怪底奇譚 七不思議異聞録

碇屋ペンネ

第一章

プロローグ

 トンっ。

 レイがいつも懐に隠し持っている小型のナイフの形状を、僕はよく把握している。

 磨き抜かれた木製の柄と、それに続く金属部の丈が一対一。

 鋭角で直線的な両刃の剣先は実用性を削ぎ落として儀式的な目的を尖らせている。

 つまりそう、切ることには向いていない。

 刺すためだけに作られた特注の刃物。

 彼女の手のひらにも満たない大きさのソレが僕の胸に突き立った時、初めに抱いたのは想像していたよりもずっと『重い』というどこかズレた感想だった。衝撃で、体が一瞬宙に浮く。

 一瞬。それは長い、長い一瞬だ。

 全てが静止してしまったかのように凝縮された無限の中で、虚ろで蒙昧な思考だけが微かな自由を許されている。

 知っている。僕は知っている。

 この意識は体がもう一度地面に触れるまでは保たないということを、僕は知っている。

 知っている。僕は知っている。

 痛みを感じるのも、傷口が熱を帯びるのも、破かれた心臓から血が溢れて飛び散るのも、この一瞬のそのあとのことなのだと知っている。

 だから、僕は君を見た。君も僕をじっと見ていた。

 麗の瞳は漆黒だ。淡い赤を幾重にも幾重にも幾重にも幾重にも重ねて作られた純粋な黒。

 彼女の唇が何かを呟いた。僕の耳はもう音を聞き取る事はできなくなっていて、『さよなら』にも見えたし『ごめんね』だったような気もしている。

 けれど、僕はソレを恨み言だと思うことにした。そうであって欲しかったからだ。

 素朴に愛する人に寄り添って、変哲のない日常を生きることが叶わないのは、誰かの憎しみのせいであるべきだとそう思ったから。

 決して運命なんかじゃない。

 これは単なる結果であって、世界にとっては別の可能性だってあったはずなのだから。

 ただ、君に許されなかっただけ。そうだろ?

 僕にとっては『世界』と『君』とにどれだけの差異があったのか、もううまくは思い出せないけれど。


 最後に残った力を振り絞って、僕は唇を動かした。

 音にはならない君に向けた『さよなら』と『ごめんね』。


 精一杯の恨み言に、真心を込めて。

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