腫れ物

みにぱぷる

腫れ物

 いぼ。漢字で疣。足にできた疣。小さく気にもならないように見えて、結構気になる疣。私のような貧しい人間の宿敵。

 

 そもそも、この忌々しいものができた原因は確実に私にある。

 私は日課として散歩する習慣があるのだが、どうやらこれはその習慣によってできてしまったものらしい。つまり、歩き方が原因でこの疣はできたのだ。

 私がこれに気付いたのは自宅にて、勤め先の三つ上の先輩から大きい仕事を任されて、任された時は、やってやろうというぼんやりとした決心をしていたのだが、その決心が薄れつつあり、いい加減しっかりしなければとパソコンの画面と向かい合った時だった。

 何か左足に妙な感触を覚えた。最初は床にシールでも落ちていて、それが左足の裏にくっついたりしたのではないかと思ったが、私の家にシールなどない。

 そこで違和感を覚えた私は、作業机の椅子に座り、左足を右足の膝の上に乗せて足の裏を覗き込んだ。そして、見つけてしまったのだ、足の裏に忌々しい疣が出来ていることを。

 私は目を凝らして足の裏を見つめる。白っぽいできもの。ちょっと凹んでおり、凹んだ部分をさらに目を凝らすと黒い粒々や気持ちの悪い皮膚の断片のようなものが見える。ああ、疣だ。幼い頃に一度足にできたことがあるのでそこまで不気味には思わなかった。ただ、気になって仕方がない。

 かといってこんなことで時間を奪われているわけにはいかない。私は漫画のように首を大きく横に何度か振ってこのことを忘れて、机に向かい、パソコンを起動する。

 再び仕事を始めようとした時。

 キッ。足に仄かに痛みが走った。これも疣あるあるではある。何もしていないのに、ちょっとだけ痛みが走ることがある。しかし、せいぜいちょっと感じるなという程度で、痛みというほどのものでもない。しかし、私の集中力を切らせるには十分なものだった。

 とりあえず、仕事を。

 キッ。わざと私の集中力を妨げるかのように痛みが走る。流石に私はやってられなくなり、立ち上がった。

 近所の薬局でイボコロリでも買ってこよう。こんなものとっとと取らないと執筆どころではない。だが、イボコロリの効能は効かないことや、時間がかかることも多い。そして、締切も来月に控えている。どうしたものか。

 私は悩んだ末に疣の治療を行っている「村上医院」という病院で診てもらうことにした。なぜ、この病院を選んだのかは単純で、この病院の医院長は私の旧友なのだ。この前も腹痛でお世話になった。

 兎に角、「村上医院」なら信頼できる。もしかしたらささっと治るような方法を知っているかもしれない。

 というわけで私は「村上医院」を訪れた。

「で、何があったんだ」

 医院長であり、旧友、村上は約一ヶ月ぶりに私と会い、私がさらに痩せてしまっていることに驚いたようだ。一方で、対照的に彼は以前会った時よりもさらに太ってきている。

「単刀直入に言えば、足に疣ができたんだよ」

 私は患者としてではなく、友人として彼に話しかけることにした。

「疣? 疣なんかうちより、もっと腕のいい医者がごまんといるぞ」

「それはそうなんだが」

 なぜか照れ臭くなって、お前が一番信頼できる、とは続けられず。

「知り合いの医者を紹介してやろうか」

 彼が紹介する医者なら信頼できる。私はそう思い、よろしく、と言おうとしたのだが。何処かの私の記憶が蠢き、私はよろしくという言葉を伝えられなかった。何だろう、まるで、そのようなことをするのはとても良くないと、ほんのうのような何かが教えてくれているようなそんな。

