#14 居場所

「ちょっと、落ち着きなよ!」


 その声と共に、花音の肩が何者かによって強く掴まれた。


 え、と花音が目線を上げる。目の前に居たのは夏琴だった。


 夏琴は花音の肩をグリグリと力強く揉み始めた。突然、体を激しく揺さぶられ、わわわ、と目が回る。


 揺さぶった弾みで花音の長すぎる前髪と癖っ毛の酷い後ろ髪も揺れ、隠れていた花音の顔は外に曝け出された。


「花音ちゃん、さっきから体に力が入りすぎなんだって!そんなに力んだら、そりゃ吹けるわけないよ!」


 夏琴は必死にそう言うと、花音の肩をひたすら揉み続ける。


 花音は夏琴の突然の行動に、驚いて呆然とした。


「前、体に力が入りすぎたら音が汚くなるって舞香ちゃんに教えてもらったんだ。そうだよね?」


 夏琴が舞香にそう問いかけると、舞香が『お父さんに教えてもらったんだけど、』と花音に近づく。


「音を出すために、どうしても力んで肩に力が入ってしまいがちになるんだけど、そうしたら音が楽器に籠もってしまうの。だから、吹く前は肩をぐるぐる回して、余計な力を抜いてから吹いたほうが、綺麗に音が鳴るんだって。こんなふうに、」


 舞香は肩を何回かグルグルと回すと、すぅーと息を吸いながら肩に力を入れ、ふぅ〜と一気に吐きながら肩を下ろした。


 花音もそれを真似して肩をグルグルと回す。すると、ゴリゴリ!と大きな音が鳴り驚いた。


「肩を回した時にゴリゴリ鳴るときは、肩に力が入ってるってことみたい。」


 舞香にそう教えられ、花音はよくやく自分の体にすごい力が入っていたことに気付いた。


 そうか、そういえば、吹くときはずっと音を長く伸ばすために体中を力ませて吹いていた。


 そうしないと音が出ないような気がして。でもそれが逆効果だったなんて気が付かなかった。


「あんだけ縮こまってたら吹きづらそうだなって思ってたよ。言えば良かった。」


 美鈴は花音が落としたマウスピースを拾い上げると、申し訳無さそうに花音に手渡す。


 そんなのわたしが悪いのに、どうして先輩がそんなに萎縮しているのだろう。花音はそう思うと同時に、先輩に謝らせている罪悪感を感じ、


「あっいや!あの違うんです今のはわたしが悪いんですあの、わっわたしがこんな愚行を犯してしまったせいであっあの、みんなに迷惑かけてごめんなさ……」


 花音が慌ててそう言うと、美鈴は『愚行?!w』と笑い出した。


「そんな、愚行ってwたかがマッピ落としただけで愚行ってw」


『大げさすぎw』と美鈴は手を叩いて思いっきり笑う。


 そんな美鈴を見た周りのみんなもつられて笑った。舞香が笑いながら『話し方面白いな』と呟いた。

 

 いわゆるコミュ障の人がよくやってしまうことだが、慌てて一気に話そうとするせいで、言葉の整理ができずに早口で捲し立てるような話し方をしてしまうことがある。


 それを花音はよくやらかして恥ずかしくなるが、ここに居るみんなはそれはそれで『面白い』と捉えたようだ。


「マッピ落とすなんて誰でもすることだよ。一回落としたくらいで壊れないし、自分もやっちゃった時あったけど、周りも普通に笑ってたし。まぁ先生に見つかったら怒られるけど。」


 美鈴は花音のマウスピースを花音に渡すと、あっさりと『ほら、大丈夫でしょ?』と笑う。


 花音はマウスピースを食い入るように確認したが、欠けておらず変形もなかった。


 花音は安心しきった。ちらり、と先輩である美鈴の様子を窺うが、その顔に怒りの表情はひとつも浮かんでいなかった。


……怒らないの?


