瓦解する二人

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リスタート

瞼を開く。


 


ぼやける目をこすると、真っ白な天井が視界に映る。ここはどこなんだろう。


重たい身体を重力に逆らいながら、ベッドから起こす。周りを見渡す限り、おそらく病院だということは 理解できた。


「花音! やっと目が覚めたのね!」

横から声が聞こえたかと思うと、即座に抱き寄せられる。突然のことに脳が追いつかない。


ただ一つ分かったことは・・

「......あったかいな」

自然に口から出た言葉だった。


誰かに抱きしめられるなんて、何年ぶりだろう。

しばらくこのままでいたいな、と思っていると、相手の肩が震えていることに気づく。 離れると、そこには見覚えのある顔があった。


「かぁ......さん? 何で泣いているの? そもそも私は何で病院にいるの?」

ここに来る前のことを思い出せない。

記憶が曖昧なことで、より不安な気持ちが高まる。


母さんは涙を拭いながら答える。

「花音は三日間も寝ていたのよ。幸い怪我もしてないし、ちょっと体温が低いって言われたけど、お医者さんも命に別状はないっていってたわ。でも、やっぱり心配でね。このまま目覚めないんじゃないかと、思ったのよ。それにしてもあの地震の中で怪我をしていなくて安心したわ」


ほっと胸を撫で下ろす母さん。

「地震で怪我? そんなに大きな地震だったんだ」

「大きいってレベルじゃないわよ」


そう言いながら病室のテレビをつける母さん。

テレビには信じ難い映像が映しだされていた。

建物は全壊、消失しており、燃え広がっている。


まるで火の海だ。 ニュースキャスターらしき人が何か喋っているが、ほとんど耳に入ってこなかった。 巨大地震、マグニチュード9、死者数32万人、238万棟の建物が全壊。


途切れ途切れに目と耳に入ってくる情報の多さと規模に呆然する。

「よりにもよって、今日は花音と優一が遊園地で遊ぶ日だったのにねぇ」

「優一?」


母さんは分かりやすく、しまったという顔をした。

優一という人物が誰なのか思い出そうとする。

しばらく病室が静寂に包まれる。5分ほど考えた結果、ようやく思い出すことが出来た。 そう、前原 優一は私の兄だ。何故こんな大切なことを忘れていたのだろう。


「母さん、お兄ちゃんは今どこにいるの」

今はとにかくお兄ちゃんに会いたかった。

「花音、落ち着いて聞いてほしいんだけどね、優一はね......行方不明なの」


「......行方不明?」

頭が真っ白になる。

行方不明の意味はもちろん理解している。


ただ、『兄』が行方不明ということが理解出来ないのだ。

探しに行こう。

そう思いベッドから降りて部屋を出ようとしたが、母さんに腕を掴まれた。


「まさか、今から優一を探しに行くつもりなの?」

「探しに行くに決まってる。お兄ちゃんは大切な家族なんだよ。今すぐにでも行く」

迷わず真っ直ぐな目で母さんを見る。母さんは目を逸らしながら言う。


「優一のことはプロに任せればいいのよ。花音が探しにいっても怪我するだけだし、それに風邪ひいてるみたいじゃない」

風邪を引いている? 私が? 身体に異常は見られない。


頭痛でもないし、咳が出るわけでもない。体温計を渡されたので測ってみた。

体温計に35.8度という数字が映された。

「ほら、やっぱり風邪じゃない。さっきハグした時にあったかいって言ってたけど、私の体温が高いんじゃなくて花音の体温が低かったのよ」


(いや、そういう意味で言ったんじゃないんだけど。まぁ、恥ずかしいから訂正はしないけど)

