第12話 馬乗り

 「それじゃあ、最初はうつ伏せであの旗を取った方が勝ちね」

 「う、うん」

 「タイマーはセットしてから五秒~十五秒までの間に鳴るからね」

 橘はタイマーをいじりながらそう口にする。

 「どうかした?元気ないけど」

 「いや、ワンピースを着て全力疾走すると思ったら憂鬱になってきただけだよ」

 「いいじゃん、いいじゃん。新しいことに挑戦していこう!」 

 橘はそう言うと旗を背中に向けてうつ伏せになる。

 「負けた方は砂に埋められるということで」

 「分かった」

 僕は返事をしてうつ伏せになる。

 「タイマーセット」

 橘がそう言ってタイマーを置くとピッ!という音が連続して鳴って緊張感が流れる。

 「ピッ、ピッ、ピッ、ピッ、ピッ、ピッー!」

 だいたい七秒ぐらい経ったタイミングで僕達は同時に立ち上がって旗へ向かって駆けていく。

 「あ、速い」

 たった二、三歩進んだだけなのに差が開いて旗にたどり着く頃には背中を追っていた。そして橘が旗に向かって飛びつくと完敗した。

 「イェーイ!私の勝ちー」

 「はぁ、はぁ、速いね」

 「ちゃんと全力疾走だったみたいだね」

 「圧倒的な差があったけどね」

 運動で橘に勝てる気が全く起きない。

 「さすがに神谷には勝たないとね」

 橘はそう言ってスコップを袋から取り出して寝転がるように指示を出す。 

 「前代未聞だなー、ワンピース着たまま埋められらる人」

 「世界初かもね」 

 橘は笑顔でそう言いながら次々と砂を僕にかけていく。

 「感触はどう?」

 「ひんやりしてるのかな?外が寒くて分からないかも」

 「確かにね。今更だけどこの気温で水着って頭がおかしいよね」

 橘はそう言うと厚手の上着に腕を通す。さっきまでの清楚な感じではなくラフな雰囲気になって別の印象に動揺する。

 「足はこれだ」

 橘はそう言って黒の長めの靴下を取り出すと僕の目の前で履いていく。違和感のある格好になったが僕は目を離せない。

 「見すぎだよ」

 「め、目のやり場がなくて……」

 「しょうがないから私のことを見てるんだ。それはそれでショックだなー」

 橘は含みのある顔でそう言うと次々と砂をかけていく。

 「どう?動ける?」

 「いや、全く動けないかも」

 全身がすっぽり砂で覆われたのでジタバタ動いてみるがびくともしない。

 「ということはいたずらし放題ってことね」

 「出来そうなのは顔に落書きするぐらいな気もするけど?」

 僕がそう言うと橘は顔を赤くしてこっちを見る。

 「そ、そんなことを言ってられるのも今のうちだぞ」

 橘はそう言って袋の中を探るがすぐに動きを止める。

 「いたずら考えてなかったの?」

 「……うん」

 売り言葉に買い言葉で言ってしまったようだ。

 「ふん、いいもんね。ペンはあるし」

 橘はペンを手に持ってそう言うと僕の頭の方に来るとおでこにバカと書く。

 「……書きずらいな」

 橘はそう呟くと何かを思いついたのか笑顔を浮かべる。

 「ちゃんと正面から書かないとね」

 「は?へ?」

 橘は馬乗りの形で僕の上に乗る。砂越しで感覚はないが視界に広がる光景がとんでもない。

 「顔を動かしちゃダメだからね」

 僕は顔を背けることを禁止されたので目を閉じる。

 「いいの目を閉じて?落書きだけとは限らないよ?」

 橘はなぜか僕に免罪符を送ってくれる。確かに何をされるか分かったものではない。要するに目を開けるのは警戒するためで橘を見たいわけではない。

 「あ、目開けちゃったか」

 目を開けるとクラッカーを手に持った橘が見えるがそんなことはどうでもいい。この光景を目に焼きつけることが大事だ。

 「今度は悪魔をモチーフに書こうかな」

 橘はそう言って楽しそうに落書きを始めた。

 

