第四章 |破龍残影《ファントム》
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防患大学第六階層。購買部や書籍部、更には体育館等の非講義用施設の並ぶここに、学内最大の大きさを誇る第二食堂は存在する。
使用するのは主に第四から十階層で生活する非将官課程の下級生だ。今や後半学期も終盤。期末試験を一週間後に控えた一月末ともなると、試験対策に励むグループや自習する個人が散見される。
しかし時刻はまだ午前十時半。昼食時には空席の消滅する広大な空間にも、十分な間隔を取って幾つかの集団が点在するだけだ。その集団の一つ。注文レーンから程近いブースを占領する三人の男子学生がいた。
「なぁ、史哉。お前、特工の問題知っていたりしねぇの?」
気怠げにパラパラとめくっていた教科書から顔を上げて言うのは佐久間宏樹。先週初めて開かれた教科書は、まだヨレ一つ無い優良品だ。
「知らない」
彼の向かいに座る史哉は素っ気なく言い放つ。その眼前には教材ではなくブランチのタコライスが置かれており、黙々とスプーンを動かす彼は宏樹の方へは一瞥もくれない。
「えー。本当かよ。じゃあ何でわざわざ特工の教授とあんなに仲良くやってんのさ」
特工とは特殊工学基礎論の略称だ。今学期から開講された特別講義の一つで、技研のエース・八雲宗輔が教鞭を取る。内容は彼の専門である破龍兵装の操縦理論、つまりヤクモシステムについての入門部分で、講師の知名度もあって人気と出席率は非常に高い。
ただ、最初から秀才の学友をアテにし、出席の意思も無いまま履修する怠惰学生も中には混じっている。
「ヤクモシステムの開発者だぞ。日本が誇る破龍兵装開発の世界的権威だ。その授業を受ける機会なぞ、得ようと思って得られるものではない。フルに活用するのは当然だ」
タコライスを水で流し込む史哉に代わり、その横で眼鏡越しにノートパソコンを睨んでいた大谷徹が答えた。勤勉な彼は当然講義にも出ている。
「うるせえ。俺はもともと操縦士志望だったんですぅ。つーか、徹は別に質問してるわけでもねぇじゃん」
「ぐ……。それは、お前。流石に八雲教授に対して下手な質問をするわけにはいかんだろう。授業内容はまだ初歩的なものらしいし、臆することなく歓談出来るのは史哉くらいのものだ」
「けっ、秀才が。でもそれはそれとして、史哉は三年のゼミに自主参加するくらい教授と仲良いんだろ? なら、それとなく問題を聞き出すくらい出来るだろー? なぁ、頼むよ」
タコライスの最後の一すくいをスプーンで掻き集めながら答える。
「八雲教授はご多忙だ。そんなつまらない詮索で教授の時間を奪えば僕の沽券に関わる。諦めるんだな」
教科書の上に突っ伏す宏樹。最後の一口を咀嚼する史哉。二人の隣で眼鏡を外して目頭を揉む徹は、そういう問題じゃないと思うが、と前置きし、
「ただ、お前が教授と何について話しているのかは、一学生として興味あるな」
「たいしたことはないさ。今、自習で取り組んでいる分野についての質問がほとんどで……」
「建御雷のことじゃねぇの?」
突っ伏したままの姿勢で宏樹が言う。彼は続けて、
「ほら、やっぱり鹿島特佐の機体だしさぁ。俺なら間違いなくそうするね」
防患大の少なからぬ生徒が鹿島康徳の熱烈なファンだ。操縦士志望ながら、将官課程に繋がる唯一のルートである中・高等部での編入に失敗し、大学から渋々非将官課程に来た宏樹の場合は、その憧れも人一倍強い。
その彼の言に対し、高等部からの生徒であるにもかかわらず再度試験を受けて非将官課程へ来た史哉が応じる。
「一体、何について尋ねるつもりだ?」
「え、そりゃあ、ほら、何か一般には明かされていない秘密兵器とか搭載しているんじゃないか、みたいな」
