がロープを首にかけて、床の上の赤い枠線の書いてあるところの内に立つんです、そして刑務官がボタンを押すと床が開いて死刑が執行される」

「そうですね」

「しかしそのボタンを押す刑務官が罪悪感に耐えられないと言って、みんな精神を病むんです」

「そうでしょうな」

「ですから人助けだと思って、どうにか何もしなくても死刑を執行してくれるような機械を作ってもらえないですかね」

「しかしですねぇ」

「どうにかお願いしますよ」

「今すぐには決めかねますよ」

「何とかお願いします、また夜にお電話します」

「わかりました」

K博士はそれから電話がまたくるまで一日中悩んだ。当然すっと断ることもできたわけだが、彼の性格上この相談が他の人に回るかもしれないと思うとそれも気が引けた。どうにかうまく断りたいものだ、しかし、といった堂々巡りで思考がまとまらないまま、電話が彼を呼んだ。

「もしもし、どうですか博士」

「まだ悩んでいます」

「何とかお願いします、苦しんでる者が大勢いるんです」

「うぅむ」

「・・・」

「わかりました、受けますよ、考えます」

「本当ですか」

「かなりのお時間をいただくかもわかりませんがいいですか」

「もちろんです 死刑を行うタイミングなんてものは自由に決められますので」

「それはそれで私次第のようで困りますが」

「まぁとりあえず考えていただけるということで、お願いしますよ、死刑を行っている部屋は博士がいつでもお入りになれるよう手配をしておきますから。次の会議の時間が迫っているのでここで失礼します、ありがとうございました」

 電話は話の重大さの割に足早に終わり、K博士はまたうんうんと一人悩み始めた。死刑が行われているという部屋に一日中いて、赤い枠線の上に立ってみたり、ボタンの仕組みを見るためにネジを何本も外して中身をくまなく調べたりもした。家で食事も忘れて机に向かい空気やガスのようにふわふわとしてつかめない考えをまとめようとしたりもした。K博士はとにかくそのことについてずうっと考えていた。毎朝の水やりも忘れて、花をすっかり枯らしてしまった。

K博士がこの話を引き受けてから一か月と三週間が経った日の夜、遂にK博士は自宅のパソコンでプログラムを完成させた。K博士はすぐにこれを使用できるようにしようと、パソコンを持ち車で刑務所に向かった。

 K博士はもう何度もこの建物に来ているので、どんどん入り口での確認もゆるくなってきている。毎回入り口で当番をしている初老の女性は毎回にこやかで、時たまK博士に声をかけてくれるが、K博士は素っ気ない返事しか返せないでいる。

 いつも通りの男の案内で部屋に向かい、鍵を開けてもらう。もう何度もこの部屋に案内してもらっているので、鍵を開けてもらった後は毎回一人で部屋にこもっている。いつも通り部屋を開けてもらい、

「ありがとうございます、では帰るときに声を掛けますんで、さようなら」

と言って、部屋に一人にしてもらった。

 暗い部屋で家から持ってきたコンピューターを開き、プログラムを確認し、床を開くボタンを工具で開き、中の一部の部品の代わりに特別につくったチップを入れた。最期に、L大臣に送る手紙を書いた。


「親愛なるL大臣へ

 例の件ですが、プログラムを完成させました。今私は刑務所の例の部屋におり、プログラムを接続し使用可能にしたところです。ロープに重みがかかると、時間差で勝手に床が抜ける仕組みになっています。ボタンはそのままですが、一度ボタンを押せば、ロープに力がかかったのに反応して床が開くというのが繰り返されるようになっています。つまりもう誰もボタンを押さなくていいわけです。この後動作確認をしますが、おそらく完成でしょう。明日にでも使えると思いますので。


                    

                                    K」

 

K博士は手紙を書きあげると、入り口の当番の初老の女性に手紙を渡し、

「これをL大臣に渡しておいてくださいませんか」

と初めてまともにその女性と話をした。




 翌朝、L大臣は手紙を受け取り、日課のコーヒーを飲みながらそれを読み、K博士の成果に感激した。

上機嫌でこちらも朝の日課であるニュースを見ようとテレビをつけた。

「おはようございます、朝のニュースです。今朝、N刑務所でコンピュータ学者、倫理学者のK氏が首をつって死んでいるのが発見されました。」

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柳と轍 石田くん @Tou_Ishida

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