第30話 まぶたを透かして
『トーリは、さ』
『偽善者だよ』
『心配をされるのが、苦しいって、分からないかなあ……』
レイノンに、あんなことを言わせてしまった。
オレとは別行動したいというから、きっと国境を越えるだろうと考え、ムーテに頼んでまっすぐに向かってきたのだが、レイノンの音は聞こえない。
街中はあまりにも、雑音が多すぎる。うるさくて敵わない。それでも、人よりは聞こえるが。
俺の耳がいいことを知っているレイノンなら、あるいは、もうとっくに国境を越えていってしまったのかもしれない。
国の境というのは、自然からは保護されている。外に出れば、モンスターや魔法を使えない動物、魔法植物などの危機に晒される。
オレが分かっているからといって、レイノンが理解しているとは限らない。もとより、レイノンはその程度のことでは、臆さない。だからこそ、山中を一人で駆け回れる。オレは、怖いから、できるだけルジと一緒にいたい。
「すまない、ムーテ」
「うん、どうしたの?」
見目は分からないが、美しい音がする少女だ。初めて出会ったときの、震えるほどの殺意は鳴りを潜めているが、正直言って、オレは、この子が、怖い。
「オレたちの喧嘩に巻き込んでしまったことだ」
「こんなときでも私のことを気にしてくれるのは、すごく優しいし、ありがとうって思うけど。私のことは、二の次でいいよ」
「そうか」
言葉と音が、一致しない。平たく言えば、出会ってからほとんど、彼女は本心を語っていない。
彼女の母親も、あれはあれで、本心を歪めているような不快な音がしていたが、それとは異なる。明らかに、意図して嘘をつき続けている。
そして時折。オレの瞳の色を、まぶた越しに見透かそうとしてくる。目をつぶっている限り、信頼されないのだろう。
「とーりすは、偽善者、なんて言われて、怒ったりしないの?」
「怒る?どうして」
「だって、心からの善意を、否定されたんだよ。大切にしたいと思う相手に、嘘つき、信じられない、って言われて、怒らないの?」
怒る、か。怒るなんていうのは、嫌われる勇気がある者だけがすることだ。オレのような臆病者が、レイノンに怒るなんて、できない。かつてならともかく今は。それに。
「事実だろ。オレは見た目ほど、純粋な善意でレイノンを慮っているわけじゃない」
外から見れば、オレはどんなやつに見えているのかと考えることは、多い。そのすべてが分かるわけではないが、きっと、『レイノンに対して優しい弟』なんて思われているんだろう。現実はまったく異なる。
「そうなの?」
「優しさの基準はいくつかあると思うが、辞書で引けば、おだやかとか、思いやりがあるとか、そんなところだろう。オレはそのどちらにも該当しない」
「じゃあ、おにーさんのこと、どう思ってるの?」
どう、と言われると、複雑だ。好きとは絶対に言えないが、嫌いとも言い切れない。それは、オレたちの種族が違うということを理解する前後で、変わらない。
「レイノンはレイノンだろ」
「好きも嫌いもないの?」
「どっちもある、の方が正しいかもな」
ムーテは、言葉では興味を示し、音では無関心を示す。
「どうしてそんなことを聞く?」
「なんとなく、気になっちゃって」
「ムーテは、レイノンにはまったく興味がないだろ。その上、オレのことは嫌いだ。違うか?」
動揺の音。目をつぶっていても分かる。いつもより長い間。言葉選びに困っている。困らせようとしたわけでも、責めようとしたわけでもなく、思ったことを言っただけなのだが……。
「すまない。つい、思ったことを口にしてしまうんだ。無理して答える必要はない」
「え。……どうしてそう思うの?さっきも、今も」
言い当てられた動揺はすでに収まり、それを態度に出すことはしない。さっきとは、誘拐の話だろう。
だが、思ったことを反射的に口にしてしまうオレであっても、彼女に弱点を見せるには、恐怖が勝る。聴力を逆手に取ることは容易い。
「なんとなくだ」
「ふーん」
この子が、怖い。だから、ブリェミャーの杖の切っ先が、オレの喉元にあてがわれていることにも、気づかないフリをするしかなかった。
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