吸血さんちの料理人

見切り発車P

本文

 棚の上には、山吹色にキラキラと輝くお鍋が鎮座していた。

「これ、本物の黄金かなあ。スプーンに金を使うのは聞いたことあるけど」

 そう言いながら、私は背を伸ばしてお鍋を取り出そうとした。

 予想外に重い。私はバランスを崩しかけた。

「おっと、危ない」

 そう言って私を支えてくれたのは、灰色の髪を持つ少女だった。

「なんでも申し付けてくださいね、アニーさん。重いものを持つとか、くるみを潰すとか」

 少女はそう言って、私の手からお鍋を奪い取ると、釜の上に乗せた。

 私は思わず少女をじっくり見てしまった。彼女は私の肩ぐらいまでの身長でしかないのに、軽々と黄金の塊を持ち上げている。

「……ありがとう、キャスカ」

 私がお礼を言うと、キャスカはにいっと笑った。背中のコウモリの羽がパタパタした。

 ……そう、彼女は人間ではない。吸血鬼の眷属である。

 私(アニー)は人間だ。ほんの昨日まで、平凡な村の平凡な娘だった。それが今では、森の洋館で吸血鬼の眷属に囲まれて食事を作っている。

 料理の腕を見込まれて、といえば聞こえが良いが、実際には、私は食いしん坊を見込まれてここにスカウトされたのだ。

 死にかけていたところを救ってもらったのだから、文句も言えない。

 私は黄金の鍋に、井戸水を注ぎ入れた。火を入れて、鍋の中身が沸騰するのを待った。


*


 ミスティール村は、さっきも書いたように、ごく平凡な集落だ。

 だが、どんなところにも特産はあるもので、ミスティールの特産は、マッシュ・ミスティーレという、灰色のキノコだ。

 海綿状になっている組織が、ダシをよく吸う。そして独特の香りがある。

 マッシュ・ミスティーレのスープは、食通の間では有名な料理だ。私は食べたことがないが……。

 私だけでなく、お母さんもお父さんも、マッシュ・ミスティーレのスープを食べたことがない。いわゆる、地元民には人気のない特産品になってしまっている。

 ある心地の良い朝、私は突然、マッシュ・ミスティーレをスープにしてみようと思い立った。

 そこで、ミスティールのすぐ西にある『霧隠れの森』に向かった。愛犬のダニーを連れて。


 秒で迷った。

 『霧隠れの森』の名の通り、もうもうとした霧が立ち込めていて、まったく視界が利かない。

「ダニー、こっちで良かったよね?」

 完全に油断していた。ミスティールには霧がよく出ていたし、『霧隠れの森』にキノコ採りに向かう人もよくいたから、安全だと思いこんでいた。

 ダニーは、私の言葉を聞いて、不安げに見上げてきた。

「いや、待って。森はミスティールの西にあるんだから、東に進めば良いんだよ」

 私は太陽の位置を確認し、東だと思われる方向に進んだ。

 ところが、霧はどんどん濃くなっていくばかりだ。

「……えっと、太陽は、こっちだよね? どんどん霧が深くなってるけど」

 私が振り返ると、なんと、振り返った先の方角にも、太陽らしきものが浮かんでいた。

「えっ、えっ」

「霧に光が反射しているみたいですね」

 私に話しかけてきた声があった。灰色の髪の、背の低い少女。

「……ということは、本来の東は、あっちの方角……?」

 私は少女に確認した。少女はパタパタと翼を振るった。

「……翼?」

 私は少女の背中を見た。そこには、コウモリの羽が生えていた。

 ダニーが突然吠えだした。

 吠えている方角には、背の高い壮年の男性が立っていた。

「あ、すみません、この子、吠えない子なんですけど」

 私はダニーの首輪を軽く引いた。

「普段は吠えない犬でも、生命の危険を感じれば吠えるものですよ」

 男性は丁寧に言った。喋ったとき、その唇の間から、鋭い牙が見えた。

 ダニーは飼い主を置いて逃げ出した。


*


 お鍋はグラグラとゆだっている。私は少し火を弱め、卵を3つ投入した。

「いやあ、良い手際ですね。アニーさんを料理人にして、良かったなあ」

 キャスカがケタケタと笑う。

「これくらいは、誰でもできるよ。少なくとも、私の村では」

 私はそう言いながら卵を取り出し、カラを取っていく。

