第4話 アルプシュタット

トラベル小説


 翌日、朝食を終えて、またクルマ旅の始まりだ。天気は良好。5年前のような雪の朝とはならなかった。現地の人の話では数年に一度ぐらいで4月末に雪が降るとのことであった。そんな確率に2度もあいたくない。

 フッセンの町まで来ると、街道沿いに東洋人のヒッチハイカーを見かけた。昨日の青年だ。通りすぎてからクルマを停めた。彼は気づいたらしく、荷物をもって駆け寄ってきた。運転席をのぞきこんで、

「あれ、木村さんじゃないですか。おはようございます」

「あいさつはいいから、乗れよ」

「ありがとうございます。よろしくお願いします」

後ろの座席は彼の荷物でいっぱいになり、助手席に彼が座った。

「ホーエンツォレルン城に行くんだろ」

「はい、そのつもりです」

「私はその近くのホテルに予約をしている。お城のとなりの丘にあり、朝もやがでると天空の城が見えるよ。行くかい?」

「もちろん。行きます。そのホテルはなんというんですか?」

「ホテルというかペンションだね。Zollersteighofというところでシングル1泊1万円程度だよ」

「その程度なら泊まれます」

と言って、ネットで連絡先を調べ、予約をしていた。

「運よく一部屋だけ空いていました。5日間テント泊だったので、しばらくぶりにベッドで寝られます」

「それだけ流ちょうにドイツ語がしゃべれれば、バックパッカーをやっても困らないだろうね。わたしはスマホの通訳ソフトを使うけれど、どうしてもタイムラグがあるからな」

「そんなことはないですよ。トラベル会話は何とかなりますが、それ以外の交渉はやはりスマホ頼みですよ」

「ところで、どうして商社をやめてまでバックパッカーをやろうと思ったの?」

「本当は大学時代にやりたかったんですけど、先立つものがなくて。3年間働いて100万円貯めました。それでやっと来れたんです」

「100万円でバックパックか。飛行機代で30万円かかると残り70万円。それで何日旅行できるの?」

「1日1万円と考えていますので、目標は70日です。7月になるとバカンスが始まって、どこも混むのでその前に日本に帰ろうと思っています」

「4月から6月はヨーロッパは旅行しやすいし、花が咲き始めてきれいな景色が見られるよ。5月にオランダに行くといい。キューケンホフの近くに行くと、見渡す限りのチューリップ畑が見られるよ。地平線まで続くチューリップだよ」

「へぇーそうなんですか? ドイツしか調べてこなかったので、それは知りませんでした。他にもおすすめがありますか?」

「ライン川沿いのお城はチェックしているんだろ」

「もちろん、行くつもりです」

「ベルギーにもミューズ川ぞいにお城がならんでいる。その中でもディナン城とかブイヨン城とか中世の雰囲気を残した城はみどころあるよ。ナミュールにあるシャトーホテルはホテル学校の直営だから安く泊まれるけれど、1万円では無理か」