「とにかく、具合が良くなるまで寝てなさい。私はこれから災害ボランティアに参加してくるから。絶対出ちゃ駄目よ!」


そう言って部屋から出る母さん。

アニメとか漫画でこういう台詞を言われた時に行動しない主人公いる? 窓の外を見る。


一階だから脱走は簡単。後は何か履けるものがあればいいんだけど......。周りをキョロキョロしていると、スリッパが目に入る。

「ごめんなさい」


そう言って窓から外に出る。とにかくお兄ちゃんを探さないと。でも何処にいるのか皆目見当もつかない。 とりあえず歩くことにした。

外の様子はテレビの映像とほとんど同じだ。


ただテレビでは感じることが出来なかった死臭が辺りを漂う。

「あッ」

クッションのような感触の何かを踏んでしまい転倒する。


目を開けると、そこには人の腕らしきものが転がっていた。

「ッ!」

あまりのショックに声が出ない。


きっと瓦礫の下敷きになり、はみ出ていた腕に引っかかって転んでしまったのだろう。 腐敗が相当進んでいたのか、今ので腕が捥げてしまった。


ただでさえ死臭がキツいのに、間近で死体を見てしまったことでの恐怖心と自分のせいで腕が捥げてしまったことによる罪悪感で、今まで我慢していた吐き気は波が寄せるようにやってくる。


「......おぇっ......ゔぇ、ぇぇぇぇ......ごっほげほっ......」

込み上げてきた胃液が鼻に回って苦しい。

「はぁ......はぁ......」


こんなことで立ち止まっている暇はない。

近くの公園の水飲み場で口をゆすぐ。呼吸を整える。

落ち着いてきたので、また歩きだす。住宅街を歩いていると、何かが光った。今光ったのはなんだろう? 


光った場所まで近づくと、そこにはスマホが落ちていた。電源をつけると、私とお兄ちゃんのツーショット写真が映り出される。

ここにお兄ちゃんのスマホが落ちているということはお兄ちゃんがこの道を通ったということ。


この道はいつも学校に登校する時に通る道だ。

つまりお兄ちゃんは......私たちの家に向かっている! 地震が起きたら家がどうなっているのか、家族が無事なのか真っ先に確認するはず。


私もそうすると思う。お母さんに何も言わずに出ちゃったから、今何処にいるか連絡した方がいいよね。そう思いポケットに手を入れる。

しかし本来あるはずのスマホが無かった。


きっと何処かに落としてしまったのだろう。お兄ちゃんのスマホのパスワードは分からないからメッセージも送れない。 充電も1%しかない。とりあえず家に向かおう。


そこにお兄ちゃんが居るかもしれないという僅かな希望を抱きながら駆け足で自宅に向かう。もうすぐ日が暮れる しばらく歩くがなかなか家に着かない。理由は自分でも分かっている。


家に近づくほど、足取りが重くなっているからだ。

もし家にお兄ちゃんが居なかったらどうしよう、何処に行けばいいんだろう、と余計な事ばかり考えてしまう。


この角を左に曲がれば家だ。

気持ちを落ち着かせるために時間をかけてゆっくり深呼吸をする。そして角を曲がると、見るも無残な家らしきものが、視界に映る。


家族と出掛かる時に乗っていた車は瓦礫の下敷きになっており、フロントガラスは割れていた。私が保育園に通っていた時に拾ったアサガオの種を母さんは植木鉢に撒いて育ててくれた。


でも、今は枯れてしまっている。家が無事でないことぐらい容易に想像できた。分かっていたはずだ。それでも辛かった。 私とお兄ちゃん、父さんと母さん。家族でこの家に暮らしていたという軌跡が地震によって塗りつぶされることがとても悲しい。


お兄ちゃんの姿も見当たらない。

「お兄ちゃんーーー! どこにいるのぉーーー、いるなら返事してぇーーー!」

声の出る限り大声で呼びかけるが反応はない。


家の周辺をもうちょっと歩いてみよう。そう思っていると、家の正面扉の前に何かが落ちているのを見つけた。血溜まりの中にあったのにも関わらず、急いで拾う。

裏には≪優一≫と名前が書いてあった。


何でこんなところにお兄ちゃんのお守りがあるの......? このお守りは一年前の私、つまり小学6年生の頃にお兄ちゃんに渡したものだ。いつもお兄ちゃんは、私に優しくしてくれたし何度も助けてくれた。だから私もお兄ちゃんの役に立ちたかった。


でも小学生の私に出来ることなんて限られている。だからお兄ちゃんにお守りを渡した。神様、もしも私がお兄ちゃんの近くに居なくて、助けになれない時にお兄ちゃんに何かあったら助けてください。 という意味を込めたのだ。


