長文タイトルは日本文学への冒涜
昨今のライトノベル流行は理解できるんだけどな、あの読む気の失せるような長ったらしいタイトルは何なんだ。「~なんだが」だの「~な件」だの、誰に向かって言ってんだよ。U2もFall Out BoyもArctic Monkeysも裸足で逃げ出すレベルだな、ありゃ。
思うに、日本語での文学作品における良さのひとつには、少ない単語でリアリティのある描写ができるが故に、読者の想像力や好奇心を掻き立てることができる点にある。分かりやすいのが色彩描写──「白い」だの「黒い」だの、大抵の色は形容詞化しても2文字で伝えられる日本語と違って、例えば英語なら"White"と"Black"でいずれも5文字だ。僅かな差だと鼻で笑うかもしれないが、塵も積もれば山となる。
もっと実践的な例を挙げるか。『枕草子』は、日本人であれば誰もが知る平安時代中期に誕生した清少納言の随筆だ。その冒頭のフレーズ「春はあけぼの」──このたった6文字の羅列が、なんと「春の明け方、日の出の直前にぼんやりと空が白みがかっている様子」を表しているというのだから驚きだ。このように、日本語とその他の言語との間には、文章量と表現できる内容の比率、謂わば費用対効果に雲泥の差があるだろう。
無論、伝えたいことをうまく読者に伝えられるかは、全て執筆者の手腕にかかっているというのが前提だ。しかし、少ない文章で多くの情報量を与え、読み手の脳裏に浮かぶ登場人物の身形や心理、物語の舞台となる場所の景色などが自然と
壮大な物語の内容をできる限り簡略化して、一言にまとめたタイトルには、読者に「一体このタイトルは何を意味しているんだ」「これから何が起こってしまうんだ」といった想像力を働かせ、好奇心の赴くままにページを
僕のフォロワーさんの中には、長文タイトルを使って僕よりも遥かに成功を収めている方々も沢山いるので、念のため言い添えておこう。長文タイトルが使用された作品の中にも、蓋を開けてみれば意外と面白いじゃないかといった作品は確かに存在する。だが、所詮それはジャンクフードに過ぎない。日本文学の主役は、あくまで丁寧に丹精込めて作られた和食料理であるべきだろう。言っておくが、僕はジャンクフード大好きだぞ。たまにしか食べないというだけで。
だいぶ挑戦的なことを口走っている自覚はある。長文タイトルが主流の現代において、
こういう言論を目(耳)にすると、何を勘違いしてか「攻撃されている」と錯覚した謎の勢力が大挙襲来して「お前の言っていることは誹謗中傷だぞ」とか難癖をつけてくるのだが、そういう輩はこのメッセージに隠された真の意図を正しく汲み取れていない時点で、表現者、あるいは表現物の受け手として未熟だ。ネットリテラシーを鍛えるんだな。
無論、的確な根拠を以て、冷静に反論を試みようとするコメントは大歓迎だ。むしろ、そうした自分とは異なる意見を持っている読者の方との交流を図るために、敢えて挑発的な言動を取っている節もあるから許してくれ。自分の背中は自分じゃ見えないもんでな。誰かに指摘してもらわにゃ、意外な腫物ができあがってることに気付けないやもしれん。そのくらい第三者からの客観的な意見は重要だってこった。
話題として取り上げてほしい、ばっさり斬ってほしい題材なんかがあれば、あるいは答えてほしい質問なんかも常時受け付けてる。コメントがあれば、ほぼ確実に作品へと反映させるから、気兼ねなく自分の意見をぶつけてみてくれ。
──おしまい。
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