異世界転生の夢幻

すっとこ

プロローグ 夢の異世界転生

 街から出てしばらく馬車で行ったところにある、木々が鬱蒼と茂った森。一番近い集落の人々から魔の森と恐れられるそこは、その名に反さず異様な雰囲気を帯びていた。少し奥へ進むだけでの光の一切は遮られ、侵入者に闇という根源的恐怖を与える。

 ひんやりと湿った空気が首筋を撫でるのに、僕は思わず身震いした。

「なに? 怖いの?」

 後ろからかけられた声に僕は振り向く。ニヤニヤしながらこちらを見ている少女はカタリナ。こっちの世界に来て、訳も分からないまま魔物に襲われた時に助けてくれた命の恩人だ。だから煽る様なことを言われても強く出られない。

「ああ、正直そうだ。一寸先も見えない暗闇なんて初めてだ」

「あなたの故郷のニッポンってホントすごいのね。いつか行ってみたいな……」

 身の丈程もある杖で地面をぐりぐりしながら――彼女は魔術師だ――うつむきがちに三角帽を抑えて彼女はそんなことを言った。思わず僕の口が動く。

「そんな良いところじゃないよ」

「そうなの?」

「少なくとも僕は帰りたくない」

「ふーん、そんなものなのね。ま、いいわ。弱虫なあなたに代わってわたしが先行したげる。ついてきなさい」

 そう言ってずんずん進んでいく彼女。慌てて後を追う。

「ちょ、そんな迂闊に――」

 制止しようとしたが一歩遅かった。低いところに生えた枝葉に杖が引っかかる。それに気を取られて足元がおろそかになった彼女は盛り上がった木の根につまずいて大きく体勢を崩した。

「危ない!」

 彼女に向って駆け寄る。地面に体をぶつける前に何とか抱き寄せられた。

「はあ……大丈夫だった?」

「え、ええ。ありがとう」

 少し声が上ずっている彼女に僕は言った。

「魔力を温存したいと思ってたけど、大声を出しちゃったし、暗視の魔法をお願いできる?」

 こくりと頷いた彼女が小声でぼそぼそと呪文を唱えると、視界が一気に明瞭になる。ねじれあがった木々の間や上、洞や根の陰に何か異常がないことを確認していると、斜め下から声がかけられた。

「ちょ、ちょっと! くっつきすぎ!」

 声を潜めながら荒らげるという器用なことをする彼女から謝罪しつつ離れる。暗視の魔法のおかげで、朱くなった顔が良く見えた。


***


 この世界の暦で二年程前、僕はトラックに轢かれて死んだ。

 何か落ち込むようなことでもあったのか、うつむきがちに歩く中学生くらいの少女と、運転手が居眠りしている暴走トラック。

 夏の終わりの、生ぬるい日だった。糸みたいにか細い雨が、音もたてずに降りしきる。視界がぼんやりとしていた。

 気付いた時には駆け出していた。

 ドンッ。

 少女を突き飛ばす。

 グシャリ。

 代わりに僕がはねられた。黒く脱落していく視界と、全身が訴えてくる痛みは、実感がわかなくて遠い出来事のように思えるのに、耳をさす少女の悲鳴だけは嫌にはっきりと聞こえた。


 次に目覚めた時、僕は平原に立っていた。体はどこも痛くない。むしろ今までで一番調子が良いくらいだった。そよ風が草を撫でて吹き抜ける。真っ青な空が気持ちの良い。テレビの中でしかこんな雄大な景色を見たことがなかった。

 普通病院とかで目覚めるんじゃ? なんだこれ。

 この訳の分からない状況に思考がフリーズしていると、ある違和感に気づいた。何だか雲の色がおかしい。緑色をしている。綺麗な緑だ。翡翠に似ている。というか雲ではない。あれは――。

「ドラゴン……?」

 コウモリに似た、それでいて、コウモリのそれよりもずっと巨大な翼。頭から生えた角。ワニのような口。

 僕の脳みそは、あれがドラゴンだと言っている。こっちに向って飛んできている。そして、ドラゴンが僕の真上を通過した。日の光を遮って影ができる。ぼーっとそれらを見ていた僕は、ドラゴンが通りすぎるのを見送って、またある事に気が付いた。青い空には日輪が2つ、寄り添い合う様に浮かんでいた。

 ここまで条件が揃えばわかる。

 僕は、異世界転生したのだ。


***


 異世界転生したと言っても、創作のように何か特別な能力に目覚めた訳でもないので、日々の食い扶持を稼ぐのもやっとだ。身寄りも何もないので、ラノベやTRPGでお馴染みの冒険者(本当に冒険者なる職業があるとしってめちゃめちゃテンション上がった。)になって、命を切り売りする毎日だ。

 今日こんな森に来ているのも、冒険者として受けた仕事の依頼で、この森に群生する魔法薬の原材料に用いられる特殊なコケを採集しにやって来たからだ。

 周囲を警戒しつつ慎重に森を進んでいく。さっきの大声のせいで、この森に棲む危険な魔物にも居場所が割れているだろう。

 しかし、幸運なことにも、道中魔物に遭遇することはなかった。

 しばらく進んで、目当ての大木が見えてきた。この森の中でもひときわ大きいこの種類の木と、今回の目的のコケは共生しているのだ。

 根本に目を向けると、淡い光が優しく目に入る。一分一秒と息づくように、光り方が変わっていく。魔法のチカラで青白く光るそれは、夢と幻想を湛えるようだった。カタリナに見張りを頼んで、腰のナイフを抜く。膝をついてコケをはぎ取り、瓶につめていく。