「そんなものが実在したとしても軍事機密だ。一介の学生が知り得るようなことではない」
「つまんねぇ奴だな。……あ、でも、お前なら特佐に聞けばいいのか。羨ましい奴め」
「お前のような人間は防患隊員失格だ。良いから勉強しろ」
未だ不満を垂れながらも試験対策に戻った友人。その向かいで立ち上がった史哉はコートを羽織り、荷物をまとめ始めた。眼鏡を掛け直した徹が、その様子に怪訝そうな顔になって尋ねた。
「ん、何だ。今日はもう帰るのか」
「ああ。ちょっと私用でね。今学期の授業はさっきので終わりだから」
「テスト前だというのに余裕だな。羨ましい。……おっと、これを見ろ、史哉」
机からトレーを持ち上げようとした史哉の方へ、徹がパソコンの画面を向ける。表示されていたのは防患隊広報科運営のニュースサイト。いつの間にか横から覗き込んでいた宏樹が、トップに踊る記事名を読み上げる。
「新宿地区の総合的防患活動実施が閣議決定……」
総合的防患活動。大規模な識人災害の後にしばしば使われるこの言葉の含意は広い。一言で表すならばそれは災害により壊滅した特定地域の復帰である。
具体的には地域住民への迅速な検患完遂と定期検患の再開、警察と連携した犯罪者や反社会組織の取り締まりによる治安回復、自衛隊と連携した瓦礫、違法建築の撤去とインフラの復旧……。その地域の識人出現件数を災害以前に戻すのが一応の目標とされている。
年々苦しくなる政府の財政状況を反映し、長らくまともに実施されたことのなかった総合防患。防患隊はこの一年に新宿から出現した識人の数、及びそれが国民の生活にもたらした多大な恐怖と損失を鑑み、それを実施するよう以前から政府に強く要請して続けていた。それが今日ようやく受諾されたのだという。
「これって確か鹿島特佐が中心になって政府に呼び掛けていたんだろう? やっぱ英雄はやることが違うねぇ」
「俺はあまり褒められたことではないと思うがな」
「何でさ、徹?」
「いくら英雄とはいえ、鹿島特佐はれっきとした軍人だ。それが国民の支持を背景に政府に……ある種の圧力を掛けるなんて、文民統制の原則が消し飛んでしまう。ようやく九条と破龍兵装の議論が一段落ついたというのに、また左翼が黙っていないぞ」
少し熱っぽく言って彼は史哉のことを思い出し、決まりが悪そうな顔で咳払いしてから付け足した。
「勿論、新宿の復興自体は歓迎すべき事態だし、今まで東京を守ってきた特佐の働きを否定しているわけじゃない。その特佐自身が現状の危うさを主張することの意義も」
「主張なんかしてないさ」
その無感情な一言に、宏樹も徹も虚を突かれたように押し黙る。画面を見つめたまま、史哉は同じ調子で続けた。
「自分から主張したわけじゃないよ。上や他の操縦士から働きかけがあったのかもしれないけれど、あの人は絶対に自分から識人を葬る機会を減らそうとなんてしない。まぁ、上が決めたことや発表に異論を出しもしないだろうし、勝手に発言をでっち上げられても無関心。その結果がこれだろう。権限拡大を狙う防患隊首脳部には都合の良いマスコットさ」
普段、決して自分から父親のことを語ろうとはしない史哉。彼の感情までは察せなくとも、何となくそれが暗黙の了解となっていた二人の学友は、史哉らしくない攻撃的な口調もあり目を丸くしていた。ややあって、徹は何とか絞り出すように、
「そ、そうか。……だが、復興が進むのは結構なことじゃないか。識人の出現率も大幅に下がる。特佐にも、そろそろ無理が来たっておかしくはない」
「……そうだな」
史哉はトレーを持って返却機の方へ向かった。去り際、まだ呆然としている友人達へ一瞥もくれなかった。
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