第54話 思い出はいらない

「えーっと、俺なら大丈夫っすよ?」

「それ、本当に言ってるの?」

「……なんですか?信じれないですか?」

「当たり前よ。あんな事件があった直後にそんな元気なのは信じられない」

「信じられないっすか……」

「まだ17歳の器が……いえ、誰であってもあんな重いことがあったら少なくても1週間は精神が病むわよ」

「俺病んでませんよ?」

「それはまだ受け入れていないだけ」


 いつもの花梨さんからは想像できない強い言葉。

 どうせ変なことでも言うのかと思った俺だが、花梨さんの言葉でそんな思考はなくなった。


 受け入れていない?俺が?

 そんなわけないだろ。病院を出たときにはもう吹っ切れたはずだぞ。

 何を勝手なことを言ってるんだ。


「安心してください。俺はちゃんと受け入れてます」

「じゃあ、お母さんが亡くなってどう思ったの?」

「悲しいという感情ですね」

「他には?」

「他って……何かありますかね?悲しいしかなくないですか?」

「ある。後悔とか過去の思い出とか、色々あるでしょ。家族が亡くなって悲しいだけで済ませれられるわけがないわ」


 花梨さんは何が言いたいんだ?

 過去の思い出とか、後悔とか、あるに決まってる。

 けど――


「――そんなものは病院に置いてきましたよ?」

「なんで置いてきたの?」

「辛いモノを置いてきて何が悪いんですか」


 俺の言葉を聞いた花梨さんは衝撃を受けたように目を見開き、かと思えば目を伏せて俺の顔を覗き見るように見上げてくる。


「……岩瀬君は、家族のことを忘れたいの?」

「忘れたいと言いますか、忘れらざるを得ない状況じゃないですか」

「時間はかかるかもしれないけど、ちゃんと受け入れたら忘れずに生活できるよ?」

「今は時間がないんですよね。それこそ病院にいた時は、日彩にご飯を作ってもらえるから時間が確保できて自分のことを考えられるな、とも思いましたけど。俺、辛いの嫌いですし、バイトもあるから自分のことも考えられないし、病院に置いてこれたのだから気にしなくていいのではないですか?」


 父さんが離婚した時は小さかったから忘れる、ということをしなかった。

 結果、何日も引きこもり、学校に行くこともなく、食欲が沸くこともなく。

 今そんな状況に陥ったらごめんだ。

 東京を断ろうとしているのだから、自分の生活を守るために働かなくてはいけないし、家事もしなくちゃいけない。


「辛いのから逃げたって、なにもいいことはないよ?」

「ですかね?割と今はいい方向に行ってますけど」

「辛いことがあるたびに忘れるという癖がついて記憶力がダメになるよ?最近記憶力がなくなってきてるんじゃないの?」

「確かに悪くなる時はありますけど、生活に支障はないですよ?」

「絶対どこかで支障をきたすよ?今は良くても、将来がダメになるかもしれないの」


 どこまでも俺のことを心配してくれる花梨さん。

 これは俗に言う杞憂ってやつだ。俺のことを気にする時点で無駄。

 それをちゃんと知らしめないとな。


 この時の俺の言葉は表の言い訳に過ぎなかった。ただの口実。自分に言い聞かせるための適当な理由。

 それを信じた俺は、花梨さんに向けて大きなため息をついた。


「将来じゃなくて、今を見るしかないんだよ。さっきも言ったけど、俺には時間がない。将来なんて見る時間がない。分かる?現に、今が大変なんだから今を見るしかないんだよ」

「……っ!」


 突然の強い言葉。

 強い言葉とため息に、息を飲んだ花梨さんは俺を疑うような目を向けてくる。


 眠気と敬語なんてモノは忘れ、どこかに眠る感情の思うがままに口が動く。

 良くして貰っている花梨さんには申し訳ないけど、杞憂ってのを分かってほしいんだよ。


「俺は大丈夫だから。花梨さんが心配する必要なんて何一つない。母さんのこととか妹のことを忘れても、これからの人生で思い出して辛くなる事がないと考えたら、十分なメリットじゃん」

「……違う。そんな、メリットとか、デメリットとかで――」

「――なにも違わない。結局メリットかデメリットで人は動く。少なくとも俺はそうだ。もう母さんのことも妹のことも忘れて、意気揚々と生きる。デメリットの一つもないじゃん」

「…………違う。そんなこと、ない。家族のことは忘れちゃいけな――」

「――なにも違わない。てか、花梨さんは俺の立場で考えたことはあるのか?ただ大人だから子供にアドバイスして、ただ人生の先輩だから後輩にアドバイスしているだけなんじゃないか?経験は俺の方が上。答えなんて自分で出せるぞ?」


