夫を魔王にすることにしました

くる ひなた

第1話 今生の別れ


 思い返せば、諦めることの多い人生だった。


 吹き荒ぶ山風に煽られた私のブロンドが、暗い顔をした者達を視界から隠してしまう。

 きっとこれが、今生の別れとなるのだろう。

 私は裾を引き摺らないよう真っ白いドレスを摘んで、石造りの国境門を潜ろうとする。

 そのとたん、岩肌が剥き出しの地面に足を取られて転びそうになった。

 なにしろ、こんな足場の悪い場所を一人きりで歩くのは、生まれて初めてのことなのだ。

 ああっ、と背後で慌てた声を上げたのは、私を乗せた馬車をここまで御してきた騎士だろうか。

 けれども……


「──失礼」


 傾いだこの体を支えてくれたのは祖国の騎士ではなく、国境門の向こうから伸びてきた腕だった。

 真っ白いドレスを着せられた私とは対照的に、真っ黒い衣装に身を包んでいる。


「失礼ついでに、このままあなたを抱え上げて鞍に乗せてもかまわないだろうか──姫」


 頭上から降ってきた男の声は硬質で、事務的な印象を受けた。

 顔を上げれば、リンドウの花の色をした瞳とかち合う。

 私は瞬きをして、さりげなく視線を逸らした。


「アメリアでございます。閣下には、名で呼んでいただきとうございます」

「……ならば、俺のこともローエンと呼び捨ててもらいたい」

「はい、ローエン。それでは、私をお連れくださいませ」

「──承知した」


 ローエンは、私よりも三つ四つ年上に見える、黒髪と青紫色の瞳をしたたいそう美しく、そして異国の男である。

 そんな彼と私──フェレンツ王国の第四王女アメリアはこの日、夫婦となることが決まっていた。



 大陸の南に位置するフェレンツ王国が、東に連なる山脈によって隔たれた国カシュカと同盟を結ぶに至ったのには、退っ引きならない事情がある。

 近年、大陸の北一帯を牛耳るベライツ神聖国の影響が間近に迫りつつあったからだ。

 いよいよ危機感を募らせた第十六代フェレンツ国王は、東の友邦アキツ皇国とを繋ぐ陸路を確実にするため、カシュカとの関係改善に動き出す。

 その結果、末王女である私が友好の証としてかの国に嫁ぐことになり、こうして国境まで迎えにやってきたのが夫となるローエン本人だった。

 私を軽々と抱え上げて鞍に座らせると、彼もひらりと後ろに跨る。


「乗り慣れていないと不安に思うかもしれないが、危険がないことは俺が保証する」

「ええ、ローエンを信じます。不安はございません」

「そうか……では、俺にもたれて楽にしているといい」

「はい」


 言われた通りに背中を預ければ、ローエンは私を両腕で囲うようにして手綱を握った。

 夫となることが決まっているとはいえ、まださほど親しくもない相手と密着していることには少なからず緊張を覚える。

 なにしろ私達が顔を合わせるのは、二月前──この国境近くの屋敷で行われた両国の会談以来の上、まだたったの二度目なのだ。


(王家に生まれたからには政略結婚もやむなし。どんな相手であろうと、国益が続く限りは耐えなければならないと思っていたけれど……)


 ローエンは愛想がいいとは言い難いものの、見た目や所作は洗練されており、私に対する態度はとても紳士的に感じる。

 政略結婚なのだからお互いに思うところはあるだろうが、少なくとも現時点において、私に限っては相手に不満を覚えていなかった。

 にもかかわらず、そんな気持ちに水を差そうとする者が現れる。


「ああ、ひどい……あんまりでございます。このような形で、姫様を差し出さねばならないなんてっ……」


 突如そう言って泣き出したのは、私の乳母だった。

 同行した侍女や騎士達がぎょっとするのも構わず、乳母は顔中涙でぐちゃぐちゃにして続ける。


「なぜ、こんな……王族でも貴族でもない男になどっ……!」

「……っ」


 ローエンが小さく息を呑んだのが、密着しているせいで分かった。

 二月前の会談の末、カシュカが私の政略結婚の相手として提示してきたのは、王の腹心──ただし、乳母の言う通り王族でも貴族でもない男だった。

 そもそも、カシュカ側にはさほど利益のない同盟だったため、はなから乗り気ではなかったのだろう。

 対して、アキツ皇国との連携を強化したいフェレンツ王国には、どうあってもカシュカの領地を安全に通行できる確約がほしかった。

 対等な交渉でなかったのは明白だろう。

 乳母もそれを承知しているはずなのに、と私は困惑する。


「口を慎んでちょうだい。私の夫となる方に、無礼な物言いは許しませんよ」

「ですが、姫様! ばあやは口惜しゅうございます! 大切にお育てした姫様が、こんな……」


 乳母が泣き腫らした目でローエンを睨み据える。

 そればかりか、人差し指を突きつけて叫ぶのだった。



「こんな、人間ですらない──魔物の伴侶とされてしまうだなんて!」


 