 何故に今自分が誰からも責められていないのだろうか。それが不思議だった。


「あの…お、怒らないんですか?」


 だから、花音がそう聞いた。すると美鈴が首を傾げて『なんで?』と聞き返す。


「だ、だってわたし、さっきから全然できなくてみんなに迷惑かけてるし、こんなミスもするし……」


 花音がまた縮こまりながらそう言うと、みんなは『えぇ?』と言い、なぜかまた一斉に笑い出した。


 花音はその様子を見て首を傾げた。なんでみんなが笑うのか、理解できなかったから。


「な、なんで笑っ…?」


「そりゃ楽器粗末にしたら怒らなきゃだけど、わざとじゃないんでしょ?まだ1回目だし。」


 美鈴は手を叩きながら、愉快そうに大笑いしていた。やっぱり、よく笑う先輩だった。


「そうだよ!ほら、隣にいる奴なんか練習中に爆睡してんだよ?」

  

 花音の肩をもみ続けている夏琴は、隣で爆睡している祐輝を指さした。


「ふぁ〜…なんかよくわかんないけど君ならきっと出来るよ〜頑張ってぇ〜」


 祐輝は一瞬だけ起きると、花音の方を向いて花音に励ましの言葉をかけた。


 さっきまで寝てたよね?!と花音が驚いている間に、祐輝はまた目を閉じていびきをたてて眠った。  


「なんでこいつが合格してんだが……」


 夏琴が寝ている祐輝を軽く睨みながらそう言うと、花音の肩をポン!と叩き、


「じゃあ、もう一回やってみたら?ガチガチだった肩、今解したばっかりだし、きっと出来るよ!」


「そうだね!……やる?」


 夏琴の言葉に美鈴も賛同した。ふたりの隣に立つ舞香も『うんうん』と軽く頷いている。


「は、はい…」


 まだあまり自身は無かったけど、花音はそう返事をして、マウスピースを再び構えた。


 緊張からくる肩の力を抜くために、花音は肩をグルグル回し、ふぅーと深呼吸をする。


 すると、肩の力が完全に抜けたのを感じた。背筋を伸ばして、姿勢を良くする。


 美鈴がまたメトロノームをつけたチューナーを花音の目の前に差し出す。


『力んじゃ駄目だよ!』と、横で見ている夏琴が小声で花音に忠告する。


 さっきは耳をつんざいたメトロノームの音だけど、今はさほどそうは感じなかった。


 マウスピースを唇に当てる。床に一度転がったマウスピースは、熱を完全に失ってひやりと冷たかった。


 力を入れない。このまま力を抜いた状態で、唇だけ震わせる――――――


 大丈夫。きっとできる。


 このことをずっと頭の中で唱えながら、花音はメトロノームの音に合わせてふぅっと息を吸い、息を入れた。


 ……ブーーーー


「………」


 周りのみんなは、目を見張りながら花音を見つめている。


 花音がぷはぁっとマウスピースから口を離し、目の前に居る美鈴の顔を見た。


「……篠宮さん…」


 美鈴はメトロノームを止めると、花音に向かって、満面の笑みで、


「合格っ!」


 美鈴がそう言った瞬間、花音は目を見開いた。一気に周りがわぁっと歓声を上げた。


「凄い!花音ちゃん出来てたよ!今できてたよ!4拍、伸ばせたよ!」

 

 花音のすぐ側に居た夏琴が、花音よりも興奮した様子で花音の肩を軽く叩く。


 わたし、今吹けてた?

 

 花音は合格できたことに驚き、思考停止していた。


 しかし、だんだんと心の中に喜びの感情が湧き上がってくる。


 あれだけ何回必死に練習しても、途中で変わってしまっていた音が、さっきは嘘のように真っ直ぐと伸ばせた。


「なんか、いままでと違った……感覚が…」


 花音はぼんやりとしながらそう呟いた。


 いままでと、吹いている感覚が全く違ったのだ。


 いままでは、例えば険しい茨の道があって、そこを音がもがき苦しみながら必死に進もうとしている感覚に近かった。


 でも今は、一本の真っ直ぐな道があって、そこを音が軽やかに進んでいるような、そんな感覚だったのだ。


「うん、全く体に力も入ってなかったし綺麗な音だったと思う。さっきまでと全然違ったよ。」

 

 夏琴の横に居る舞香も、うんうんと頷き感心している様子だ。


「いままでは吹こう吹こうって思いすぎて、逆に吹けなくなってたのかもね。」


 美鈴は花音にチューナーを返す。長時間握りしめられていたチューナーは、やけに生暖かく感じた。


「あ…多分、そうなんです…す、すみません…」


『やろう』と思うことが、帰って自分の首を締め付けていたのだ。


 そんなこと、自分では絶対に気付けなかった。


 こんなにも指摘してもらって申し訳無い…と思うあまり、花音は再び俯いた。


「……なんでそんなネガティブなん?」


 そんな花音の顔を横からそっと覗き、ポツリとそう言った。


「えっ…?」


「ああいや、花音ちゃんってなんか…いつも謝ってばっかりだから…そんなビクビクせんくってもいいんだよ?」


 ふふふ、と夏琴は優しく笑うと、『頑張り屋さんなんだから』と花音の凝り固まった腕を擦った。


 そんな夏琴を横目で見て、花音は不思議でならなかった。

 

 なんで?


