ソーシング
米井田 疇
第1話
プロローグ: 監視の目
東京都内のビル街に位置する、高層ビルの一階。無機質な白灯光が厳格な空間を照らす中、調達課長・麻生瑞希は深い息を吸った。35歳にして彼女は外資系大企業の電子部品メーカーで高い地位を築き上げていた。
一見、強い雨が窓を叩く音だけが聞こえる静かな部屋。しかし、そこには重圧が充満していた。瑞希の正面には、中小企業庁の監査員が座り、彼女の仕事を厳しく監視していた。下請法の抜き打ち検査が行われる日だった。
「あなたたちが下請法を遵守しているか、私たちが確認にきたのです。」と、監査員の一人が口を開く。その声は冷たく、少しも情がなかった。
瑞希は内心で震えながらも、堂々と答えた。「私たちの取引には問題はございません。全て公正に行われています。」
「公正かどうかは私たちが決めます。」もう一人の監査員が続けた。「データ、取引記録、契約書。全て提出してください。」
瑞希は瞬時に決断を下した。「了解しました。ただし、全ての書類はデジタルデータとして保存されています。コンピューターをご利用いただくことになりますが…」
監査員の一人が眼鏡の下から彼女を鋭く睨んだ。「それは問題ない。ただし、違反があれば、貴社には重大な結果が待ち受けていることを忘れないでください。」
外の雨音がさらに強くなる中、瑞希は心に誓った。自社の清廉さを守るため、そしてこれからの戦いのためにも、彼女は最後まで戦い続けると。
第1話「風の便り」
住宅街に佇む麻生家。その家族構成は、寡黙ながらも温かな家庭を形成していた。父は寿司職人として働き、厨房の中で魚を手際よく切り分け、美しい寿司を握る。彼は決して多くは話さないが、その手元から伝わる技術と情熱は、家族全員に感じられる。
しかしその温かさもまた、家族の過去に影を落としていた。母は数年前、病に倒れて亡くなった。その出来事は家族に大きな痛みを残し、特に瑞希の心には深い傷を刻んでいた。母は家族の架け橋であり、特に瑞希と息子の関係性を支えていた存在だった。
息子は、13歳の思春期真っ只中。母親とのコミュニケーションが苦手で、無口な性格を持っている。そのため、瑞希は何かと息子との会話を試みるが、どうしても壁を感じてしまうことが多い。
ある朝、瑞希は寝室からリビングへと向かう。そして、テーブルで母の写真を見つめる息子の姿を見つける。彼の表情には寂しさと未練が交錯していた。
「おはよう」瑞希はやさしく声をかけると、息子は少しだけ照れくさい笑顔を見せた。
その日の瑞希の職場は、活気に満ちていた。彼女は調達部門で働いており、新しい商品戦略の打ち合わせに参加していた。しかし、同時に会社の中で進行中の製造部門の変革も彼女の心を占めていた。
調達部門は、外部業者との取引を見直し、会社の収益を安定させる重要な役割を果たしていた。その部門の変革に瑞希は直面し、同時に外部業者とのコミュニケーションを取る大役も担っていた。
その夜、バー伊達に瑞希は足を運ぶ。疇(たぐい)はバーカウンターの向こう側で、シェーカーを振るってカクテルを作っていた。
「今日も大変だったのか?」疇が尋ねる。
瑞希は深いため息をつきながら、「本当に、ね。でも、ここに来ると少し気が晴れるんだ。」
疇は微笑みながらカクテルを手渡す。「そうだろう。だからいつでもここに来ていいんだぞ。」
その言葉に瑞希は心が温かくなった。彼女は疇との会話を楽しみながら、自分の中の不安を少しでも解放しようとしていた。
次の日、瑞希は調達部門の会議に参加した。橘調達本部長とジョン・マーカー副社長も同席していた。
「調達部門の変革は、会社の将来を左右する重要なプロジェクトだ。」橘は厳格な表情で語りかけた。
ジョンは冷静に付け加える。「我々の目的は、コストを最小限に抑え、効率的な調達体制を築くことだ。」
瑞希はその言葉に真剣に耳を傾けていた。彼女は自身の立場や経験を活かし、このプロジェクトに全力を注いでいく決意を強めていた。
その後、瑞希は大場美沙からの電話を受ける。美沙の声には、落ち着かない様子が伝わってきた。
「夫が倒れた。心臓…」
瑞希は驚きと同時に心からの悲しみを感じた。しかし、その悲しみを抑えて美沙に声をかけた。「仕事のことは大丈夫、私たちが何とかしてみんなを支える。」
瑞希は心を落ち着けるため、バー伊達へと向かった。疇はバーカウンターの向こうで、瑞希の姿を見つけるや否や、彼女の前にカクテルを置いた。