神様頼りかもしれないけど、お兄ちゃんを助けるのは、私じゃなくてもいいかなってその時は思い始めていた。お兄ちゃんは肌身離さず持ち歩くと言ってくれた。そのお守りがここにある。しかも血溜まりの中にあった。


血溜まりは家の入り口を塞いでいる瓦礫の下から流れている血によって出来ているようだ。

「嘘......だよね? お兄ちゃん......」


この意味が分からないわけではない。いや、分かりたくないのだ。恐らくお兄ちゃんは、この瓦礫の下にいる。早く助けないと。 そう思って瓦礫に手を伸ばす。瓦礫は重くて動かすことが出来なかった。


私でも動かせそうな、小さな瓦礫も、手が震えて動かせなかった。

本来この瓦礫は数百キロ(kg)ほどの重さだろう。でも私が動かそうとしている瓦礫は数百トン(t)もあるように思えた。中学生の非力な私には何も出来ない。


早く瓦礫を動かさないと、と思う自分と動かすのが怖いと思っている自分がいた。

お兄ちゃんは、もう死んでしまっているんじゃないかと考えている自分が居るせいで、瓦礫を動かすのに躊躇してしまう。


お兄ちゃんが死んでいる。お兄ちゃんがこの瓦礫の下敷きになっている。どちらも憶測に過ぎない。だからそれが真実か確かめるにはこの瓦礫を動かすしかない。

でもそれが出来ないのだ。


もし、お兄ちゃんの死体を見てしまったら、それが事実として確定してしまう。それがとても恐ろしかった。

自分を落ち着かせようとする。(どちらにせよ、私一人じゃ動かせない。近くにシャベルとかが有れば話は違うかもしれないけど、多分無い。よし、また後で来よう)


そう自分に言い聞かせて納得させる。お兄ちゃんのお守りを、持ってその場を後にする。今自分がどこに向かっているのか分からない。 どこに向かえばいいのかも分からない。多分この場から、いち早く離れたかっただけだと思う。


でも足が動く限り歩かないといけない。

お兄ちゃんを探す為に。それにしても、落ち着いてきたら今度は苛立ちを覚えた。

瓦礫の下にお兄ちゃんが居るかもしれないのにそれを後回しにして、しかも瓦礫が動かせなくて、少し安堵した自分に余計に腹が立つ。ただの現実逃避だ。


はぁ、とため息をつく。なんて嫌な奴なんだろう。自己嫌悪に陥りそうだ。

それから歩き続けること数十分。気がついた時には海岸まで歩いていた。日が落ちてきて真っ暗だ。もう一歩も歩けそうにない。


とりあえず、砂浜に腰を降ろす。寄せては返す波の音が心地良い。いつもは街灯で見えない夜空も、今は街灯が点いていないので、満点の夜空が見える。

お兄ちゃんのスマホを確認する。


沢山の通知がきており、中には母さんからのメッセージもあった。内容までは分からないが、きっと心配しているのだろう。 一か八か電話をかけようとしたが、充電が切れてしまった。砂浜に寝っ転がって、星座を見ながら色々なことを考える。


お兄ちゃん、たくさんの人からメッセージ来てたな。ちょっと羨ましい。

私は小学生の時も中学生の今も友達が出来たことがない。別に虐められているわけじゃない。単純に人見知りで人と話すのが苦手なだけだ。


人と話す時は、他人が自分のことをどう思っているのか、自分の発言が相手に失礼かどうか、など、常に相手の顔色を伺ってしまう。 それがとても疲れる。なので、相手が話しかけてきても黙り込んでしまう。


昼休みに弁当を教室で食べている時も周りの人が陰口を言っているんじゃないかと、他人の視線や言動を気にしてしまう。 だから弁当はいつも屋上で食べていた。そんな学校が精神的にキツかった。でも帰ったらお兄ちゃんが居るから我慢出来た。