 なんで、こんなに優しくしてくれるの?


『頑張る』なんて、花音にとっては当たり前のことなのに。


 人よりも出来ないことが沢山あって、いつも周りの人達に迷惑をかけて。


『頑張る』ことは、そんな花音にも出来る最低限の努力だった。


「そうだよー君は頑張ってるよー」


 すると、花音の隣で寝ていたはずの祐揮が間抜けな声を出した。


『起きた?!』と、ちょうど祐揮の前に居た美鈴が驚いて飛び上がった。


「そうだね、あんたよりずっと頑張ってると思うよー?」


 夏琴が祐輝の肩を乱暴に掴み、起き上がらせる。

 

 祐揮は『ふわぁ〜』と腕を伸ばし、頭をブンブンと振り回す。


「おはよー」


「あぁ、今やっと完全に目覚めたってこと?なるほどw」


 美鈴がそんな呑気な祐揮を見ながら笑っていた。


 祐揮が伸ばした腕は、その隣に座っている、さっきから黙っていた響介の顔に思いっきり当たった。


 響介は『痛ぇ!』とキレながら、その腕を退かしていた。

  

 その様子を見ながら美鈴があははと笑う。つられて横に居る舞香と夏琴も笑った。


 そんな光景を見ながら、花音は考えた。


 花音は、周りから優しくされることよりも蔑まれることの方が多かった。 


 ひとりだけ授業の問題が答えられなくて、授業がいつまで経っても終わらなかったとき。


 運動会のリレーで、足の遅い花音のせいでチームが負けたとき。


 二人一組のペアを組むとき、花音だけ誰ともペアが組めなかったせいで最終的に全員、先生が決めたペアで組むことになったとき。


 そんなとき、いつも花音は周りから迷惑がられ、軽蔑の視線を浴び、罵倒の声をぶつけられた。


 でも、花音はそれを仕方がないことと思っていた。


 だって、花音のせいでみんなは迷惑しているのだから。


 花音がいなければ、みんなは誰にも迷惑かけられずに済む。


 だから、わたしは周りから蔑まれて当然の立場だ。花音はずっとそう思っていた。  


……なのに。


 なんで、ここにいる人たちは、こんな花音にここまで優しいのかが分からない。


 花音がいくら失敗しても、いくら周りに迷惑をかけても、ひとつも嫌な顔もしないで普通に接してくれる。


 そんなことは、初めてだった。


 いいの?わたしが、こんなにみんなから優しくされて、存在を認められて、いいの?


 こんな駄目な人間のわたしが、そんな立場に居てもいいのだろうかと、花音は不安に思う。


 ……でも。


 それでも。


「よーし!それじゃあ、みんな合格したってことで、これからお待ちかねの楽器に入ろう!」


 美鈴が楽器庫を指差して、みんなにそう呼びかけた。


「やったー!」  


「お待ちかねの楽器だー!」


「マウスピースもう飽きた〜!」


 みんなは揃いも揃って嬉しそうしながら、楽器庫に移動する。


 そんなみんなの一番後ろを歩いていた響介が、未だに自分の席に座り込んだままの花音に気が付いた。


「……行かねぇの?」


 響介は振り返ると、照れくさそうに下を向いて、花音とは目線を合わせずにそう聞いた。


 そんな響介を、目の前に居るみんなを見つめながら、花音は思った。


 でも。それでも。


………


 みんなが、わたしの存在を認めてくれること。


 わたしに、当たり前のように笑顔を向けてくれること。


 例え、それが自分には不相応の立場に居ることだとしても。


 それが、何よりも嬉しい。


 嬉しい。嬉しいんだ。凄く。


 驚きよりも不安よりも、何よりも嬉しいが一番、大きかった。


 蔑みの矢を何度も何度も刺されて傷ついてきた心が、少しずつじわじわと暖かくなるのを感じる。


 あぁ。わたしは、ここになら居てもいいのかもしれない。

 

「…ううん!行く!」


 花音は思いっきり首を横に振ると、少しぎこちなく口角を上げて、下手くそな笑顔で笑った。


 そして立ち上がり、みんなのもとへ向かった。

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