「そうなんですね。マッシュ・ミスティーレにつられて、犬一匹だけ連れて装備もなく森に入ってくるくらいだから、食い意地が張っているのかと思いました」

「……何一つ反論できない」

 カラを取った卵を、ボウルに入れる。ちょうどいいサイズの白木の杭があったので、それで卵をつぶしていく。

「せっかく作ったのに、潰しちゃうんですか?」

 キャスカが首をかしげた。

「うん。今作っているのは、ハムエッグ」

 今度はハムだ。『ご主人』は通常の食材を持っていなかったが、私が来ることになったので、どこからか調達してきたのだ。

 私はハムを薄めに切った。

 そしてパンを取り出し、これも薄くざく切りにする。

「さてと」

「実食ですね。ご主人~!」

 キャスカが呼びに行き、二階の書斎から、壮年の男性が降りてきた。

 ヴィクターと名乗ったその男性は、吸血鬼でこの洋館の主人だ。

 神経質そうな目線で、私の手のお皿に乗ったものを見ている。

「これは、ハムエッグサンドというものです」

 私はそう言って、ヴィクターさんの前のテーブルに皿を置いた。

 続けて、キャスカと私のぶんも置いた。

「ふむ……、かぶりつけばいいのか?

 私は人間の作法を知らぬ」

 ヴィクターさんはそう言って、私の目を覗き込んだ。

「はい、かぶりついてください。でもその前に、神様にお祈りを……」

「私は神に祈ることはしない。神も私から祈りを受け取らない」

 ヴィクターさんはそう言って、ハムエッグサンドにかぶりついた。

 そして、ブフッと吐き出した。


*


「こっ、これは、ハムの塩気とパンの甘みが、うまく補い合っている……! そこへキャベツのシャキシャキ感が加わって、食感も楽しめる!

 ワインビネガーの酸味と卵のコクが、味全体をうまく包み込んで最高だ!

 マスタードが、隠し味として機能している……!」

 キャスカがハイテンションで食レポしている間にも、ヴィクターはナプキンで口を拭っている。

「あ、あの、お口に合いませんでしたか?」

 私はヴィクターさんに尋ねた。

「うむ……、まず、このキャベツに感じるビネガーだが」

 ヴィクターさんはそう言って、キャベツを取り出した。

「ワインだな。ワインは、キリストの血を思い起こさせるゆえ、私は食べられない」

 キャベツが皿の上に避けられた。

「続いて、このパンだが、パンはキリストの肉体に通じるのだ」

 パンが置かれた。

「さらにマスタードだが」

 スプーン(純金)を使って、丁寧にマスタードのついた部分をこそぎ取る。

「マスタードは、つぶつぶしているだろう? こういうものを私は数えてしまいたくなってしょうがない。マスタードはやめてもらえないか? 豆類もな」

 残ったのは、ハムと卵だけだった。

「これだけなら、なんとか食べられる」

 ヴィクターさんはそう言って、ハムエッグサンドを食べ始めた。サンドというか、ハムエッグの部分だけだ。


*


「……っ!

 私の力不足、申し訳ありません!」

 私はそう言うと、ヴィクターさんの前から退いた。なんだか涙が溢れてきた。

 厨房に入ると、私はエプロンで涙を拭った。

「アニーさん……」

 キャスカが様子を見に来てくれた。

「急に飛び出してごめんね。せっかく作った料理が、あんなふうに捨てられるのを見てると、なんだか悲しくなって。

 私、料理人に向いていないのかなあ……」

 私が愚痴ると、キャスカは大慌てで両手を振った。

「そんなことないですよ! あれはご主人が偏屈なだけです! アニーさんの料理、美味しかったですよ!」

 キャスカはそう言って、私の肩を叩いた。

「ありがとう。でも、この先もこんなことが続くんじゃないかって思うと、料理を作るの不安になっちゃうな」

「……さっきはご主人が偏屈で神経質で変態だって言いましたけど」

「うん、そこまでは言ってなかったよ」

「実は、ご主人が人間の料理に挑戦するのも、それなりの理由があるからなんです」

 それはですね、とキャスカが言いかけたところで、ヴィクターさんが厨房に入ってきた。

「私は、人間と吸血鬼の間の交流を深めたいと思っている。

 吸血鬼は人間を食料としか考えてこなかったし、人間は人間で、吸血鬼は退治すべき悪だと考えてきた。

 このままでは、あまりにも無益だろう?