お兄ちゃんはこんな私にも優しい。私が会話している時に黙り込んでしまっても、ちゃんと待ってくれる。私が話し終わるまで待ってから返してくれるし、相槌も打ってくれる。


私が困っている時はいつも助けてくれる。そんなお兄ちゃんが大好きだ。今朝の母親の発言を思い出す。災害が起きる当日にお兄ちゃんと電車に乗って遊園地に行こうとしていたことだ。


最近は両親が仕事で忙しいらしく、家族と出掛ける回数が減った。そんな時に遊園地に行こう、と言ってくれたのはお兄ちゃんだ。家族皆んなで出掛けることはあっても、お兄ちゃんと二人だけで遠くに遊びに行くことはあんまりなかったから、嬉しかった。


(お兄ちゃんと遊園地に行きたかったなぁ。この震災が落ち着いたら、またいつも通りの生活に戻れるよね?)

そうであってほしい。


でもこのタイミングで昼間の光景が脳裏に過ぎる。瓦礫の下にいたかもしれないお兄ちゃんを見捨てた、あの光景を。

(神様はひどいことするなぁ、このタイミングで昼間のことを思い出させるなんて)


罪悪感が背中を伝う。明日もう一回あそこに行こう。

そう決意して寝ることにした。夜空の星々を見ながら、お兄ちゃんが見つかりますように、と祈る。結局また、他人任せだ。無力な自分が惨めに思えた。


だからこそ、今は神様に祈るしか出来ない。実在するか分からない。それでも神様の手を借りたかった。 砂浜で寝っ転がりながら、お兄ちゃんのスマホのツーショット写真を思い出す。


またお兄ちゃんに会いたいな。そして、重たくなった瞼を閉じる。次の日、小鳥のさえずりで目が覚める。近くにある公園の水道水で顔を洗って、公園にある時計で時刻を確認する。


今の時刻は七時半。急いで準備しないと学校に間に合わないなと思った。だけど、自分がなんで砂浜にいるのか考えてみた。 そうだ、昨日はお兄ちゃんを探していて砂浜で寝ちゃったんだ。


そもそも巨大地震が起きてから一週間も経っていないのに学校があるわけない。

少し考えれば誰でも分かることだ。まだ寝ぼけてるっぽいな。今日向かう場所はもう決まっている。そう、私達の家だったところだ。


昨日行くと決めたんだ。もう現実から目をそらしちゃ駄目だ。そう言い聞かせて歩き出す。街の様子を見ても何も思わなくなってしまった自分に嫌気がさしてきた。

ふと、近くで泣いている声がした。


周りを見回すと、私と歳が近そうな女の子が泣いていた。家族と離れてしまったのだろうか。 昔のことを思い出す。私が迷子になっても必ずお兄ちゃんは見つけてくれた。あの女の子と昔の私を重ねてしまう。


この場に私のお兄ちゃんが居たら、迷わず声をかけるだろう。でもこの場にお兄ちゃんはいないし、あの子は知らない子だ。別に助ける理由なんてない。 でも、ここで無視したらお兄ちゃんに顔向けできない。


お兄ちゃんを助けたいと思っているのに、目の前で泣いている見ず知らずの女の子は助けないというのは、流石に気がひける。 そんなんじゃ、お兄ちゃんも助けられない 。深呼吸をする。勇気を出して声を掛けてみる。


「ねえ、君、大丈ーー」

「詩音! やっと見つけた。怪我とかしてないか?」

後ろから声がする。恐らくあの子のお兄ちゃんだろう。


お兄ちゃんに会えて良かったね、と思う反面、少し悲しい。 女の子を自分で助けられたわけじゃないけど、自分から見ず知らずの女の子に声をかけられたらから私も成長してるよね?


 このことをお兄ちゃんに話したら、きっと褒めてくれるよね。女の子は自分のお兄ちゃんと楽しそうに話している。 それを見てお兄ちゃんに会いたいという気持ちが高まり、自然に歩を早める。そして家の前まで来た。


ここまで来て、決意を固めた昨日の自分に嘘をつくような真似をするわけにはいかない。 (でもどうやって瓦礫を動かそう。シャベルとかがあると良いんだけどなぁ。そんな都合よくシャベルがあるわけ......いや、ある)


