第27話 王平

 私は王平の前で、木刀の素振りをしていた。

 考え事をしていたので、素振りに集中できなかった。

 私には、悩みがあった。

 孟達のことだ。

 彼を信じ切ることができない。

「孟達、よくぞ見せてくれた。私はあなたを信じる」とまで言ったのに、信じることができないのだ。

 私は弱い人間だ。


「劉禅様、振りが鈍いです」と王平が言った。

 彼には、私が素振りに集中できていないことを見抜かれているようだ。

「無心で木刀を振っていませんね。なにか悩みを持っておられる」

「悩みはある。しかし、そなたに相談するようなことではない」 

「孟達殿のこと……」と王平がつぶやいた。

 私は驚いて、彼を見つめた。

 完全に見抜かれている。


 翌日の鍛錬のとき、王平は私にひとりの男を紹介した。

「李恢という男です。親衛隊の一員で、私がもっとも信頼している者です」

「李恢徳昂です」

「劉禅だ。親衛隊の仕事、ご苦労である」

「今日は李恢に、劉禅様の鍛錬を任せようと思っております」

「わかった。よろしく頼む、李恢」

「劉禅様、木刀を持ち、私に打ちかかってきてください。全力で」

 李恢は木刀を持ち、私に正対した。

 私は彼に向かって、思い切り木刀を振った。

 私の打ち込みは、軽く打ち払われた。

「何度でも、打ち込んできてください。ひたすらに」

 私はくり返し、李恢にかかっていった。

 彼は軽々と、私の木刀をいなしつづけた。

「まだまだ」

 私は木刀を振りつづけた。

 いつしか悩みは消え、無心になることができていた。


「よい鍛錬ができた。ありがとう、王平、李恢」と私は言った。

 李恢は私に拝礼した。

 王平は私の目を見つめた。

「劉禅様、私にはやらなければならない用件があり、しばらくの間、親衛隊長の役目を李恢に任せたいと思います。いとまをください」

「王平、用件とはなんだ。私はそなたにずっと護衛してもらいたいと思っているのだ。そなたを信頼している」

「私用です。李恢を信じて、身辺警護にお使いください。兵の指揮もうまい男です」

「私用で、私から離れるのか」

「大切な私用なのです。どうかお許しください」

「そなたがそれほど言うなら、許そう。だが、できるだけ早く、戻ってきてほしい」

「ありがたきお言葉。では、いまから後、私の任務を李恢に引き継ぎます。李恢、しっかりとつとめよ」

「はい」

 王平は、成都城の城門から出ていった。


 その後、李恢が私のそばに立ち、私を守るようになった。

 魏延や龐統、法正は、王平が消えたことをいぶかしがった。

「王平の用件とは、なんなのでしょうか」と魏延は言った。

「私にもわからない。私用としか、言わなかった」

「王平ほどの男が、私用で任務を放棄するとは、信じられません。親が亡くなったのでしょうか」

「それならそうと言うであろう。なにか特別な用件があるのではないかと思う」

 魏延は首を傾げた。

 私にはひとつだけ思い当たることがあった。

 嫌な予感がした。

 杞憂であってほしいと願った。


 予感は当たった。

 犍為郡武陽県の路上で、王平が孟達を斬り殺すという事件が発生したのだ。

 事件後、王平は武陽城に出頭し、自首した。 

 彼は捕縛され、檻に入れられて、成都城へ運ばれた。

「王平を刺史室に。立ち合いは魏延のみとする」と私は李恢に命じた。


 縛られた王平が私の前に立った。

 私の横で、魏延が王平を睨んでいる。

 益州刺史室の中は、その三人だけだった。


「王平、なぜ孟達を斬った?」と私は問うた。

「私は孟達殿の目を、ずっと観察しておりました。あの方は、信じることができない人です。いつか裏切ります。劉禅様も、孟達殿を心の底からは信じられなかったのではないですか?」

「それは……」

「王平、おまえが孟達殿を斬ったために、偽りの投降という策が、実施できなくなった。この罪は大きいぞ」と魏延が言った。

「偽りの投降が、真実の投降になったら、益州軍は危機に陥ります。魏延殿は、孟達殿を完璧に信じることができておりましたか?」

 魏延は沈黙した。返す言葉がないという感じだった。

「孟達殿が偽りの投降をやり遂げたとしても、出世し、大軍を指揮するようになって、将来、蜀を滅ぼすような裏切りをしかねないと思いました。私はその危険を座視できませんでした」

「王平、その危惧は、私の中にも確かにあった。しかし、孟達は蜀に忠実でありつづけたかもしれぬ。そなたは憶測で郡太守を斬った。その罪は重い」

「わかっております。万死に値する罪です。斬首してください」

 私はうつむいた。

 考えに考え、顔をあげた。


「斬首にはせぬ。投獄する」

「劉禅様、私を死刑にしてください。それほどの罪を犯したのです」

「孟達を失った。この上、王平までなくすわけにはいかぬ。牢獄で頭を冷やしておれ」

「若君、郡太守殺害の罰が、投獄のみでは、しめしがつきません」

「いいのだ。孟達は、曹操と内通していた。それを知った王平が独断で孟達を斬った。表面上は、そういうことにする。王平は、私のかわりに手を汚してくれた。そういう気がする」

 魏延は黙って、頭を下げた。


 王平は牢獄に入った。

 李恢を正式に親衛隊長にした。 

 孟達の後任の犍為郡太守には、龐統が推薦した陳震を登用した。


 建安二十年春、夏候淵軍が長安から出陣した、と忍凜が私と魏延に報告した。

 二十万もの大軍であるらしい。

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