 「うん、上出来!」

 しばらく経った後橘はそう言って馬乗りを解除する。そして僕を覆う砂を除去する。

 「んー、なんか久々に動いた気がする」 

 拘束が解除された僕は伸びをしながらそう口にする。

 「自分の顔を見てみなさい」

 僕は差し出された手鏡を受け取って自分の顔を確認すると目元は赤く塗られほっぺは紫でいろいろとカオスになっていた。

 「今朝のより酷いな」

 「自信作ですから」

 橘は誇らしそうに両腕を腰に当てる。

 「次は橘が埋まってみる?」

 「埋まってみたい気持ちはあるけどさすがに寒くてね」

 橘は腕をさすりながらそう言われると急に寒くなってくる。

 「それに行きたい場所があってさ」

 「行きたい場所?」

 「私の家に行きたいと思ってさ」

 「橘の家に?」

 僕は自分の家の光景がどんなものかなんて知りたくはない。

 「そんな心配しなくて大丈夫だよ。別に特別なことがしたいわけじゃないから」

 「橘がそれでいいならいいけど……」

 「大丈夫だよ。お父さんとお母さんの死体を見ても何も感じないから」

 「それが心配なんだけどな……」

 「親が子供の味方だとは限らないからね」

 橘は乾いた目でそう口にする。

 「ごめん、余計な事を聞いた」

 僕と橘の生きてきた世界は大きく違うのだ。不用意に口を出すのはよくない。

 「いや、私が悪いよ。自転車で移動してた時もだけど八つ当たりしちゃって……」

 「気にしないでよ、僕も橘のことを知りたいし」

 「……ありがと」

 橘は小さくそう言うといつも通りの笑顔に戻る。

 「さっそく着替えて出発するよ!」

 僕達は着替えた後橘の家に向かった。


 「……現実にもこんな家があるんだ」

 橘の家は漫画に出てくるような豪邸で敷地内に入ったはいいが家までの距離が絶望的に長い。

 「本当に笑っちゃうよね。ここから家まで車で行く距離なんだもん」

 「どれくらい距離があるの?」

 「二キロぐらいかな」

 「家に帰るのにそんな距離があるのか、凄い世界だな」

 僕の中にどんどんと非日常が蓄積していくのを感じる。

 「神谷はどんな家に住んでたの?」

 「僕は一軒家で地下にシェルター兼僕の部屋があるよ」

 「いつもシェルターの中で絵を描いてたの?」

 「そうだね。地下だから雑音もなくていい空間だったよ」

 いくら叫んでも誰にも聞こえやしないのもいい点だった。

 「いいなー、私の部屋には監視カメラがついてたから落ち着かないし」

 「監視カメラ?」

 「そう、勉強してなかったら怒られるの」

 「…………そうなんだ」

 僕は言葉が出なかった。家の中だろうと本当に自由がない。

 「神谷は親との関係はどうだった?」

 「よかったよ。立派な両親だと思ってる」

 「どんな人だったか聞いてもいい?」

 僕は頷いて思い出しながら話し始める。

 「お母さんがデザイナーの仕事に就いてて僕は絵を描くようになったんだ。お母さんは僕が絵を見せるとよく褒めてくれる人だったんだ」

 今思えばお母さんに褒められたくて絵を描いていた気がする。

 「お父さんは厳しい人だったけど僕がやりたい事は本気で応援してくれた。僕は普通の高校に行くか美術科に行くか迷ってたんだけど、二人共好きにしろって言ってくれて美術科に進学することにしたんだ」

 「質問なんだけど美大に行くなら美術科に行くものじゃないの?」

 「いや、美術科と言ってもそこまで絵を学ぶわけではないんだ。普通の授業にプラスアルファで美術の授業があるだけで」

 「なるほど?」

 「美大も大学受験と同じで対策するもので画塾に行ったりするのが一般的かな」

 「じゃあ、普通の高校に通いながら画塾で勉強して美大に行く人もいるってこと?」

 「なんならそっちの方が多いよ。僕は絵を描く時間を増やしたいから進学したんだ」

 「なるほどね。ちなみに画塾には行ってたの?」

 「中学時代と高一の半年は行ってたよ」

 「辞めちゃったの?」

 「うん。もう十分技術は学べたからね」

 「やりたい事をやれてたんだね」

 「うん。本当にいい親だった」

 僕はそう言うと涙が流れてくる。

 「……神谷」

 「はは、そうだ、そうだよな。もうお母さんもお父さんもいないんだ」

 今まで考えないように努めていたが自覚したことで感情の波が押し寄せてくる。当たり前だった日常はもう二度と帰ってこない。

 「そうだよね、辛いに決まってるよね」

 橘はそう言って僕が泣き止むまで背中をさすってくれる。押し寄せる波は津波のようで心の中のストッパーを次々と飲み込んでいって涙があふれてくる。

 「ふー、もう大丈夫」

 お母さんとお父さんのことをある程度消化できた僕はそう言って再び自転車に乗る。

 「今度は僕の家に行ってもいい?」

 「神谷が行きたいならもちろん」

 「決まりだね」

 僕はそう言って再び自転車に乗ると橘の家に向かった。

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