第50話 積極的なお母さん
「ならよかった。私、どこか岩瀬君に気を遣わせちゃってるんじゃないかと思ってたから」
「なぜです?」
「ずっと敬語だからでしょー?私、距離を感じちゃうわ」
流石に年上だし、日彩のお母さんってこともあって敬語を使ってたんだけど、そんな風に思われていたのか。
まぁお風呂の時のこととかを考えれば、距離を置きたいとも思ったが。
「敬語は許してください。人生の先輩として色々尊敬してるんですよ?」
「本当に?」
「本当ですよ」
人生としての先輩というのは間違ってはいないが、尊敬しているかしてないかで言えば、花梨さんには本当に申し訳ないがあまりしていない。
「なら、尊敬している部分を言ってちょうだい」
「料理が上手なところ」
「他には?」
「子育てしていたところ」
「他には?」
「性格が良いところ」
「ふふ、これ気分いいわね」
「……そうっすか」
詰め寄るように言ってきたかと思えば、褒められて気分がよくなったのか、クスッと笑ってソファーに体重を預けた。
……もう、警戒する必要はないよな?
そう思い、完全に警戒心を解いた俺は、
「あ、髪乾かしたいなら私が乾かしてあげるよ?」
また警戒心のスイッチを入れて、花梨さんを睨む。
「いいです」
「えーさっき頼るって言ったじゃん―」
「言いましたけど、もっと大事の時に頼ります」
「髪乾かすことも大事じゃない?」
「大事じゃないです」
「じゃあドライヤーの場所は分かるの?」
「……」
どことなく、さぁ頼りなさいと言いたげに胸を張る花梨さんに、更に睨みを効かせる俺は、周りを見てドライヤーがないか探す。
そんなに頼ってほしいのか?この人は。
いやまぁ、頼らざるを得ない状況にするほどなんだから、頼ってほしいんだろうけど。
「残念ながらここにはないよー」
「どこにあるんです?」
「それは頼み事であってるよね?」
「……頼み事ですよ」
「ならよかった!ちょっと取ってくるわね~」
渋々に頷いた俺の言葉で上機嫌になった花梨さんは、スキップでもするかのようにリビングを後にした。
なぜかは知らんが負けた気がしてたまらん。
たった今、大事じゃないと頼らないと言ったばかりなのに、もう頼ってしまった。それも花梨さんの策略によってだ。
あんなちっぽけな頼み事で喜ぶのは、本当に大人なのか?という見下すような思考にすれば悔しさはなくなるが、花梨さんを見下すわけがない。
だから、何かしらで仕返ししてやりたいな。
なんてことを考えていると、片手にドライヤーを持った花梨さんがすぐに戻ってきた。
相当急いだのか、肩が上がり下がりしている。
「……走ったんですか?」
「走ったわ」
「運動してないんですか?」
「してないわ」
「だから息が荒いんですか?」
「そうね」
呼吸を整えるように深呼吸をした花梨さんは俺の隣に座り直し、近くのコンセントにコードを刺した。
気のせいかもしれないが、さっきよりも距離が近くなった気が……。
まぁ気のせいか。これ以上近づいてきたら離れればいいしな。
「それじゃあ、乾かすね」
「……はい?」
そう言葉にした花梨さんは更に俺との距離を詰め、ドライヤーのスイッチをオンにした。
慌てて逃げようとソファーから立ち上がろうとする俺だったが、運動していないと断言してた花梨さんからは想像できない力強い握力によってソファーに座らされてしまう。
結果、花梨さんを背もたれに倒れこんだ俺を逃がさないように、足で俺の体を縛ってくる。
「花梨さん!離してください!」
「こーら。暴れないの」
「本当に運動してないんですか!?」
「してないわよ」
「絶対嘘ですよね!」
クソッ!たった今、花梨さんに仕返しをしようと決めたばかりなのに……!
なんなんだ!俺を子供として扱ってるのか!?それとも、本当に人形として扱ってるのか!?
「暴れたらドライヤーが頭に当たっちゃうよー?」
「それでもいいです!離してくださいよ!」
「まだ乾いてないんだから、離すわけにはいかないじゃない」
「後は俺が乾かしますから!」
「なら私が乾かしても問題はないわね」
「ありまくりですよ!」
なにをどう考えたら問題がないという思考になるんだよ!それでほんと力強いな!
バイトで力仕事やってるから、力には自信があったんだけどな!花梨さんのせいでこの自信が消えてしまいそうだよ!
力の差は分かっていても抗うことをやめない俺は、足をじたばたと、手で花梨さんの足をどけようととにかく抗う。
こんな美人な女性にバックハグみたいなことをされたら、普通の男性なら何も考えずに身を委ねるだろう。
だがな!俺はお風呂に入る前に日彩と約束したんだよ!狙ってないってな!
こんな状況をお風呂から出てきた日彩に見られたらなんて言い訳すればいいんだ!
やっぱり狙ってるじゃんって言われて終わりじゃねーか。弁明しようとしても、絶対聞く耳持ってくれないって!
「早く離してください!」
「乾いたら離すからー」
「ならもう乾きましたから!」
「もう少しだからねー」
「もう少しは俺がやりますから!」
「ここまで来たら最後までやるわよ?任せて頂戴」
「自分でもできますから!」
まだ女子ほどの髪の長さじゃなくてよかったと言うべきなのだろうか。
あれほどの長さだったら絶対に日彩が戻ってくる。が、もう少しで終わるという助言が下りてきた。
ここまで言って花梨さんが離す気配はないし、もう大人しくしていた方が早く乾くのではないのだろうか。
……うん、今は諦めて身を委ねよう。そして、終わったらさっさと立ち上がろう。
「って、あら?随分と大人しくなったわね」
「もう大人しくした方が早く終わりそうなので」
「賢明な判断ね」
「喋るよりも手を動かしてください」
「その言葉、私のお母さん以外に言われたの初めてだわ……」
「そうですか。俺もよく言われてました」
「みんな言うんだね~。私も日彩に言ったわ~」
「母親の言葉って割と頭に残りますよね」
「わかるー」
先ほどまでの言い合いがなかったかのような雑談。
案外身を委ねると、花梨さんの包容力なのか、怒りなんて忘れ、仕返しをしてやろうという気持ちさえもなくなってしまった。
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