6 最悪
暗い、昏い森の中に立っていた。悪魔の夢を見るのはだいぶ久しぶりだった。
ヤツは苛立っている様子だった。最近の僕が不満なのだろう。
腕を組み、そわそわと歩き回っている。木の根や地面の起伏などを無視して歩くのがとても奇妙だった。
「正直、もう飽きたよ。ワンパターンなんだ。お前は」
僕は悪魔にそう言った。ヤツは、チッと舌打ちして、僕を一瞥すると、無視してまた歩き出す。笑ってない悪魔は、まぬけで滑稽に見えた。
僕自身も、一年経ってあのショックから立ち直りつつあるのを自覚していた。多分悪夢を見るのをこれで最後になると直感的に思った。
最後にこいつを殴ってやろうかと思案していると、突然、悪魔が立ち止まった。
「ああ、そうか。こうすれば良かったんだ。最初から」
そう言って、悪魔は笑った。底意地の悪い、悪意の塊のような笑みだった。
なんだ? 何をするつもりだ?
笑みを見た途端、久しく忘れていた寒気が襲う。
次の瞬間、森の中にいたはずの僕は、教室に立っていた。忘れるはずもない。中学校の。
まさか。最悪の想定が頭をよぎる。その場から逃げだそうとするが、体が動かない。過去の回想を見せられている。やめてくれ。やめてくれやめてくれ。
――バン!
教室のドアが乱暴に開けられた。ぞろぞろと三人の男子中学生が入ってくる。
「ちゃんと逃げずに来たみたいだな」
その内の一人が言う。
「話ってなんだよ」
僕の口が意に反して動いた。あの時と全く同じだった。放課後の教室は、驚く程さみしくて。ひとりぼっちで。
僕の足が震えていた。この時の僕も、この後起きる惨状をなんとなく察していたのかも知れない。かすれた声の問いかけは、精いっぱいの強がりだった。
「お前、生意気なんだよ」
「は? 何言って――」
「ドーン!」
衝撃が走る。何が起こったのか分からない。脳みそがぐちゃぐちゃに揺れる。気付けば僕は床に倒れこんだ。訳も分からないままにマウントポジションを取られて、ヤツが手を振り上げるたびに顔面に衝撃が走る。痛い。痛い。やめてくれ。
抵抗しようにも、手足を他の二人に抑えられて動けない。
「あは、あはははははは!」
頭の中に響く笑い声は、悪魔のものだった。
怖い。痛い。やめてくれやめてくれやめてくれ――!
朦朧とする意識の中、夕日に霞む瞳の先に、ぼんやりと、ひらひらと舞う蝶が見えた。
***
ああ、最悪だ。正真正銘最悪の目覚めだった。焼け付くように胃が捻じれ、昏い吐き気が襲う。口の中に酸っぱくて苦い味が広がって、それを必死に押しとどめる。全身が異常に冷たくて、布団の中なのに寒い。震えが収まらない。
クソ、クソッ――!
目じりから涙がこぼれた。真っ白になるまで握った拳が、まるで死人みたいだった。
***
空気がよめなかったのか。僕が弱そうだったのか。ただ単純に運が悪かったのか。
多分、全部だ。
僕は中学の時、壮絶ないじめにあった。こう書くと陳腐だが、これは僕の心に消えないトラウマとなって残っている。
中学の頃の僕は、ヒトの気持ちを慮ろうとする気持ちに欠けていた。他人にあまり興味がなかった。それでいて、無駄な正義感と根拠のない万能感を持ち合わせていた。
つまるところ、致命的なまでに人間社会に生きいるのに向いていなかった。友達はいない。妙な意地があったから、いじめを誰にも相談しなかった。
この世の全てが億劫で、憎くて。
そんな時に、僕が自殺せずに済んだのは異世界ライトノベルに出会ったからだ。偶々ネットで試し読み出来た漫画の続きが読みたくて、原作のある小説投稿サイトを知った。
こんな素晴らしいものがあるのかと、そう思った。異世界では、主人公は、僕は、特別で、みんなから賞賛されて。僕の心の支えだった。
無限に続くかと思われたいじめは、程なくして収束した。先生がとても有能だったのだ。相談も何もしてないのにいじめを素早く察知した彼は、謝罪の場を設けていじめっ子に謝罪させた。先生と彼らとの間でどんなやり取りがあったのかは分からない。ただ、いじめっ子は泣いていた。泣きながら、悪い事をしたと、謝ってきた。
僕は、訳が分からなかった。突然こいつらが心変わりしたのか? そうじゃないなら演技なのか? 何も分からなかった。
僕はヤツらを絶対に許したくなかった。その旨を先生に言おうとした時に、先生の手の僕の肩を掴む強さで、僕を見る目で、悟った。この人は、僕の味方だと言って、優しい言葉を投げてきたけれど、絶対に謝罪を受け入れさせる気なんだと。僕がヤツらを許さないのは絶対に認めないのだと。
僕はいじめられてから、ずっと他者の空気に敏感になった。先生にも立場がある。僕がこいつらを糾弾して大騒ぎするのは、非常に都合が悪いのだ。
現実世界は、人間は、いい加減で、不明瞭で、悪意と嘘で満ちている。
だから僕も、自分に嘘をついて、笑顔の仮面を被って、いじめっ子の謝罪を受け入れた。
ずっと、この時芽生えた不信と軽蔑が、真っ黒い影みたいに、こびりついて離れない。
やっぱり、現実はクソだ。
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