家の裏に物置小屋がある。恐らくそこにシャベルがある。なんでこんな簡単なことを昨日は思い出せなかったんだろう。


それぐらい、昨日は精神的に参ってたんだと思う。家の裏に回る。本来ならば鍵がないと開けられないのだが、地震の影響で物置小屋はひしゃげていた。 奇跡的に中のシャベルは無事だった。


いざという時の為に父さんが買っていた、防災シャベルが役立つ時がきたのだ。

このシャベルは折り畳むことも出来るし、カーボンスチール製だからとっても軽い。しかめ幅広で握りやすいハンドルだから、私でも使えるよ、と父さんは自慢げに言っていた。


シャベルを瓦礫の下に挿し込む。昨日よりも軽かった。無我夢中で瓦礫をどかす。お兄ちゃんがどうなっているのかとかは考えずに、目の前の瓦礫をどかすことだけを考えた。 全ての瓦礫を動かし終えた。


そこには......何もなかった。血痕はあるがそれ以外何もないのだ。なんだが拍子抜けだ。 でも同時に安心した。お兄ちゃんは、まだ死んでしまってると、決まったわけじゃない。そう考えると安心して、今まで我慢していた物が溢れそうだ。


心のダムにひびが入った気がした。目頭が熱くなる。

(まだ泣いちゃダメ。泣くのはお兄ちゃんと再会してからにしないと)

涙を引っ込める。しかしここから何処に行けばいいのか本当に分からない。


昨日のことや今までのことを思い出す。そこから導いた答えは......

駅!そう、地震の起きた日は私とお兄ちゃんは遊園地に行こうとしてたんだ。駆け足で駅に向かう。走って、走って、走って、走って、駅が見える。


これで見つからなかったら諦めてプロに任せようと考えていた。流石に体力の限界だ。これが最後の賭けだ。駅についた。 周りを見渡すと、駅の椅子に誰か座っている。恐る恐る近づく。始めはゆっくり近づいていたが、いつの間にか走っていた。


多分が確信に変わった瞬間だった。この服、この髪型、この靴、間違いなくお兄ちゃんだ。後ろからお兄ちゃんに抱きつく。 その勢いで、寝ていたであろう、お兄ちゃんが目を覚ます。


「誰だ? 僕に急に抱きついてきたのは......って花音!?どうしてここに!?」

「お兄ちゃんをずっと探してたんだよ。私ね、頑張ったの。沢山頑張ったの。お兄ちゃんを探して、家に行ったり、女の子を助けようとしたりしてね、あのね、あのね」何が言いたいのか、自分でも分からない。


涙が止まらない。きっと私の顔は涙でぐしゃぐしゃだろう。そんな顔をお兄ちゃんに見せたくない。私は慌てて後ろを向く。

するとお兄ちゃんはポケットからティッシュとハンカチを出した。


ティッシュで鼻水を拭いてくれた。ハンカチで涙を拭いてくれた。

「落ち着いて。僕はここからいなくならないから。話せるようになったら話せばいいからね」


そういって頭を撫でてくれる。

「頑張ったね。偉いよ。流石は僕の自慢の妹だ」

私はこの瞬間の為に生きているのかも知れない。そう思えた。


でもここで話すことより、まずは家に帰らなくては。恐らく、父さんと母さんは避難所にいるだろう。

「お兄ちゃん、この話は帰ってから話そう。まずは避難所まで行こう」


すると、お兄ちゃんは申し訳なさそうな顔をする。そしてためらいながら口を開く。

「ごめんな、花音。それは少し難しいかもしれない」

お兄ちゃんは自分の左足の太ももを指差す。お兄ちゃんの左足からは血が出ていた。


「お兄ちゃん! 血が沢山出てるよ、大丈夫なの!?」

何で今まで気づかなかったのだろう。そんなことも気づかずに泣いていた自分が嫌いだ。


「多分大丈夫。でも歩くのは難しいかもしれない。病院まで遠いし、スマホも落としてしまった。」

面目ない、という顔をする兄。


私はポケットからスマホを取り出す。

「スマホは途中で拾ったけど、もう......充電がないの」

泣きそうになる。私は結局役立たずだ。痛いほどに実感する。


「いや、十分だよ。やっぱり花音は凄いなぁ」

そう言ってお兄ちゃんはポケットからモバイルバッテリーを取り出してスマホに挿し込む。


「妹と遊園地に出掛けるのに何も準備してないわけじゃないよ。モバイルバッテリー持って来てて助かったな。充電までもう少しかかりそうだから、その間に花音のここまで来る経緯を話してくれないか?」


