第10話 太子劉禅、軍師魏延

 劉備が公安城の一室に重臣たちを集めた。

 諸葛亮、関羽、張飛、趙雲、 糜竺、糜芳、孫乾、簡雍、龐統、黄忠、魏延、劉封らが集合。席が用意されていて、皆が座った。

 父は上座にいて、私はその隣にいる。

「皆に知らせておきたいことがある。ここにいる劉禅は幼いが、もう立派に大人の思慮を持っておる。よって、わしは劉禅を太子とすることに決めた。わしの世継ぎである」

 劉備の宣告。

 重臣たちが異論なくうなずき、私を見た。その目は明らかに以前と変わっていた。もう幼子を見守るまなざしではなく、ひとりの男として私を尊重する目になっている。


「劉禅、あいさつせよ」

「はい」

 私は立ちあがった。

「偉大なる父、劉備の後継者となること、責任重大だと思っております。父の太子になるということは、漢の帝室の柱石のひとりになることにほかなりません。天子様を利用している曹操を討つという困難な使命を成し遂げねばならないということでもあります。私はやります。しかし、ひとりでできることではありません。ぜひ、劉備同様、劉禅にも皆様のお力添えをいただきたいと思っております。よろしくお願い申し上げます」

 重臣たちは平伏した。

 私にはなんの実績もない。

 だが、劉備の太子であるという地位を得た。

 私は出発点に立っている。


 会議はつづいた。

「いまわしは、益州刺史の劉璋殿から、漢中郡の張魯を討ってほしいと頼まれておる。法正殿が使者として来ている。わし自身が益州へ赴くつもりじゃったが、劉禅が自分を行かせてくれと志願した。わしは願いを容れることにした。太子劉禅に益州に関する全権を任せる。よほどのことがない限り、わしは口出しするつもりはない」

 そのことはまだ、父と私、諸葛亮、龐統しか知らないことだった。

 重臣たちが、おお、とざわめいた。

「劉禅には張飛、趙雲、龐統、魏延をつけることとする。軍勢は三万じゃ」

「張飛殿、趙雲殿、龐統殿、魏延殿、 よろしくお願いいたします」

 私は四人全員を順番に見て、深々と頭を下げた。

「こいつぁ腕が鳴るぜ」と張飛が叫んだ。

「若君のお力になること、承知しました」と趙雲が言った。

 龐統は黙ってうなずき、魏延は「命がけでお仕えします」と言った。


「では解散じゃ」

「張飛殿、趙雲殿、龐統殿、魏延殿は残ってください。軍議をしたいと思います」

 父と重臣たちは去り、益州の件を任された五人が部屋に残った。

「法正殿、入ってください」と私は声をあげた。

 廊下で待機していた法正が中に入ってきた。


 益州から来た使者、法正孝直は龐統より三つ年上の三十六歳である。柔和な顔付きをしているが、その意志の強さを示しているかのように眉が太い。

「法正殿、私は劉備の太子で、劉禅と言います。父から益州に関する全権を任されました。以後よろしくお願いいたします」

「幼児……?」

 法正は戸惑っていた。


「法正殿、劉禅様は幼いが、ふつうの子どもではないのです。神童です。益州へ行く荊州軍の総帥でもあります。頭を切りかえてください」と龐統が言った。

「私は劉備様が来てくださるとばかり思っていたものですから……。しかしそういうことでしたら、劉禅様と益州に関することを相談させていただきます」

「はい、お願いします。ここにいるのは張飛、趙雲、龐統、魏延。私とともに益州へ行く将軍たちです。信用して、腹蔵なく意見交換をさせてください」

 法正は柔和な顔をきりっとさせて、五人に視線を向けた。

「法正殿、私はあなたが荊州へ来た本当の理由を知っています。父から聞きました。ここにいる人間を信用してください。でなければ、大事を成すことはできません」


「では申し上げます」と法正は言った。

「私は主の劉璋から命じられて、荊州へ来た使者です。用件は、五斗米道の教祖、張魯に支配されている漢中郡を取り返してくださるよう劉備様にお願いすること。しかし、私の本音はそこにはありません」