 そうじゃん。誰からも決められることはないし、自分の人生なんだから自分で決めればいいじゃん。

 こんな経験したのもどうせ俺だけ。誰も経験してないから先輩なんていない。俺が思うように決めればいいじゃん。


 もうこの時には頭のねじなんてものは外れ、自分で言ったことを肯定するただの機械と化していた。


「…………岩瀬君」

「なに?まだ言いたいことがあるんすか?」

「一回落ち着いて……?」

「落ち着いてるよ。至って冷静。誰がどう見ても冷静って言うよ」

「冷静じゃない!落ち着いて!」


 声を上げてそう言った花梨さんはいきなり俺の方へと腕を伸ばし、背中にがっちりと手を回すと自分の胸へと俺の体を抱き寄せた。


「花梨さん!?」

「お願いだから……落ち着いて」

「こんな状況で落ち着くなんて無理だ!」

「私の言葉を、ちゃんと聞いて」

「さっきのでもう大丈夫だってわかったでしょ!」

「分からない。岩瀬君の考えが分からない」

「分からなくてもいい!俺が分かればそれでいい!」


 だから、早く離してくれ。

 とにかく暴れ、花梨さんを押しのけようとしたり、腕を引き離そうともした。けど、一瞬離れてもすぐに抱き着いてくる。


「そんなのじゃダメ。家族を忘れるなんてダメ」


 もう過去を振り返らないと決めたんだ。

 家族のことなんて思い出さないって決めたんだ。


「なんで、花梨さんはここまでして俺のことを心配するんですか……!」

「私がすぐそばにいるから。私が岩瀬君に対して、一番近い距離で会話を交わせる人だから」

「そんなの、日彩でもいいじゃないですか!」

「日彩はダメ。あの子は多分、岩瀬君が自分の口から言わない限り気づくことはない。病院に行ってる時に気が付かなかったのだから、平然を装う岩瀬君を見るだけで察せれるわけがない」

「じゃあ、なんで花梨さんは――」


 さっき、俺がしたみたいに言葉を遮り、花梨さんは突然俺の頭を撫でながら口を開く。


「――なんで分かったのか、言わなくちゃダメ?」


 どことなく悲しそうな声。

 あまり思い出したくないのか、先ほどまでの威勢はなく、か細い声だけが俺の頭上から聞こえてくる。


「……大丈夫、です」


 いつの間にか戻っている敬語。そして暴れなくなった体。

 俺は花梨さんの胸に頭を当て、目線を下に向ける。


「あの時、こんな風に察してくれる人が近くにいてくれたら、どれだけ楽だったのかな」

「楽っすか……俺はもう、察してくれる人が近くにいても、思い出したくないほど辛いですよ」


 忘れるのと、過去を抱え込むのは重さの格が違う。

 少し冷静になった今だから分かる。

 俺の精神安定剤だと思っていた日彩は多分……いや絶対、日彩に振られた過去のことを思い出して、家族のことを忘れられていたから安心できたんだ。

 過去の重いことを上書きされないように、俺はなんども日彩の顔を見つめて振られたことを思い出し、手を繋いだりして、黒歴史を思い起こさせて、とにかく現実から目を背けるように日彩との過去を見ていた。


 俺はもう忘れたら楽、ということを知ってしまっている。

 だから、さっき花梨さんが言っていたように今思い出したって絶対に忘れようとする。


「でも絶対に一人よりかはマシよ」

「もう、思い出したくないです」

「辛い過去なんて、誰も思い出したくないわよ。でも、家族の思い出を忘れようとするのはダメ。私が断固として拒否します」

「……断り続けたら?」

「日彩が起きてもずっと抱き着く」

「……それでも嫌と言ったら?」

「一生このままだね」


 もうすでに辛い。

 日彩で隠していた母さんたちの記憶が上書きされていく。


「一生このままっすか……」

「もう忘れちゃった思い出もあるでしょうから、少しずつ思い出していこ?一つ頷くだけでいいから」


 ちょっとずつか。

 もう一年前の家族との記憶なんてないよ。

 一年前なんて、日彩と同じクラスになって「うわっ気まず」って言った記憶しかない。そんなものを――


「――どうやって?って思ってるでしょ」

「……思ってます」

「今度、私とデートしようよ」

「花梨さんとですか?」

「そう。二人っきりで、岩瀬君がいくら泣いてもいいようにね」

「俺は泣きませんよ」


 花梨さんとのデートと聞いて、あまり驚きやしなかった。

 日彩とは違う安心感があるからなのか、こうして話し合ったからなのか、なんで驚かなかったのかは分からないが、悪くないと思ってしまった。


「その返事ってことは、してもいいってことよね?」

「……思い出したくはないですけど」

「思い出は背負うものなのよ~。だから、絶対に思い出させるわ」


 安堵のため息と一緒に言葉を零した花梨さんは、まだ俺の頭を優しく撫でる。

 多分、俺のことをまだ救えると思っているのだろう。

 家族との思い出の場所に行って、どんなことをしたのかを思い出させて。

 ……ほんと、いい迷惑だよな。たかが数回しか会っていない子供のはずなのに。


「ちなみにですけど、俺はまだ思い出すって言ってないですよ」

「思い出さないの?」

「バイトに支障出たら嫌ですし」

「少しずつで良いから思い出していこ?そしたら多分大丈夫だから」

「多分ですか……」

「そうそう。多分大丈夫~」


 花梨さんに先ほどのシリアス的なものはなく、俺が断らないと思っているのか知らないが、いつものふわふわとした雰囲気に戻っている。

 まぁ断るつもりはないけど、了承するつもりもない。思い出せるのなら思い出したらいいし、思い出したくないのなら思い出さないという方針で行こうと思う。

 俺が勝手に決めた方針だから、花梨さんには言わないけどね。絶対拒否されるから。

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