露見して、それから
「—————…!!!」「~~!!」
うるさい。
意識が浮上して最初に思ったのはそれだった。誰かが、誰かと言い争っている。
そもそも何で寝てるんだっけ?…あぁ、自分で睡眠薬を飲んだんだ。
頭の中で1つずつ整理をしていく。
「だから誰なんですか!あなた!!これ同意の上ですか!!?」「…っえ?」「だからそうだって言ってる!!」
聞き覚えのある声に目が覚める。ぱち、と目を開けると、2人の男が目に入った。1人は顔を真っ赤にさせたお兄さん。物凄く怒っている。それと。もう1人。
「犬飼さん!!!大丈夫ですか!!!?痣、一杯できてて…っ、お、おれ…!」「兎田くん…?」
身を起こせば腰と背中を支えてくれる。いつの間にか自分が着替えていたことに気付く。
何でここに。彼が。いやそれよりも。
頭が一気に白くなっていく。見られた。とうとう見られた。終わった。
こんなの見られたら終わりだ。あぁどうしよう。
どんどん息が苦しくなっていく。呼吸が荒くなる。はぁ、はぁっという自分の息とうるさい程の心臓の音しか聞こえない。
「はっ…ひゅーっ…ふーっ…はぁっ…はぁっ…」「い、犬飼さんっ!?」「はー。きも。だる。ただのメンヘラ男じゃんこいつ。」「はぁ!?アンタに何が!!」「さめた、帰ろ。」
何も聞こえない。何か2人が言っているけれど、脳が声を認識してくれない。怖い。助けて。
ぎゅっと目を瞑り、何も感じないように、何も考えないようにする。
ようやく息が落ち着いて目を開けると、お兄さんはおらず眉を下げた兎田くんだけがいた。
「落ち着きました…?」
お水です、とペットボトルを差し出してくれる。素直に受け取り、ごくりと飲む。段々と目が覚めてきた。
「どうしてここに…?」「犬飼さん、俺に電話くれましたよね?普段そんな事しないし既読もつかないから不安になって家凸ってみたんです、そしたら鍵、開いてて嫌な予感して入ったらさっきの奴が笑いながら犬飼さんの首絞めてて…っ!!!」
綺麗な浅紅の瞳がゆらゆら揺れる。怖かっただろう。申し訳ない事をしてしまった。
「あれは、同意の上、なんですか…?」「…っ、うん。」
今更隠しても仕方がない。妙に冷静な頭が適切な処理をしていく。
兎田くんは驚いたように目を見開き、俯いてしまった。どしたの、と声をかけると肩を震わせる。
引かれたか、と脳が次の行動を決めようとした瞬間。
「よ、よかったぁ…、犯罪に巻き込まれてなくて…っ、」「え?」
顔を上げた兎田くんの顔は静かに濡れていた。その潤んだ瞳は安堵に溢れている。
「お、おれほんと、襲われたのかなって思って…っ、」「…ごめん。」
決壊したようにぼたぼた涙を零す兎田くんにぼそりと謝る。
…引かないんだ。
その紫苑の驚きは口からも漏れて、兎田くんの耳に届いたようだった。
「引きはしませんよ…。」
良かった、とため息をつくと、だけど、と兎田くんが言葉を紡ぐ。
「だけど、おれ、怒ってます…。」
紫苑の背中を支える手にぎゅっと力がこもった。
「無理しないで、って俺言いましたよね…!?なんでこんな事になる前に助けを求めてくれないんですか…っ!!」
痛い所を突かれて紫苑は黙り込む。兎田くんの言いたい事が分かるからこそ、尚言いにくかった。
「そんなに、俺とか、周りの人のこと信じられませんか?」「!!」
ば、と顔をあげれば、悲しい笑顔を浮かべる兎田くんがいた。
「『わおん』さんしか信じられませんか?」「え?」「悪いとは思いません。でも、でも。」
ふと、支える手が力を失っていく。
「俺の事、見ててくれればいいのに、とは思いますけどね。」「…え?」
あーあ、言っちゃった、と兎田くんが少し気まずそうに目をそらす。紫苑は理解が追い付いていなかった。
「え、兎田くん、ぼくのこと、」「好きです。」
淡い桃色が紫苑の黒と絡まりあう。さっきまで何ともなかったのに急に兎田くんと目を合わせるのが恥ずかしい。
「大丈夫ですよ、俺、1番になろうなんて思ってないですし。」「…いつから。」
作り笑いを浮かべる兎田くんに問う。兎田くんは真顔になって黙ると、諦めたように笑った。
「ずっとです。貴方が俺の事を知る前から。あの日、雨宿りする前から。俺はずっと貴方が好きです。」
あ、やばい。
ぶわりと顔が熱くなる。自分を慕ってくれる人なんて初めてだ。いつも紫苑から始まる恋だったから。
「俺は、貴方が出会い系サイトで男と会っていようが引きません。束縛だってしないし。だから、俺を、1番にして下さいよ…っ!!!」
涙で濡れた目で兎田くんが追い討ちをかけてくる。
紫苑は、自分の中の黒い何かが頭の中を支配していくのを感じた。
「ごめんなさい、さっきと矛盾してますよね。1番になんて、しなくていいですから。」「…付き合う?」
咄嗟に声が出ていた。自分でも驚く。
だって、兎田くんの事好きでもないのに。
「な、に言ってるんですか。疲れてるんですよ。休んでください。」「ぼくじゃ、だめなの?」「っ!!」
頭は冷静で警鐘を鳴らしているのに、身体が、口が、言う事を聞かない。
と、紫苑の中で黒い何かが囁いた。
『これを機に、和音を忘れられるかもしれねーよ?』
そんなわけない、という言葉は〝黒い何か〟に飲み込まれる。
『嫌いじゃねーんだろ?お試しで付き合ってみろよ。な?』
『愛されたかったんだろ?愛してもらえんぞ?いちいち出会い系サイトで漁らなくても。そのままのお前を愛してもらえんだぞ?』
その言葉に紫苑の心はぐらりと揺れ動いた。愛して、もらえる、?
『そうだ。偽りのお前じゃなく、お前の本当の姿を愛してもらえんだぞ?』「っ!!」
あぁ、駄目だ。こんな、兎田くんを騙すような事。なのに、愛に飢えた本心が兎田くんを抱きしめる。そのままいやいや、と首を振る姿はさながら子供。馬鹿みたいなんて分かっているのに止まらない。
「い、ぬかいさっ…」「ぼくと、付き合ってよ。」「…いいですよ。」
目が合わせられない。
罪悪感が酷かった。
けれど紫苑は思い直す。
このまま兎田くんを好きになれば問題ない。順番は違うけれど、問題はないはずだ。
忘れようと思った。こんな重くて黒くて汚い感情、捨ててしまえ。鍵をかけてしまえばいい。
ぎゅうと目を瞑って、兎田くんを抱きしめる力を強くする。
大丈夫。大丈夫だ。僕は兎田くんを愛せる。好きになれる。和音のことを忘れられる。
力入れすぎです、と兎田くんが苦しそうに身じろぎするまで紫苑は兎田くんを抱きしめていた。
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