「いや、お前でいい。とっとと治療してくれ」

 つい不躾な口調になってしまう。

「じゃあちょっとその疣見せてみろ。疣じゃないものの可能性もあるからな、ほい」

 彼はそう言って足置きを持ってくると、ちょうど私の足の前に置いた。私は裸足になってその上に左足を乗せる。

「うん? ああ、これかぁ」

 村上はぶつぶつ言いながら私の左足の裏を見る。

「あれ持ってきて」

 診断ができたのか、彼は看護師に薬の指示を出した。看護師はすぐに頼まれたものを持って戻ってくる。

「ささっと疣取っちゃうから、ちょっと痛いけど我慢しろよ」

 彼は看護師が持ってきた鉄の瓶に細長い金属製の棒を突っ込む。シューっという音がして、煙が巻き上がる。

 やはり、液体窒素で治療を行うようだ。幼い頃疣ができた時にも液体窒素の治療を行った記憶がある。液体窒素N2を用いた治療。-196℃の超低温の液体窒素を疣につける一般的な治療法。しかし、同じ治療法でも医院によって痛みは変わる。

 彼は瓶から棒を取り出して、私の疣に...。

 ジュ、と音がした。少し痛みが走る。もう一度彼は棒を私の疣に。また痛みが。そんな痛くはないのだが、つんときてつい涙が出そうになる。しかし、大人らしく堪えなければ、と私の視界が溜まった涙でぼんやりしてきた時。その視界に妙なものが映った。

 瓶に「液体窒素」と書かれていたのだが、その下に明らかにおかしい記述があるのだ。

「N214」

 214? そんな元素あるのだろうか? 科学に詳しくない私だが、漠然と何か異常なものであることは感じた。

「はい、終わり。多分、このまま放っておけば数日後には綺麗になってますよ」

 村上は、棒をしまい、液体窒素を看護師に持って行かせてから一息ついて言った。

「あの、ちょっと気になったんだけどさ」

「どうした?」

「N214ってあれはなんなんだ? 記憶違いじゃなければ、液体窒素はN2だったような」

 私は意を決してそれを尋ねてみた。まるで、尋ねてはいけないことであるかのように私の口はいつもより重く、言葉を発するのに時間がかかった。

「ああ、それね」

 村上は笑って教えてくれようとしたのだが。

 キッ。どこからか覚えのある音(感覚)が。

「それは」

 キッ。

 キッ。

 キッ。

 まるで、私がこのことを知ることを妨害するかのように。

「窒素は...」

 キッ。

 キッ。

 キッ。

 ああ、別に聴力が失われたわけでもなく、彼の声はちゃんと聞こえるのに体が彼の声を取り込んでくれない。

「例えば...」

 キッ。

 キッ。

 キッ。

 なぜ、そして、どうして。私に知る権利はないということなのだろうか。でも、これは。

「ということ。わかった?」

 彼の説明が終わった途端に、例の感覚は嘘みたいに消えた。

「ま、とりあえず触らずにしてたら治る。ただ、絶対に触るなよ。触ったら酷くなるからな。移るしな」

 確かに疣は移ることがあると聞いたことがある。彼はそれを危惧して忠告してくれているのだろう。

 私は頷いて診察室を出た。


「あああああああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」

 私はその日の晩、風呂上がり、一人で発狂した。

 それは執筆を始めようとした時だった。

 キッ。

 またこの忌々しい疣が私の仕事を邪魔してきたのだ。無視しよう無視しようと努力し、素足になる風呂でも意識を別のものに向けて回避していたのに、いざ仕事に取り掛かろうとするとまたそれが私を妨害し始める。