「顔色が良くないな?」疇がやさしく尋ねる。
瑞希はため息をつきながら、「大場美沙から電話があって…彼女の夫が工場で倒れたって。」
疇は眉をひそめて、彼女の話を聞いていた。「厳しい状況だな。でも、君はどうするつもりだ?」
瑞希は深く考え込む。「私たちが変革を起こせば、多くの企業や人々に希望を与えられるかもしれない。」
疇はうなずきながら、瑞希の決意を支持するような表情を見せた。
数日後、瑞希は大友妙子に会うためにカフェで待ち合わせをしていた。妙子は以前、外科医として働いていたが、医療事故が原因でカウンセラーへとキャリアを転換していた。
瑞希は心を打ち明ける。「妙子、私たちは調達部門の変革を進めているけど、同時に外部業者との人間関係も大事だと思うんだ。」
妙子は微笑みながら、「確かに、ビジネスは数字だけじゃない。人々とのつながりも大切なんだよ。」
瑞希は彼女の言葉に救われるような気持ちを感じながら、新たな決意を抱いた。
会社の中では、瑞希の部門での変革が進行中だった。外部業者とのコミュニケーションが改善され、新たな提携の機会も生まれてきた。
しかし、その一方で、市場環境の変化や会社の経済的な影響も現れつつあった。不況の波は、会社にも影響を及ぼし始めていた。
ある日、瑞希は橘から呼び出された。彼は厳しい表情で話し始めた。「瑞希、我々の会社も逆境に立たされている。変革の過程で新たな道を見つけなければならない。」
ジョンも同席し、冷静な声で続ける。「今こそ、大胆な判断が求められる。」
瑞希は自分の考えを述べる。「私たちは社会に新しい価値を提供できるはずです。外部業者との提携を強化し、共に成長する道を見つけることが重要だと思います。」
橘とジョンは彼女の言葉に静かに頷いた。
瑞希の提案は、橘とジョンによって評価され、変革プロジェクトに新たな展望が持ち込まれた。外部業者との協力強化によって、会社は新たな市場に進出し、収益を安定させる可能性が広がった。
瑞希はその後も、日々の業務に邁進しながら、家族や友人との絆を大切にしようと努力していた。息子との関係性も、少しずつ改善していく兆しを見せていた。
バー伊達では、疇との会話を通じて、瑞希の心は軽やかになっていった。彼の存在が、彼女の日常にほんのりした温かさをもたらしていた。
ある晩、瑞希はバー伊達で疇との会話を楽しんでいた。彼女は疇の話を聞きながら、新たな決断をする覚悟を感じていた。
「疇、私は変革を進める一方で、自分自身の変革も遂げなければならない気がするんだ。」瑞希は真剣な表情で話す。
疇は微笑み、「変わることは、成長すること。君はきっと、大きな一歩を踏み出せるよ。」
その言葉を胸に、瑞希は新たなステージへと進む覚悟を決めた。
そして、ある日、会社に新たな挑戦が訪れることになる。市場の変化や会社の経済的な影響が深刻化し、会社の将来に不透明感が漂い始めた。
瑞希は再び橘とジョンとの会議に参加した。彼女は彼らの厳しい視線の中で、新たな提案を述べる。
「我々は、新たな価値を提供するためのチャンスを持っています。」瑞希の声は確信に満ちていた。
橘とジョンは熟考の末、瑞希の提案に賛同する決断を下した。しかし、その決断が、彼女たちの運命を大きく変えることを彼らはまだ知らなかった。
美沙と瑞希の初めての打ち合わせは、会社のミーティングルームで行われた。窓の外には新緑が風に揺れていた。部屋の中はピンと張り詰めた空気で包まれていた。
美沙は深い息を一つ吸い込み、瑞希に向かって言った。「私、正直、この経営に自信がありません。でも、亡くなった夫の遺志を継ぎたい。」
瑞希は優しく微笑んで、「私たちも全力でサポートします。共に頑張りましょう」と言葉をかけた。
一方、社内では小岩井圭が、美沙の夫の訃報を受けて、皆を励ますために軽快なトークを繰り広げていた。彼のジョークは、この難しい状況の中でも、社員たちの心を軽くしてくれる力があった。
「人生って、たまにバナナの皮が転がってるよね。滑らないためのステップを踏むことはできるかも? 僕はもう、インド映画のミュージカルのステップに夢中だよ!」彼の軽妙なダンスと同時に、美沙を気遣う優しい視線をミーティングルームの方に漂わせていた。
その後、瑞希と橘は、美沙の会社との連携を強化するための新たなプランを練り始めた。疇は経営コンサルタントとしての一面も持ちつつ、彼らのサポートに協力。3人は連携して動き出した。