「木村さんはどうしてそんなに詳しいんですか? ただの旅行好きというわけじゃないですよね」

「若い時に、ベルギーに駐在でいたんだよ。3年間」

「ご家族といっしょですね」

「そう妻と娘といっしょだった」

「それで・・・」

青年はなんか納得したような顔をしていた。しばしの沈黙が流れた。

「家族を失ったんですか・・・」

また沈黙が流れた。

「娘は嫁にいった。妻は亡くなった。63という年齢は早すぎる」

「それで思い出をたどる旅ですか・・傷心旅行ですね」

「そういうことになるわな」

しばらくして、クルマをパーキングに停めた。そして、話を始めた。

「妻の納骨が終わり、これから何をしようか、それをさぐるために来たというか、今までの自分にふんぎりをつけるためにやってきたんだけどね」

「ふんぎりつきましたか?」

「うーん、だめだね。ますます思い出すだけだ」

「だったら、新しいことをやったらどうですか」

「新しいこと?」

「なんだっていいんですよ。例えばクルマで200km出すとか・・」

「アウトバーンは速度無制限だから出せないわけじゃないけど、今までは150kmしか出したことないよ。ましてやレンタカーだし、助手席の君もこわくなるんじゃないの?」

「目をつぶっておきますよ。でも、私も未知の世界です。しっかり見るかもしれません」

「よし、やってみるか」

そこで、クルマをまた走らせた。

100kmで高速道路に合流。右側車線は高齢者がそのスピードで走っている。中央車線に入って150kmまでスピードを上げる。ここまではいつものとおり。左側の追い越し車線をBMWが追い抜いていく。後続車がいないことを確認して左車線に出た。遠い先に先ほどのBMWが見える。そのスピードに合わせるようにアクセルを踏む。だんだん視界が狭まってくる。中央車線から出てくるクルマがいたらぶつかりそうだ。青年が

「170・・180・・190」

とスピードメーターを読み始めた。まるでロケット発射だ。

「200!」

と目標達成。ハンドルのブレはほとんどない。さすがメルセデスベンツ。安定感抜群だ。ただ、視界だけは正面しか見えない。ふだんは180度近い視界が30度に減っている。目標達成をしたので、中央車線にもどって150kmに下げた。

「フー」

とため息をついた。

「すごかったですね」

「視界が狭いね。前しか見えなかったよ」

「木村さん、まばたきしていませんでしたよ」

「やっぱり・・」

「オレも200km初体験でしたけど、今度は自分でしてみたいですね」

「国際免許持ってないの?」

「ヒッチハイクの計画だったので、とらなかったです。運転したくなると別な問題が起きそうなので・・木村さんは駐在員だったから慣れているんですよね」

「まぁね。でもベルギーは130km制限だったからね。ドイツだけ別格だよね」

とか言っているうちに、アウトバーンを降りた。遠くの山の上に茶色のお城が見えてきた。

「ホーエンツォレルン城が見えてきたよ」

「重厚感ありますね」

「中世の城だからね。ノイシュヴァンシュタイン城は近世だからね」

「やはりドイツのお城の中心はここですよね」

「ラインの城じゃないの?」

「大きさでこっちが勝ちですよ」

「そんなもんかな?」

牧草地の快適な道を上っていく。冬場はスキー場になるらしく、道路脇にはリフトの鉄柱が建っている。

ホテルに到着。というか、1階はレストランで2階の屋根裏部屋が宿泊客用なので、ペンションといった方がいいかもしれない。屋根裏部屋なので天井は斜めだが、シングルベッドはきれいで、シャワールームもある。これで1万円なら妥当なところだと思う。ありがたいことにクローゼットにミニ裁縫道具のセットがあった。こういう何気ないサービスにオーナーのあたたかさを感じる。

 青年と待ち合わせをして、ホーエンツォレルン城を見に行くことにした。その前に18時にディナーの予約をした。前回は混んでいて、1時間以上待たされた覚えがあったからだ。

 歩いて20分ほどで、お城が見えるZellerhornに着いた。

「ここですよ。オレが来たかったのは・・・トリップアドバイザーでここから撮った写真に魅せられてドイツにやってきたともいえます。そこで読んだKさんのコメントも秀逸でした。まる1時間、そこの大岩に突っ伏しながら城をながめていたという気持ちがよくわかります」

