第16話 破竹の進撃 そして李厳との戦い

 私と魏延は益州の地図を見ていた。

 南鄭から成都までの進路を確認していたのである。

 広漢郡の葭萌県、梓潼県、涪県、綿竹県、雒県を突破し、蜀郡の成都県に至るのが、最短の道。

 このうちもっとも頑強なのは、広漢郡の首府雒県と益州全体の首府成都県であろう。

 劉璋は成都城にいる。


「もっとも短い道を行きましょう。益州は大きく、成都を落としたとしても、抵抗勢力は残るでしょうが、劉璋殿を降伏させてしまえば、あとはなんとでもなります」と魏延は言った。

「そうですね。益州の軍すべてと戦うのは馬鹿げています。まっすぐに成都へ向かいましょう」と私は答えた。


 魏延は攻城兵器を揃えていた。

 投石車二十台。

 衝車十台。

 梯子車五十台。

「攻城は守備兵の十倍もの兵力が必要とも言われています。我が軍はそれほどの大軍ではありません。攻城兵器を使い、科学的に城を攻めます」

「科学的とは聞き慣れない言葉ですね」

「行動が論理的であるということです。合理的と言ってもよいですね」

 私は魏延の話に感心した。

 諸葛亮に勝るとも劣らない軍師だ、と思った。


 葭萌城に到着した。

 投石車、衝車、梯子車を駆使し、攻撃した。

 城兵は巨石の飛来に怯えているようだった。

 梯子車を城壁に寄せ、衝車を城門にぶつけた。

 味方の士気は高く、敵は逃げ腰だった。

 わずか一日で葭萌城陥落。犠牲者はほとんど出なかった。


「魏延の攻城はつまらんのお。わしは汗ひとつかいておらん」と黄忠が言った。

「戦いはこれからですよ。成都に近づくにつれて、抵抗は大きくなるでしょう」と魏延は答えた。

「私にはまったく出番がありませんでした。戦士として働きたいです」と孟達は言った。

「降兵は千人です。これを我が軍に組み込まなくてはなりません。人事と兵站は大忙しですよ」法正はため息をついた。

「魏延殿の攻城は無理がなく、目を見張るものがありました。さすがは劉禅様の軍師です」と王平は感心した。 

 私は彼らの会話を聞きながら、果汁を飲んでいた。

「皆さん、ご苦労さまでした。明日からもよろしくお願いします」


 梓潼城、涪城も、魏延の科学的攻城により、簡単に陥落した。

 劉禅軍は破竹の進撃をしている、と言ってよいであろう。 


 綿竹県に入った。

 斥候が、驚くべき報告をもたらしてきた。

 敵が綿竹城に籠城しておらず、城の前で布陣しているというのである。

 兵力は約五万で、李厳将軍が率いているとのことだった。

 李厳は野戦で雌雄を決しようとしている。


 李厳正方。成都県令をつとめていた有能な行政官で、軍事の才能も豊かであるという評判がある。

 副将は黄権公衡。彼は騎兵を従えている。


「これは驚きました。野戦を挑んでくるとは。益州にも、勇気のある将軍がいるのですね」と魏延が言った。

「李厳殿と黄権殿は、益州を代表する将軍です。劉璋様は勝負に出ました。綿竹で我らを撃破するおつもりなのでしょう」と法正は言った。

「私は李厳や黄権にも劣らぬつもりです」と孟達は力んだ。

「正面から戦っては、我が軍にも大きな犠牲が出そうですね。なにか策を考えねば」と魏延。

「魏延、策を弄するのはやめよう。わしは李厳殿と戦いたい。ここは益州軍と堂々とぶつかり、撃ち破ろうではないか。敵は野戦を挑んでいるのだ。ここで怯んでいるようでは、とうてい曹操とは戦えまい」と黄忠は言った。その姿には威厳があった。