 大多数の冒険者は、今僕が受けている様な類の採集依頼を地味だと嫌っているが、僕はむしろ好きだった。この苔の光は森から出ると消えてしまう。見れるのはここまで魔の森を進んだものだけ。何にも代えがたい冒険の成果と言えるだろう。

 僕はこの異世界がとても気に入っていた。確かに命の危険があるが、毎日が新鮮で、驚きと発見の連続が、僕を飽きさせるということをしない。

 それに、異世界転生にずっと僕は憧れていた。将来の夢は何ですかと聞かれた時に、もしも僕が人目をはばかるということをしなかったら、大真面目に異世界転生ですと答えただろう。異世界転生は、ずっと夢だった。

 そんなことを考えながら瓶につまった光を見つめていると、背後で同行者がそわそわしている。

 そりゃあそうだ。こんなところに長く居座っていればその分死の危険が高まる。一年経っても日本にいた頃の平和ボケが治まらないなと反省しつつ、立ち上がった。


 目の前を蝶が横切った。嫌に目を引く蝶だな。そう思った。


 何とはなしにその蝶を目で追っていると、突然視界の端に黒い影が映った。黒い影はこちらから逃げるように遠ざかっていった。不吉な何かを感じた。暗視の魔法があるのに何か判別できないなんて初めてだ。

「え!? 一体どこ行くの!?」

「すぐ戻る! 待っててくれ!」

 気が付いたら足が動きだしていた。カタリナの声を背にして走る。追うべきでない。本能が警鐘を鳴らしている。だけど、追いかけなければと思った。追いかけずにはいられなかった。

 影はヒトの形をしていた。ゆっくりと減速していき、やがて止まった。僕を待つかのように。

 近づいていけばいく程、ジンジンと手足のしびれが強くなっていく。心臓の鼓動がうるさい。影を剣の間合いにおさめると僕も立ち止まった。背中からいつでも抜ける様に柄へ手をかける。

「そろそろだ」

 影が喋った。笑い混じりの声は、聞くだけ全身に鳥肌がたつ。悪寒が走る。おぞましい声だった。悪意の塊であるかのようだった。

「お前は……何だ」

「お前はそろそろ夢から覚める……ホントのことを知った時、お前はどんなになるんだろうな? どれだけぐちゃぐちゃになるんだろうな?」

 僕の問いかけを無視して、影は言葉を紡ぐ。

「ああ、楽しみだ!」

「何なんだよ! お前は!」

 影が声を発するたびに、何か身振りをするたびに、僕の神経が逆なでされる。頭が熱くなる。

「僕? 僕はね……そうだな……悪魔だよ。ふっ、ふふふふ、あはははははは!」

 何がおかしいのか、悪魔が笑う。

「それじゃあ、終わりにしようか」

 悪魔が僕に人差し指を向けた。何かしようとしている! 何をする気なのかはわ分からない。けれど絶対に止めなければならない気がした。

 剣を抜いて悪魔を切りつける。手ごたえはない。がむしゃらに振りまわす。

 手ごたえは微塵もない。微塵も? 何で、木に剣が引っかかったりしてないんだ? こんなに滅茶苦茶に振り回してるのに。

 気付けば、僕は森にいなかった。壊れたゲームの様に、周りの風景が脱落していた。強く握りしめたはずの剣は、気が付いたらどこかへ消えていた。

「ドーン!」

 悪魔が僕を突き飛ばす。僕は仰向けに倒れこんだ。来るはずの地面の感触が来ない。どこまでも落ちていく。落ちていくのに、宙に立つ悪魔との距離は変わらなかった。

「おはよう」

 その言葉で、僕の意識は暗転した。


***


 目に入ったのは、白い天井。僕は寝かされているみたいだった。段々と、ぼんやりしていた意識が覚醒する。

 あの悪魔と名乗った黒い影は何だったんだ。カタリナを置いてきてしまった。僕は一体どうなったのか。思考が逡巡し始める。

 起き上がろうとしても力が入らない。仕方なしに視線だけであちこちを見渡す。白すぎる程白い天井、サラサラのベッド、リノリウムの床。

 馬鹿な。異世界の文明レベルはこんな高くない。

 時計が目に入る。

 液晶パネルに、アラビア数字が時刻を示す。

 日付も書かれていた。日本語で。僕が死んだ日から、二年後だった。


 ああ、そうか。そうだったのか。


 ずっと、夢だったのだ。

 心躍る冒険も、血の沸く様な戦いも、魔法使いの少女も。

 僕の、妄想だったのだ。


 異世界転生は、ずっと焦がれていた異世界転生は、植物人間だった僕の、胡蝶の夢に過ぎなかった。


 昏い吐き気がした。ぎゅうっと胃のあたりが締め付けられる。


 二年間何も食べていない僕の口からは、なにも吐き出せなかった。

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