 人間と吸血鬼の間に、新しい関係を築きたい。

 そのためには、一緒に何かを食べることも良いだろうと、まあ、考えたわけだが……」

 ヴィクターさんはそう言って、私の目を見た。

「君がつらいのなら、ここから出て行ってくれても構わない。案内はつけよう」

 ヴィクターさんの言葉に反応して、厨房の勝手口が勝手に開いた。

 私は勝手口とその向こうの森を見ながら、しばらく考えていたが、

「もう一度、今度は夕食を作らせてもらえませんか?」

 と言った。


*


「私は自分のことばっかり考えていたような気がする。

 料理人を雇ったのも、単なる吸血鬼の気まぐれだろうと……。

 でも、ちゃんとした理由があったんだね」

 ヴィクターさんは書斎に引っ込んでいった。私はキャスカと二人で、夕食の準備を始めた。

「まあ、理由はありますけど……。

 金の食器や調理器具を使うのは、吸血鬼は銀が苦手だからだったりしますし……」

 キャスカはそう言って、金のお鍋を取ってくれた。

「お鍋ありがとう。ついでに、これを骨ごと潰してくれるかな?」

 私はキャスカに肉の塊を渡した。

「大得意です」

 キャスカはそう言って、肉の塊を潰していく。

「ヴィクターさんがミスティールの人間とお近づきになりたいなら、これも効果があるかもね」

 私はそう言って、キャスカに灰色のキノコを見せた。

「マッシュ・ミスティーレですね! いつの間に!」

「森で迷っていたとき、一個だけ見つけてたんだよね」

 私はマッシュ・ミスティーレを流水で洗った。キッチンの中に芳香が漂い始めた。


*


 夕食の時間になった。

 私は緊張しながら、ヴィクターさんの前に金のお皿を置いた。

「中身は?」

「これから参ります。重いので、キャスカさんをお借りしています」

 キャスカが金のお鍋を持って現れた。

「どうぞ。マッシュ・ミスティーレのスープです」

 私はそう言って、お鍋の蓋を取った。食堂全体に芳香が広がった。

「……これはっ! よく煮込んだ野菜から、美味しいスープが出ている! 骨ごと潰した肉団子も、荒々しい食感が良い! そしてマッシュ・ミスティーレの香りが、噛むたびに鼻腔をくすぐって……!」

 相変わらずハイテンションなキャスカとは対象的に、ヴィクターさんはゆっくりとスープを飲んでいる。

「……どうですか?」

「ふむ。私は正直、人間の味付けに慣れていない。味を云々することは、私にはまだできない。

 だが、とても温かい。温かいよ」

 ヴィクターさんはそう言って、スープを飲み干した。

「ごちそうさま。人間の作法では、食後に礼を言うのだろう。君に礼を言いたい。ありがとう、アニー」

「いえ、そんな……。

 でも、気に入っていただけて、良かったです」

 私は嬉しくなって、つい口を滑らせてしまった。

「『エレノアさん』と、仲良くなれると良いですね」

 ヴィクターさんの動きが止まった。

「キャスカ? エレノアさんのことを、話したのか?」

「だってご主人、カッコつけて『ちゃんとした理由』しか話さなかったじゃないですか。

 フェアじゃないなと思って、『ちゃんとしてない理由』も話しときましたよ。

 ご主人はエレノアってお人と二人でお食事に行きたいんだって」

 キャスカはそう言って、羽をパタパタさせた。

「大丈夫ですよ。エレノアさんのことは知ってますけど(同郷ですし)、ヴィクターさんなら、うまく仲良くできると思いますよ」

 私はそう言って笑った。

 ヴィクターさんの蒼白な顔がもっと青くなった。

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