「しかし黄忠殿、自分たちはこの先、雒城と成都城を落とさねばならないのです。ここで多大な犠牲者を出すわけにはいきません」 

「勝てばよいだけのこと」

「黄忠殿、敵は精鋭であると思われます」

 魏延は慎重だった。

 黄忠は戦意を面に表していた。

 私は深く考えてから言った。

「魏延、ここは戦いましょう。堂々と戦うことも、士気を保つために必要です。黄忠、孟達、王平、そして魏延、全力で戦い、勝ってください」

 私は、人前では魏延、ふたりきりのときは文長と呼ぶようにしている。

「おう。それでこそ劉備様の太子です、劉禅様」

 黄忠はうれしそうだった。


 先鋒の黄忠隊は、魚鱗に陣を整えた。

 中軍の魏延隊も、その後方で魚鱗。

 孟達の騎兵隊は、歩兵隊の右翼で縦列になり、突撃の態勢をとっていた。

 王平の親衛隊は後尾にいて、私の周りを守備していた。


 対する李厳軍も、魚鱗の布陣。

 黄権の騎兵隊は、李厳の陣の左翼にいる。孟達隊の正面である。


 夜明けからしばらく、劉禅軍と李厳軍は静かに睨み合っていた。

 中軍から鉦の音が響いてきた。

 魏延が突撃の合図を出したのである。


 黄忠隊が突撃を開始した。

 李厳隊もすばやく対応して、こちらに向かってきた。

 激突。

 魏延の中軍も動いて、歩兵の総力戦が始まった。

 私はじっと戦いを見つめた。

 王平は私の横に立ち、無言で戦場を眺めていた。

 空は快晴だった。

 戦場は荒地で、砂塵が舞っている。

 孟達の騎兵隊が突進し、李厳軍の側面に当たろうとした。

 黄権隊がそれを阻止し、騎兵同士の戦いが勃発した。

 がっぷり四つになり、夕方まで勝負がつかなかった。

 隙なく、李厳軍が引いていった。

 黄忠、魏延、孟達も退いた。


 その夜、魏延が私の天幕へやってきた。

「李厳という将軍、容易ならぬ敵です。我が軍は張飛殿、趙雲殿に鍛えられた精鋭なのに、互角に戦っています。黄忠殿は李厳殿と一騎打ちをしていました。それも互角で、決着がつかなかったのです」

「素晴らしい男ですね、李厳将軍」

「感心している場合ではありません。ここは敵地の真ん中なのです。のんびりと戦っているわけにはいきません」

「どうしましょうか、文長」

「やはり策が必要です」

「どのような策ですか」

 魏延が、私に作戦を説明した。

「わかりました。やってみてください。黄忠ともよく打ち合わせをし、実行してください」


 三日後、早朝から再び戦闘が行われた。

 黄忠と孟達の軍が、李厳と黄権の軍と組み合った。

 やはり互角で、決着がつかない。


 正午頃に異変が起こった。

 戦場の後方、綿竹城に劉禅と魏延の旗が掲げられたのである。

 これこそが魏延の策だった。

 野戦を挑んだ李厳の隙をついて、空同然の城を攻める作戦。

 魏延率いる五千の歩兵が夜間に行軍して、城の西の山中に潜んでいた。

 野戦の最中に衝車を活用して、綿竹城を攻撃。

 魏延は鮮やかに落城させて、旗を掲げた。


 本拠である城を奪われて、李厳軍に動揺が走った。

 黄忠隊と孟達隊がここぞとばかりに攻勢に出て、李厳軍を押しに押した。

 城から魏延隊も出撃した。

 挟撃されて李厳軍は壊乱。

 勝った。


 黄忠が李厳を生け捕りにしていた。

 縄で両手を縛られた李厳が私の前に引き出された。

「李厳殿、見事な戦いぶりでした」と私は言った。

「敗軍の将に言葉はない。早く首を斬ってください」

「あなたを殺したくない」

 李厳は首を振った。さっさと斬首してくれという意思表示のようだ。

 私はさらに言葉を重ねた。


「李厳殿、劉璋様と我が父劉備を比べて、どちらがすぐれていると思いますか」

「言うまでもない。乱世を駆け抜け、生き延びて荊州を得た劉備様の方がすぐれています」

「あなたは、すぐれた将に仕えたいと思わないのですか」

「それは……」

「私たちは、いずれは魏と戦い、天下を平定したいと考えています。そのためには、優秀な人材がたくさん必要です。李厳殿、劉備と私の力になってください」 

 しばらくの間、李厳は呆然と私を見つめていた。

「わかりました。私の命、劉禅様に捧げます」

「では以後、私の将軍となってください。軍師は魏延です。私と魏延の命に従い、成都攻略に協力してください」

「はい」


 私は孟達を見た。

「黄権殿はどうなりましたか」

「殺せず、捕らえることもできませんでした。逃げられました」

 孟達は残念がっていた。

「逃げに徹した騎兵を捕らえることはむずかしい。仕方ありません」

 私は配下の将軍たちを見回した。

「次は雒県です」

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