第3話

 紫はとことんマイペースな子だった。


「桑原、そりゃあないだろ」


チョークが置かれると同時、数学教師の杉原が紫にため息をついた。心底困っているという体ながら、どこか色めきたったまなざしで、紫を見つめる。紫はチョークを持っていた親指と人差し指を、軽くこすって払っていた。

 紫が首を傾げて杉原を見る。杉原は大股で問題か――紫か――どっちもか――に近づいて、赤のチョークで続きを書いた。


「ここ。ここまで、解けたらもう答えだろ。全くもう少し踏ん張れ」

「っす」


 紫が頭を下げる。杉原は眉を下げてあきれたふりをした。


「お前はできるのに、本当に覇気がないなあ」


 戻れ、言われて紫はゆったりと席に戻った。

 杉原は決して優しい教師じゃない。さっき出した問題だって、やさしくなかった。

 紫はそれを五分の四くらい、流れるように解いて、飽きたみたいに止めたのだ。

 あれなら、解けなかったからやめたと思わない。皆そう思っている。杉原だって、そう思ったから、紫を叱らなかったのだ。

 でも、杉原は、紫だからあれを許したんじゃないかとも思わなくもない。同じようにしても、私なら怒られたんじゃないだろうか。

 得だと思った。

 紫は、いつでもマイペースだ。よく、それで生きてこられたと思うくらい。

 けどすぐに答えは出た。

 あのきれいさと独特の雰囲気、そして何でもそつなくこなせる能力の高さ。

 それがあるから、誰におもねらなくても紫は紫のままでいきてこられたのだ。

 うらやましかった。友達としては誇らしくって自慢だった。

 けれど、また友達として、私は――疑問だった。

 確かに、すべてそろっているけど、それでもあんな風にできるのは、ただ運がよかったからじゃないかと思うのだ。

 ずっと、あんなに自由に生きていけるはずがない。きっとどこかで紫は頭を打つだろう。それを思うと私は落ち着かなかった。とても心配だった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る