とお兄ちゃんは言う。お兄ちゃんに頼まれたら話すしかない。私はここまで来た経緯を、大海原を冒険する海賊の日記帳のように面白おかしく話した。話を聞いている時、お兄ちゃんは笑ってくれた。


真面目な話しをしてる時は真剣に聴いてくれた。私の頭をまた撫でてくれた。そんなお兄ちゃんの全てが大好きだ。

「後、このお守りが家の前に落ちてたよ」


そう言ってお守りを渡す。

「これ!遊園地に行く日に花音と二人で出掛けるから新しいバックを持ってこうとして、お守りをバックから外してそのまま家に忘れてたんだ!本当にありがとう。やっぱり花音が居ないと僕は駄目だなぁ」


と落ち込むお兄ちゃん。

「え? 家に忘れてたの? でもこれは家の前に落ちてたんだよ?」

どうゆうことだろう。あの日の朝を思い出そうとする。


ズキッ、と頭に激痛が走って思わず顔を顰める。

「大丈夫か? 体温も低いみたいだけど」

お兄ちゃんは私のおでこを触って確認する。


「平気。ちょっと風邪っぽいだけだから」

心配そうな顔をするお兄ちゃん。

出来るだけ、心配をさせまいと私は元気そうな顔をする。スマホの電源がついた。


「よし、これで助けを呼べる。待ってろよ、花音」

そう言って救急車を呼ぶお兄ちゃん。私より明らかにお兄ちゃんの方が具合が悪そうだ。なのに自分のことより私のことを心配してくれるお兄ちゃんには敵わないな、と思う。


「後10分ほどで救急車がここにくるぞ、もう少し頑張ってくれ、花音」

「ありがとうお兄ちゃん。私ね、聞きたいことがあるの。遊園地に行く日になんでお兄ちゃんは先に行っちゃったの?ちょっと記憶が曖昧だから覚えてなくて」


するとお兄ちゃんはバックから箱を一つ取り出す。

「遊園地で一緒に食べようと思ってたケーキを取りに行ってたんだ。凄い人気店だから予約も凄い大変だったけど、たまたま予約できてね。人気店でお店の人が離れられないから取りに行ったんだ。驚かせたかったから花音にも秘密にしてたんだけど、ごめんよ。このケーキは随分時間が経ってるから、多分もう食べれない」


お兄ちゃんは頭を下げて謝る。

「ケーキが食べれないのは残念だけど、私の為にケーキを買ってくれたことが一番嬉しい。ありがとう!」


そう言ってお兄ちゃんに抱きつく。お兄ちゃんは照れくさそうにしている。すると突然、地面が揺れ出す。周りの建物も揺れている。とても大きな地震だ。

「これは......恐らく余震だ!」


なんてタイミングが悪いのだろう。もう少しで救急車も来るというのに。遠目に、さっき見かけた女の子と男の子が走って逃げていた。

(お願いだから逃げ切って、生き延びで)


そう心の中で願っているのも束の間、その二人は上から落ちて来た瓦礫に潰された。お兄ちゃんが手で私の目を咄嗟に隠す。

でも、もう手遅れだ。私の頭の中は潰された二人のことでいっぱいだった。


(私もあんな風になるのかな? 嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、死にたくないッッ)

お兄ちゃんは私の上に被さるようにして守ってくれている。ちょっと重いな、と思った。すると、突然頭の中に凄い量の記憶が入ってきた。


まるで封印されていた物が解き放たれるような感覚だ。あの日、私は準備が遅かったから兄に置いて行かれたのかと思っていた。 急いで準備していたら、お兄ちゃんのお守りが目に入った。


