第19話 紅のラズ

 外で待っているように言われたので、俺たちは大人しく待っていた。ムーテには、証拠としてブリェミャーの杖を預けてある。


 内心では、今からでもトーリスを引っ張って、連れて行きたかった。


「トーリス。この家は、緑壁の黒屋根だ」


「え――」


 それにさえトーリスが気づいていれば――いや、気づいていたところで、同じだ。


 ムーテが扉を閉じてすぐに、俺は尋ねた。緑の壁に、黒の屋根。これが示す意味を。俺が見てきた限り、ここに来るまでの間に、同じ配色の家は、一つとしてなかった。


「黒は、白の反対と捉えられる。そして、緑は、赤の補色――反対の色だ」


 赤の反対は緑。組み合わせることにより、互いが一番、際立つ。


「赤は――ここにいてはいけない、魔族の目の色であり、象徴だ」


「つまり、魔族を排除しようとする、過激派ってことだね」


「その通りだ、トーリス、レイノン。それも、この街で随一の、魔族嫌いだろうな」


 トーリスはフードを、さらに深く下ろす。


 きっと、魔族差別が激しいヘントセレナでも浮いてしまうくらいの、魔族嫌いだ。


「大丈夫だよ、トーリス。俺がいるから」


「うん――」


 俺の代わりに、レイノンがトーリスをなでなでする。もう子どもじゃない、と強がっているあたりが子どもだ。


 そのトーリスがフードをピクッとさせて、家の扉を見る。直後、扉が開かれて、ムーテが現れる。


「大変お待たせして申し訳ありません。どうぞ、お上がりください」


 他人行儀なその声と、こちらを見ようとしない沈んだ黄色の目。同じ見た目で同じ声なはずなのに、まったくの別人のように思われた。


 声に従い、俺たちはムーテの家にお邪魔することに。


 招かれた部屋には、紅髪を一つに束ねた女性がおり、額を床にこすりつけていた。


「ムーテ」


「この度は、私のような些末な命をお救いいただき、ありがとうございました」


「些末……?」


 女に名前を呼ばれると、その隣でムーテも同じように平伏し、感謝を述べた。


 トーリスはその言葉に不快を見せ、レイノンは露骨に嫌そうな顔をする。リアは俺の足元に隠れ、怯えていた。


「二人とも、顔を上げてください。感謝されるほどのことではありませんから」


 ――赤い目だ。赤い目が、飾られている。


 腐食防止の液体で満たされた容器の中に、魔族の赤い眼球が二つ――両目の分、飾られていた。


 トーリスにこれが見えていなくて、よかった。


「いいえ、この愚女の命をお救いくださったのですから。あなたたちはこの世のどんな存在よりも、尊きお方です。お望みとあらば、これがなんでもいたします」


「なんでも、か」


 ムーテの笑みがわずかに、固くなる。なんでもというのなら、やってほしいことは山ほどあるが。


「些末な命って、なんだよ。この世に、どうでもいい命があるわけないだろ」


 ――トーリスは黙っていられないだろうと思っていた。これでも、怒りを堪えたほうだと思う。


「それなら、彼の望みを聞いてあげてください」


「どんな……?」


「ムーテの体に傷をつけたり、心を縛り付けるようなことは、金輪際、やめろ。母親だろうと、娘を好き勝手していいわけないだろ」


 よくぞ言ってくれた、トーリス。これで、万事解決。この親子とはもう関わることもないな。


「はぁ……?生憎と、何をそんなに怒っていらっしゃるのか、分かりかねます」


 ああ……。これは、ダメだな。


「貴様、ふざけているのか。ふざけているというのなら、まだ許してやる」


「ええと、本心でございます」


「貴様――!」


 掴みかかろうとするトーリスは、頭に血が上っていて、俺の言葉やレイノンの制止は届かないだろう。赤い目が、開きかけている。


「ラウッ」


「あでっ!?」


 そこへ来て、リアがトーリスの頭の上に飛び乗り、フードを深くかぶせて落ち着かせる。さすが、俺のリア。


「私はただ、私が育てられたのと同じように、しつけているだけです。魔族に情を持つなんて勘違いされては、命が危ういですから」


「しつけ、だって……?」


「トーリス。この人は、なんでもするって言ってるんだから。言葉だけでこと足りる」


 そう、レイノンの言う通りだ。今、一番大事なのは、赤い目を見せないこと。


 他人の教育に口を出すのはよくないが、ムーテの気持ちはどうなのか。結局、本心は聞けていない。


 ともあれ、この母親は俺たちを、神か何かだと思い込んでいるから、言われればその通りに成そうとはするだろう。


 けれど、それが当たり前の環境で育てられてきて、それ以外の育て方を知らないのなら、どうにもできない。


 どれほど苦痛の日々を過ごしたとしても、それを正当化する甘い言葉――お前のためにやってるんだよ、なんて毎日毎日、言われていれば、本気でそれが子どものためなのだと、思い込む。そういうものだ。


 きっと彼女は、自分が娘に与えている痛みがどの程度のものなのか、どこまでやったら命に関わるのか、正確に、理解している。自分がそうされてきたのだから。


 それによって、彼女の基準の中で定められた悪い事の程度によって、ムチを打つ強さや場所を変えているのだろう。


 仮に、ムーテの体に傷をつけることだけやめさせたとしても、それはそれで、傷をつけないような方法に変わるだけだ。それに、言葉自一つとっても、一番、嫌な言い方というやつを、無意識に選んでいることだろう。


 何を説いたって、無駄だ。この母親を救うには、もう遅すぎる。唯一救いがあるとすれば、ムーテの父親だったが、すでに殺されているとなれば、あるいは、それも関係しているのかもしれない。


「ルジ……」


 レイノンが助けを求めて呟く。また思考の海に潜り込んでしまっていた。


「ムーテ。二人に、街を案内してきてもらえるかな?できるだけ、ここから離れたところに行ってくれ」


「――承知しました。それでは、参りましょう」


 ムーテは横に細長い鞄を手に取り、肩から下げる。


 最初からこうするべきだった。トーリスはともかく、赤い眼球が飾られる光景は、レイノンの記憶に一生、刻み込まれてしまったことだろう。可哀想なことをした。


 三人そろって、家を出ていく。リアは、残るらしい。


 この家には防音魔法がかけられているが、まだ、トーリスには聞こえてしまう。遠くへ行ってもらわないと。


「さて――まず、あなたの名前をお聞かせいただいても、よろしいでしょうか」


「名乗りもせず、大変失礼いたしました。ラズと申します」


「ラズ……?」


 ラズ――紅色を指す言葉だ。


「ええ、紅の、ラズです」


「素敵な名前ですね。あ、俺たちは旅をしていまして――」


 なんて、世間話から始めていこうか。ラズの驚いたような顔は無視して。

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