第12話 虹を散りばめた街
「なあ、レイノン」
「ん?」
「この前、何か言いにきただろ。リアを撫でるとか嘘ついて」
「この前って――それ、一年くらい前じゃない?」
「ん?そうだが。あれからちょうど一年だから、今日呼んだんだ。……どうかしたか?」
「いや、一年前はこの前って言わないんだよ」
そうか。まあ、そうか。そうかもしれない。呆れたといった表情のレイノンは、頭の後ろで手を組んで、はーとため息をつく。
「あの木の名前が聞きたかったんだよ。ルジに知らないことなんてないはずだからね。あの木の名前、知ってるんでしょ」
折れない木。一本だけ折れた枝。たわみもしない。そして、あの山に生えていたこと。
思い当たる木は一本しかない。名前のついた木だ。あの場では知らない体を装ったが、レイノンにはお見通しだったらしい。会話を優先したのもあるし、できれば答えたくなかったのもある。
「いいよ。教えてあげる」
「それ、ただし条件がある、って言うための秒速回収前フリじゃん……」
「ただし条件がある!」
「ほらぁ……。なーに?」
「折れた枝が今、何に使われているか、当てられたら教えるよ」
「ええっ。そんなの、どうやって当てるのさ?」
当てるも何も。別に難しいことじゃない。枝の使い道なんて、限られているのだから。
「枝と言えば、そんなの一つしかないだろ」
「木の枝なんて、焚き火くらいにしか使わないんじゃ……」
「さーあ。考えた考えたあ!」
「えー……」
結局、あれから丸三日が経っても、レイノンは答えにたどり着けなかった。
***
頂上に近づくに連れて、雪が増えてくる。やっと登頂し、開けたところから見下ろせば、麓には色彩豊かな街並みが広がっていた。
東西に帯を成し、両端が海に接しているが、そのすべてを一視界に納めることができないほどに、広い。これがヘントセレナ国だ。
「見えてきたね」
「まだ歩くの〜?もう無理だって……」
「しんどいならおぶってやるぞ、レイノン」
「ありがとう、トーリス。まだ大丈夫だよ」
トーリスの背中を拒否するレイノン。レイノンのトーリス推しについてはよく分からないが、恐らくは、「兄弟としての距離感」を大事にしているのだろう。
できるだけ、弟に違和感を抱かせず、極大の好意を悟られないよう、普通を装っている。
あと考えられる理由としては、「同い年の幼い弟の背中を借りるなんてとんでもない!」といったところか。背丈は同じくらいでも、魔族であるトーリスは、レイノンを担いで走るくらいのことはなんとかできる。でも、レイノンにはできないから、躊躇いがあるのかもしれない。
「あそこは――ヘントセレナか?」
「え、トーリス、すごすぎない?なんで初見の街の名前分かるの?なあ、レイノン」
「トーリスは昔からすごいよ」
「前に本で読んだ。赤川山脈の頂上からでも見渡せないほど広く発展している、色とりどりの街並みは、さながら虹を散りばめたようで、山の南側とは光景がまるで異なる。そう書いてあっただけだ」
それにしたって、本でこの光景を見ることはできない。載っていたとしても、絵くらいだが、トーリスに渡した本には描かれていなかった。
大体、どの辺りにあるか――それこそ、世界地図でも持っていれば、あるいは、放浪記を追っているなら分かるかもしれないが。
世界のどこかも分からない場所がここだと、手記一つで分かってしまうのだから。
「書いたやつがすごかっただけだろ。それに、特徴的な地形だ。誰がどう見たって分かる」
「確かに、この場でその記述を読めば、そう思うだろう。でも、言葉だけでは想像できない部分もある。想像できないものと、目の前の光景を一致させることは難しいんだ」
箜篌もそうだ。知らない人に説明するのは難しく、俺がどれだけ言葉で説明しようと、実物を見たときに、それが箜篌だと分かるかどうかは、別の話。
そもそも、箜篌には様々な形がある。立てて使うものもあれば、伏せて使うものもあるし、音色も千差万別。きっと、実物を見ない限り、俺の箜篌に近いものを想像できる人は、そうはいないだろう。それが、普通だ。
「トーリスは、この光景を見たかったんだね」
――それでも分かるとすれば、それは、探し求めていたからだ。想像して、本物を知りたいと思っていたからこそ、実物を見たときすぐに分かったのだろう。
「虹を散りばめたよう、なんて書かれてたら、気になりもするだろ」
レイノンはそんなトーリスを見て、楽しそうに微笑んでいる。
「そっか。実際見て、どうだった?」
「――きっと、この辺りは寒いから、建物だけでも明るくしようとしたんだろう」
山の南北で景色が変わるというのは何も、国が違うだけの話ではない。山を挟んで北側は、一年を通して、草木も生えないほどの極寒の地だ。下っていく先の山は雪景色で、草木はまばらになり、山の肌が露見している。
「強いんだろうな。この街の人間は」
ヘントセレナといえば、人間の街の中でも気候条件が厳しいことで有名だ。山の南北が人間の土地であるため、山道の整備も進んでおり、比較的、越えやすい。
ただし、山頂を通る道は開拓されておらず、山頂にいる俺たちは当然、道など通ってはいない。
「さ、あとは下るだけだ。頑張ろう!」
大陸を区切るように大きな山だが、越えるだけなら、迂回して海沿いを歩いてもよかった。けれど、時間がかかりすぎてしまう。
本格的な冬が来る前にたどり着くには、この道が一番、早い。
「ところでルジ。この山って、人がよく生き倒れたりするのか?」
「――また何か見えたの?」
レイノンの問いかけに、トーリスは肯定も否定もしない。俺からの返答を待っている。
「そうだね。海沿い――あるいは海中を渡ってきた魔族が、吹雪に紛れて山を越えるときに亡くなることもある。人間にとっては山道を通ったとしても、決して楽な道のりではないし、そういうこともあるだろうね」
「そうか」
アルマズリーバの臭いについて考えているのか、はたまた、何か見えたのか。
こういうときのトーリスは、とても静かで、一人で何かを考えている。レイノンの問いかけに答えるつもりはなさそうだ。
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