「それ、私が書いたコメントだね。あのころ、トリップアドバイザーによく書いていたもの。写真は私のじゃないと思うけど」

「えー感激ものだな。あこがれのKさんが木村さんだったとは・・握手してください」

「今さら」

と言いながらも青年は私の手を握りしめてきた。

 しばらく城をながめていたが、くもっていて陽がささず、代り映えのしない景色なので30分ほどでホテルへもどった。明日の朝の景色を楽しみにして。

 夕食は、コース料理だった。メインは煮込み料理だ。ドイツ料理にしては結構いける味と思った。地ビールがフルーティでおいしかった。

「夕食はおごるよ。木村くんはホテル代で今日の分、使ってしまったんだろ」

「ありがとうございます。お言葉に甘えます」

「明日はどうする?」

「天空の城を見られたら、やはり近くに行って見てみたいです」

「だろうね。でも、今のお城は19世紀に立て直したやつだよ。一度廃城になったからな。期待していくとがっかりするかもしれないよ」

「そうなんですか。でも、近くまで来て見ておかないと後悔するかもしれないので、行ってみます」

「そうだね。自分の目で確かめることは大事だね。私もモン・サン・ミシュルに初めて行った時、対岸から見ただけで終わらせたんだよ。そうしたら、後で妻から中に入りたかったと言われて、また行く羽目になった。そうしたら妻が、今度は島に泊まりたいと言い出し、数年後にまた行くことになった。1泊5万円の部屋だよ。対岸ならその半額で泊まれるのに・・・」

「それで島に泊まってどうだったんですか?」

「よかったよ。潮の満ち引きで景色が変わるんだよ。夜景もきれいだったし、観光客がいない朝に散歩したら中世の雰囲気そのままだったよ」

「やはり自分の目で確かめるということですね」

「そう、それを教えてくれたのが妻だった」

「また奥さんの話ですね。よっぽどいい奥さんだったんでしょうね」

「ちょこまか動く人だった。それにドラえもんみたいに、何でも持っている人で、いつもバッグがふくらんでいたよ」

「どうやって知り合ったんですか?」

「お見合いだよ。海外赴任が決まっていたから、それについてきてくれる人をさがしていたら、紹介してくれる人がいて、いっしょになったんだ」

「奥さんは海外指向の強い人だったんですか?」

「そうじゃないんだよ。本人は子どもの時に外国に住むというお告げを聞いたと言っていたよ。海外赴任は決まっていたけど、どこに行くかわからなかったからね。アフリカだったかもしれなかったんだよ」

「変わった奥さんだったんですね」

「たしかに、おもしろかったね」

「オレもそういう人さがそうかな」

「いっしょにいて、ほっとする人が一番だよ。美人は見るのはいいけど、疲れると思うよ」

 旅行の話から女性の話になってきた。男が複数集まれば、そういう話になるのは至極当然のことかもしれない。


 翌朝、窓が白んできたので、カメラをもって外にでた。いい具合にもやがかかっている。運が良ければ天空の城が見られるかもしれない。青年もわくわくしている。

 Zellerhornにつくと、多くの先客がいて、好位置は三脚の乱立だった。

「夜明け前から来ているんですね」

と脇の方に陣取った。城は朝もやの中だ。まるっきり見えない。そのまま見えない日もあるということだ。

 陣取ってから1時間ほどたち、陽があがってくると、もやが動き始めた。時折、城の一部が見えるたびに歓声とシャッター音が鳴り響く。でも、なかなか全ては現さない。観光客の中には、あきらめて帰っていく人も出てきた。

 最初に陣取ったと思われるプロカメラマン風の人はデンと構えている。この人が動かないということは、まだ希望があるということだ。

 それから30分ほどたって、とうとうその時はやってきた。揺れ動くもやが波のようになり、城の上部が浮かんで見えた。バックは青空ではなかったが、城の全貌は見えた。すると青年が一言、

「奥さんに見せたかったと思っていませんか」

たしかに、そのとおりだった。

 絶景を堪能して、ホテルに戻ったら朝食タイムは過ぎていた。前回泊まった時は、ハムがおいしかったので、ちょっと残念だった。

 チェックアウトして、青年を城まで送っていこうとすると、

「木村さん、ありがとうございました。ここから歩いて行きます。ガイドブックを見ると2時間ぐらいでいけるというので、せっかくですからどっぷりひたってみます」

「そうか、それもいいかもな」

「日本に帰ったらメールくれよな」

「はい、メールします。木村さんも新しい世界に入れることを願っています」

その言葉には笑顔で返すしかなかった。




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