疇と瑞希の関係は、日に日に深まっていた。ある日、2人は近くのカフェで、仕事を離れた時間を過ごした。疇は瑞希の手を取り、そっと目を閉じて感じる温もり。疇は彼女に向かって「一緒にいると、どんな困難も乗り越えられる気がする」と打ち明けた。
瑞希も彼を見つめて、「私も同じよ。」と言葉を返した。2人の間には、それぞれの過去や苦しい経験を共有し合う、深い絆が生まれていた。
だが、変革の道は険しい。美沙の会社との連携がスムーズに進む中、新たな困難が2人を待ち受けていた。
美沙の会社が抱える経営上の問題、その中でも特に大きなものが、資金調達の困難だった。瑞希と橘は、その問題にどう取り組むか、頭を悩ませていた。
そんなある日、瑞希のデスクに一通の封筒が届けられた。差出人は明記されていなかったが、中には細密に計算された資金調達のプランが書かれていた。それは美沙の会社の現状を詳細に把握し、実行可能な策を示唆するものだった。
驚きながらも資料を読み進める瑞希。すると、その最後のページには「変革の風は、止まらない。協力してみたいと考えています。- K」とだけ書かれていた。
「Kって...」瑞希が声に出して呟くと、小岩井圭がニコリと微笑みながら立っていた。「まさか、圭さん!?」
小岩井は軽く頷いた。「昔から情報収集は得意なんだ。それに、ピン芸人を目指す前に少し経営にも手を出してたんだよ。」
彼の意外な経歴に、瑞希と橘は驚きの声を上げた。そして、疇も加わり、4人で美沙の会社の資金調達について真剣に議論を交わすことになった。
その中で、疇は瑞希に寄り添いながら、「君の力は、これからの変革を支える大きな柱になる。」と囁いた。瑞希は彼の言葉に胸が高鳴り、彼の腕の中でほっとした気持ちになった。
一方、美沙は彼らの動きを知り、初めは驚きつつも、瑞希たちの支えに感謝の気持ちを持ち始めていた。
しかし、彼らの前にはまだ多くの試練が待ち受けていることを、彼ら自身も知っていた。資金調達はその第一歩に過ぎなかった。
そんな中、美沙から瑞希に一つの提案が舞い込む。
「私の会社にも、技術的な面で協力してくれる人たちが必要。瑞希さんたちの会社と、もっと深い連携を取りたいんです。」美沙の提案は、予想外の方向からのものだった。
瑞希たちは、これを受け入れるかどうか、再び激しい議論を交わすことになるのだが…
瑞希の会社と美沙の会社との連携を巡る議論は、数日にわたり続けられた。瑞希たちが直面していた最大の課題は、美沙の会社の技術力の不足だった。美沙の会社は主に物流を取り扱っており、IT系の知識や技術者が不足していたのだ。
そこで、瑞希は思い切った提案をした。「弊社から、一時的に技術者を派遣し、美沙さんの会社のシステムを強化してはどうでしょうか?」
美沙は驚きの表情を浮かべたが、しばらく考えた後、頷いた。「それが、私たちにとって最善の策だと思います。」
橘はその提案に賛成の意を示したが、同時に懸念も口にした。「派遣される技術者たちのケアもしっかりと行わなければなりませんね。彼らが我々のビジョンに共感し、最大限の力を発揮できるような環境を整えることが重要です。」
小岩井圭は、その意見に一つの提案を追加した。「それならば、私も一緒に行って、彼らのモチベーションを上げる役割を果たせればと思います。ピン芸人としての経験は役に立つかもしれませんね。」彼のユーモラスな提案に、みんなは心から笑った。
一方、疇と瑞希の関係も、深まりつつあった。ある夜、二人は会社の屋上で静かに時間を過ごしていた。都市の夜景を前に、疇は瑞希の手を握り、「一緒にこのプロジェクトを進められること、本当に幸せだよ」と熱く語った。瑞希も彼の気持ちに応え、「私も」と返した。
二人の間に流れるやわらかな空気は、都市の喧騒を超え、深い絆を感じさせた。
そして、プロジェクトの具体的な計画が進められる中、ある日突然、瑞希のデスクに匿名の手紙が届いた。その内容は、彼女の過去に関するもので、それが公になれば彼女のキャリアは大きな打撃を受けることとなるだろう。
誰が、なぜ、こんな手紙を送ってきたのか。瑞希は混乱し、橘や疇に相談を持ちかけることになったが…
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