 法正はごくりとのどを鳴らした。

「劉璋様は乱世で戦い抜くことができる器ではありません。大器は劉備様であると私は思っております。ぜひとも劉備様に益州を獲っていただき、益州と荊州の二州の主となってもらいたい。それが私の真の目的です」

 張飛、趙雲、龐統、魏延は黙って法正を見つめていた。

「皆様、これは秘中の秘です」と私は言った。


「法正殿、私の戦略を申し上げます。まずは、劉璋様に従うふりをし、漢中郡を獲ります。そして、漢中に居座り、そこを劉備のものとします。その後、漢中の兵も含めて、益州の首府成都に向かって進軍し、劉璋様を降伏させるつもりです」

「劉禅様、張魯は手ごわいですぞ。その兵力は約五万。五斗米道の信徒たちが兵卒となっているので、忠誠心は高い。その本拠地南鄭は、もしかしたら成都より落とすのがむずかしいかもしれません」

「張魯はそれほど手ごわいですか」

「はい」

「だが、曹操より強いということはないでしょう。まず漢中を獲り、その民を慰撫し、次に益州全土をいただく。もちろん臨機応変は忘れませんが、基本戦略はそれでいくつもりです」

「承知しました。その戦略に従い、私も劉禅様に協力することにいたします」

「よろしくお願いします。益州内の道案内などしていただくと助かります。そして、益州が劉備のものとなったときには、法正殿には、しかるべき地位に昇っていただきたいと思っております」

 法正はうなずいた。そして彼は部屋から出ていった。


「法正という男、裏切り者なのか」と張飛が言った。

「張飛殿、その言い方はよくありません。法正殿は、天下国家のことを考え、父に従うことにしたのです。心から、あの方を味方だと思ってください。私たちを信用し、心を明かしてくださったのですよ」

「わかりましたよ、若君」

「法正殿という方、かなり肝が据わった男とお見受けしました。頼もしい味方です」と龐統が言った。

「そのとおりです。いずれは、我らの軍の将軍か、郡太守をしていただくような方であると思いました」

 私は将軍たちを見回した。四人とも、法正を認めるような表情になっていた。


「さて、私たちは漢中攻略の準備を始めなければなりません。皆様に役割をお伝えしたいと思います。よろしいですか」

 張飛、趙雲、龐統、魏延が私の目を見つめた。

「張飛殿、騎兵将軍をお願いします」

「おう、任せてくだされ」

「趙雲殿、歩兵将軍をお願いします」

「わかり申した」

「龐統殿、兵站民政将軍をお願いします」

「承知しました」

「魏延殿、親衛隊長および軍師将軍をお願いします」 

 魏延が一瞬沈黙し、「わ、わかりました」と答えた。

 龐統はうなずいたが、張飛と趙雲は驚いた表情になった。


「若君、軍師は龐統殿じゃねえんですか。俺たちは魏延の指揮で動くんですかい?」

「そうです。軍事作戦は魏延殿にお任せします」

「なぜです。俺はこんな若造に従いたくはねえ」

「張飛殿、聞いてください。魏延殿は勇将ですが、その真価は武勇よりも、軍略の才にあるのです。単に漢中攻略作戦をお任せするだけでなく、将来は打倒曹操の作戦も立ててもらうつもりです」

 張飛は納得していないようだった。魏延自身も驚愕していた。

「若君には、なぜ魏延に軍略の才があるとわかるんですか」

「私には人の才を見抜く異能があるのです」と私は言い切った。二度目の人生だからとは言えなかった。

「魏延殿、やってくれますね」

「やります」

 魏延の目は燃えていた。

「独立した宗教国家のような漢中郡をいかにして攻略するのか、これから考え抜きます」 

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