そのお守りを持って駅に行こうとした矢先に、あの地震が起こったのだ。

そして、私は家を出た瞬間に瓦礫に押しつぶされたのだ。ただ、一つの疑問が残る。私は確かに瓦礫に押しつぶされた。


なのに病院では無傷だったのだ。そして私の体温が低いこともおかしい。体温は低いのに身体に異常は見られないからだ。 そこで昔読んだ本を思い出す。未練を残した幽霊が好きな人に会いに行く話を。その幽霊は身体が冷たかったのだ。


もしかして私って......既に死んでいるの? そんなことはあり得ない。死んで幽霊になってるとしても、お兄ちゃんとちゃんと触れ合えた。 お兄ちゃんに撫でてもらった。私もお兄ちゃんに触れた。もしかして神様からの最後のプレゼントなのかな?


そんなことを考えてると、頭上の屋根にヒビが入り始めた。恐らく私達の上に落ちてくるのだろう。 そして、それに気付いてるのは私だけだ。何で私の身体がこうなったのかは分からない。


でも、今私がすべきことは分かる。

「お兄ちゃん、今までありがとう。来世も兄妹だったら嬉しいなぁ」

「花音、お前何いってーー」


お兄ちゃんが言い終わらないうちにお兄ちゃんを前に突き飛ばす。

急に突き飛ばされて、お兄ちゃんは頭に疑問符を浮かべてそうな顔をしていた。しかし直ぐに事態を理解したのかこっちに手を伸ばす。


やっぱりお兄ちゃんは優しいなぁ。私が最後にすべきこと、それはお兄ちゃんを助けることだ。 生前、私はお兄ちゃんの助けになれたことがなかった。いつもお兄ちゃんに助けられてばっかりだった。そして結局何も出来ずに死んでしまった。


それを見て神様がチャンスをくれたのだろう。そのチャンスを無駄にするわけにはいかない。私が死んだあとも、こうして実体がある状態で幽霊になれたのもお兄ちゃんを守る為だったのだろう。


最後の最後でお兄ちゃんを助けられて良かったなぁ。多分お兄ちゃんは無事だよね?そして視界が暗くなった。意識が遠のいていくのを感じた。 何が起きたのか理解出来なかった。


花音が俺を突き飛ばして、次の瞬間、花音の上に瓦礫の山が落ちてきたのだ。そのタイミングで救急車が到着した。 救急隊の人達が僕を救急車の中に運ぶ。僕は叫ぶ。

「待ってくれぇぇぇ、そこの瓦礫の下に妹がいるんだ!僕の大切な妹だ!誰か助けてやってくれ!!」


僕はそう叫んで気絶した。

「あれから5年も経ったのか」

誰もいない講義室で、そう呟く。僕が救急車で運ばれた後、妹の死体があるはずの瓦礫の下には何もなかったらしい。


その後、妹が母に内緒で病室を出たことを妹はちゃんと反省していたと、母に伝えると、母は何の話? と首を傾げていた。 母は地震が起きてから一度も妹と会ってないと言っていた。そんなことはない。


確かに妹から聞いたのだ。妹が嘘をついてるはずがない。

しかも地震が起きた直後の妹のことを覚えているのは僕だけなのだ。死体も見つかってないらしく、妹は行方不明となっている。


僕はここで一つの結論を出した。恐らく妹は、もう死んでいたのだ。高校を卒業した僕は、妹のあの事件を調べる為に大学に通った。 恐らくこの世界では、自分が死んでいることに気づかず、周りの人もその人が死ぬ瞬間を見ていない。


そしてその人が強い未練を持っていた場合。

実体がある(受肉している状態で)幽霊になるのだと思う。つまり『誰にも観測されずに死ぬと受肉している幽霊になる』と言うことだ。


実際に妹はとても冷たかったし、間違いなく幽霊だった。そして、地震直後の妹を僕だけが覚えている理由。それは僕が妹の最期を見届けた、唯一の観測者なのだからだ。


周りの皆んなが震災での妹を覚えていなくても、僕が覚えてる限り、妹の存在は消えない。あの日、妹が渡してくれたお守りが僕を守ってくれたのだろう。

いや、違うな。


妹という名のお守りが僕を守ってくれたんだ。これから帰宅する。バックに付いているお守りに声を掛ける

「これからも、僕のことを天国で見守っててくれよ。

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