第4話
一色夕里はいつも教室では、窓側の席にいる。透きとおった日の光を浴びてノートに何か書いている。けれど、それが勉強しているわけではないのを、最近知った。薫の前の席。〈祝福〉が、愛が視える彼女。
「何描いているの」
薫がおどろかせないように小声で訊くと、夕里は振り返って、うれしそうに笑った。
「見て」
しゃがんで、机と同じところに頭があるようにしてノートを覗くと、薫は目を見開いた。
それは薫の人物画であった。少し視線を下にして、椅子に座り、物憂げに佇んでいる。なかなか上手く、線が綺麗で陰影がくっきりついていた。
だが、薫がおどろいたのはそこではなく、"ない"はずのものが描かれていたからだ。
薫の耳には、大粒の真珠のイヤリングがさがっていた。真珠だとわかったのは、ちゃんと色鉛筆で色がつけられていたからだ。銀の金具で留められている。髪には一輪、夜明けの紫のようなアサガオが咲いていた。爪には青く光る水苔が生え、まつ毛は桜色の光の粒子をまとっている。色とりどりの糸がやわらかく薫に寄り添っていた。他にもたくさんの宝石が飾られていたり、和柄のタトゥーが浮いているところもある。
「……これ、おれが受けてる〈祝福〉?」
「うん。綺麗でしょう」
薫はまじまじと見た。自分でも戸惑うくらい、薫は〈祝福〉に興味があった。
今まで火を灯すどころか燭台に立ててもいなかった、ほぼ新品の蝋燭に火がついたような興味だ。蝋が溶けていく感覚が珍しく、薫は身を乗り出して訊いた。
「綺麗だけど、一色さんは見慣れているんじゃないの?」
「いいえ」
さらりとノートの表面をなでる。
「こんな綺麗な〈祝福〉、見たことないわ」
「そうなの?」
「だって、黒い〈祝福〉が少ないんだもの」
「少ないとなにかあるの?」
「黒はあまりよくない色だから。ルノワールが色彩の女王っていうくらい、本来はいい色なんだけど……〈祝福〉として見ると謀略の色なの」
「謀略……」
「つまり、打算の色ね。この子と友達になったら課題を写させてもらえるとか、自分の教室での立ち位置がよくなるからとか、本人を愛していない、偽りの愛を向けられていると、黒い〈祝福〉をまとうの」
「じゃあ、おれはほんとうに愛されているってこと?」
「そうね。だから、わたしはあなたに明かしたんだもの」
気味悪がらないだろうなって思って、と夕里はくすくす笑って言った。
「気味悪がるひとなんているの?」
あの景色はほんとうに綺麗だった。優しくて、暖かくて、愛にあふれた世界だった。あれを気味悪いと思うひとはどういう感性をしているのだろう……と、黒い〈祝福〉がたまたまいっぱいあったのだろうか、と薫は首をひねった。
「……いるわ。魔法のようだって喜んでくれるひとも、こんなのおかしい、麻薬吸わされたんじゃないかって疑ってくるひとも」
「あぁ……」
一理あるかもしれない、と束の間思ったが、即座に頭を振った。あれは多分、麻薬で見れるような享楽的な世界ではない。
と、そのときチャイムが鳴った。昼休み終了の、五限の予鈴だ。誰も彼も机を突き合わせて談笑して、たまに他クラスの奴がお菓子を持ち込んで、無法地帯みたいに賑やかだったのが、ガタガタと直っていく。じゃがりこの残りを「急げ」と言って食べ尽くし、教科書の貸し借りが先生から隠れるようにこそこそと行われている。
「松坂ー! 数Ⅱの教科書貸してーっ」
教室の前のドアから、190あり、ズボンからシャツを出している大男……松坂薫の友達で、一年生のときクラスが一緒だった……に遠雷のような大声で叫ばれ、薫は「いいけど六限までには返して!」と返し、「ごめん」と夕里に謝った。
「もう行かないといけないから。じゃあね」
「うん。じゃあね」
夕里はひらひらと優雅に笑って手を振る。
「またコンビニでね」
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