 カシュカは、魔物の国である。

 これは、大陸において周知の事実だった。

 魔物の国を統べるのは魔王であり、その腹心であるローエンもまた魔物だ。

 一見すると人間と変わらないように思えるが、衣服から垣間見える彼の右半身には黒い鱗のようなものが確認できる。

 そして……


「ギャウッ!!」


 私とローエンが跨っているのも馬ではなく、全身が銀色の鱗に覆われ、皮膜が張った大きな翼を持つ飛竜だった。

 それが、鋭い牙を剥き出しにして、ローエンに指を突きつけていた乳母を威嚇する。


「ガアアアアアッ!!」

「ひいいっ…… !!」


 たちまち、フェレンツ王国の人々は騒然となった。

 腰を抜かした乳母を、真っ青な顔をした騎士が抱えて後退る。

 侍女達は悲鳴を上げて逃げ惑い、馬車を引いてきた馬まで嘶いて駆け出す始末だ。

 飛竜はグルグルと唸り声を上げつつ、右往左往する彼らに向かって一歩踏み出そうとしたが……


「──やめろ、シーシャ。騒ぎを大きくするな」


 ローエンがそう命じると、とたんに足を引っ込めた。

 シーシャ、というのが飛竜の名なのだろう。

 おずおずと振り返り、上目遣いに主人の顔色を窺う姿は意外に愛らしい。

 思わず頬を綻ばせかけた私の頭上で、再びローエンの声が響いた。


「あなた方の大切な姫君を伴侶にいただくに、俺が分不相応だというのは誠にその通りであり……たいへん申し訳なく思っている」


 その殊勝にも聞こえる言いように、フェレンツ王国の人々が揃って毒気を抜かれたみたいになる。

 私も、飛竜と顔を見合わせた。

 しかし、続く言葉でがらりと印象が変わる。


「だが、もう決まったことだ」


 有無を言わさぬ、圧倒的強者の声だった。

 誰しもが反論を封じられ、あたりはしんと静まり返る。

 殊更近くでローエンの声を聞く私は、無言のまま両目を閉じた。


「姫君は──アメリアは、本日をもって俺と夫婦になり、この先の人生をカシュカで過ごす。これはもう、誰にも覆させない」


 体が密着しているものだから、言葉は音としてだけではなく、振動としても伝わってくる。

 まるで、自分が言い聞かされているような心地になり、私は人知れず唇を噛み締めた。


(私はもう……後戻りは、できない)


 この度のフェレンツ王国と魔物の国カシュカとの同盟は、半ば後者のお情けで成立したようなものだ。

 ゆえに、カシュカが誰を私の伴侶に選ぼうと、嫁いだ後の私をどのように扱おうとも、フェレンツ王国側に異を唱える権利はない。

 祖国にとって、私はカシュカへの生贄でしかないのだ。

 だから、乳母も、侍女も、騎士も、誰も一緒に国境門を潜らなかった。

 これが今生の別れだと思っているのは、私よりもむしろ彼らの方だろう。

 それを薄情だと思うよりも、仕方がないと諦める気持ちの方が大きかった。


(王家に生まれたからには祖国のために命を捧げるのもやむなし。覚悟なら、できている……)


 それでも拭い切れない心細さを、私はそっと押し殺した。


「──行こう」


 ローエンの出立の合図とともに、飛竜が大きく翼を広げる。

 風に煽られた私のブロンドが、背後に陣取ったローエンの黒髪と交じり合った。

 その向こうから、乳母が、侍女が、騎士が──祖国の人々がばつが悪そうな表情で見つめてくる。

 それに対して私に笑顔で応えさせたのは、王女としてのなけなしの矜持だった。


「みなさん、さようなら」


 私のこの最後の顔を、祖国の人々はきっと罪悪感とともに思い出すだろう。

 それが情けないものであることが──私は、どうしても許せなかったのだ。


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