「くそ」

 私は苛立たしくなってきて力一杯椅子を蹴った。椅子はがちゃん、と音を立てて倒れた。

 キッ。

 キッ。

 キッ。

 キッ。

 嘲笑っているのか? 馬鹿にしてるのか? 私を馬鹿に。

 私は流石に耐えられなくなり、ついに決心した。どうにか疣をほじくり返してみるしかない。

 キッチンに行き、溜めている割り箸の袋を開けて爪楊枝を取り出す。

 そして、先ほど倒した椅子を起き上がらせて、そこに座り、足の裏を確認する。

 あれはしっかりとそこにあった。あの気持ちの悪い形を留めながら。私はそこに向かって爪楊枝を差し込む。

 そして、そこにある黒い粒や、膜のように張った皮膚の皮を、攻撃する。

 突っつき突っつき突っつく。

 少しいじってあげると、ある程度綺麗になり、皮膚に空いた小さな肌色っぽい穴のような見た目に変わった。

 キッ。

 しかし、それでもまだこいつは抵抗を続ける。私はどうしたものかと考えあぐねていた時、いつしかテレビで見かけた話を思い出した。

 疣に似たもので「ウオノメ」というものがあり、それは芯を破壊してやらないと治らない、という話だ。なるほど、これは「ウオノメ」なのかもしれない。

 私は爪楊枝を再び、その穴の中に入れる。そして、無作為に突き回す。すると、脆くなった皮膚が破壊された。

「おお!」

 芯を破壊できたと考えた私は歓声を上げた。が。

 キッ。

 まだ、生きているようだ。私はまた、無作為に突き回す。すると、弱くなった皮膚が破壊される。

 キッ。

 私はまた、無作為に。すると弱くなった皮膚が...。

 

 一時間ぐらい格闘した後、我に帰った。やり過ぎた!

 私は慌てて穴の方に意識を向ける。深い。二十センチはあるのではないだろうか。 

 いや、二十センチ...? おかしい。二十センチぐらい凹んでいるのに、貫通はしていない。まだ、皮膚の層が見える。ということは、足が横から見ると膨らんで凸の字になってしまっているのだろうか。と思ったが、そんなこともなく、横から見たら凹凸はない。平坦だ。

 おかしい。おかしすぎる。私は不気味になってヒェッと声を上げた。

 キッ。

 キッ。

 キッ。

 疣は、まだ音を発し続ける。

 私は半分放心状態で疣の、その二十センチ近い穴を覗き込む。肌色の皮膚の層が...うん?

 妙なものが見えた、気がする。いや、気のせいではない。肌色だったはずの部分が白くなり、そして、真ん中にビー玉サイズの黒い点が。動いている...いや、私を見ている? これは、「ヒトノメ」?

 目が合った。私はうわあ、と情けない悲鳴をあげて後ろに倒れた。

 私の背中が床と接触し...頭が机の角にあたり、私の中にあった意識が飛ばされた。私の家を突き抜けて、天高くへと意識が上っていく。そして、天上まで上がった意識は下降を始め、私の家のベランダが見える位置で静止した。

 宙に浮いた私の意識が見つめる中、私の家の窓が開いて、ベランダに人が姿を現した。

 それは、紛れもない”私”だった。

 深い深い泥沼の奥底から封印されていた魔物が呼び起こされたかのように、”私”はのっそりと歩いてベランダに全身を表す。そして、両手をだらりと垂らして、頭だけ上向いた状態で吠えた。

 私の意識は”私”を神妙な様子で見守る。

 その時、”私”に変化が起こった。

 キッ。

 キッ。

 キッ。

 キッ。

 キッ。

 キッ。

 キッ。

 キッ。

 キッ。

 私の意識にまるで嘲笑うようにあの感覚が。

 そして、その音と共に”私”に変化が生じた。

 全身のありとあらゆる場所から目が生えてきたのだ。頭から手から足から、そしてその先まで。どんどん目の数は増えていく。顔にもどんどん目ができてきて。

 キッ。

 キッ。

 キッ。

 キッ。

 キッ。

 キッ。

 数分後には”私”は目だらけの異生物になっていた。

 その目の数は数百数千数万にも上るだろう。私の意識はそんな”私”の様子をまるで他人事であるかのようにぼんやりと眺めていた。


 ーーーま、とりあえず触らずにしてたら治る。ただ、絶対に触るなよ。触ったら酷くなるからな。移るしな


 この発言は、ああ、そういう意味の。

 このまま私の意識は天に打ち上げられたままでいたかったが、そうはいかない。

 私の意識は再び”私”の中に戻るべく、全速力で”私”の体に近づいていく。ああ、この後、この後私が”私”の中に戻った時、私はどうすればいいのだろうか。このおおよそ人間とは言えない見た目で。

 キッ。

 私は、どうすれば、いいのだろうか。

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腫れ物 みにぱぷる @mistery-ramune

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