偏頭痛少女、すこしふしぎな電車に乗る

もしくろ

第1話

 もしかしたら自分は両親の本当の子供ではないかもしれない、実はお金持ちの子で、事情があって今の家に預けられているけれど、遺産の関係でそろそろ迎えに来てくれるかもしれない、めくるめく優雅な暮らしが待っているかもしれない――


 現状に多少なりとも不満を抱いている子供なら一度は夢見てしまうであろうそんな馬鹿な妄想を、しかしわたしは一度も抱いたことが無い。


 その理由は簡単だ。

 父親譲りの偏頭痛。これに尽きる。


 毎晩天気予報と睨めっこして、翌日の気象マークに雨を示す傘マークがひとかけらでもあると絶望的な顔をして足を引きずって寝室に引っ込んでいく可哀想な頭痛体質のオジサン。

 その隣で同じようにしょぼしょぼと項垂れて部屋に戻る私。


 これが血の繋がりと言わずして何というのだろうか。


 たとえば、市販のあの優しさで有名な頭痛薬の一度の服用量が一回一錠じゃなくて二錠だということを、きっと縁がなくて知らない人も多いだろう。

 わたしはずっと前から知っていたけれど。そしてその二錠を父親と一緒に日常的に服用するものだから、十個一パックの卵と同じくらいのスピードで消費してしまう。

 

 使いすぎは良くない? もちろん知っておりますとも。

 

 どうしてもってときだけ使っていますとも。

 ただし、そのどうしてもの頻度についてはノーコメントとさせていただきたく。


 もちろん処方薬を貰うこともあるけれど、どちらにせよ同じように湯水のごとく無くなってしまう。

 何かの悪い病気の兆しでないことは、脳神経外科の先生のお墨付きだ。CTで輪切りになった頭部の画像を見たけれど、むしろ何も無くてがっかりしたことがある。しかし頭痛の原因となる明確な理由が無いというのは逆に厄介じゃないか。


 診察室で見上げたそれは、本当に何も特別じゃない、普通の脳だった。誰のともほとんど違わないただの身体のパーツの一つだった。

 目や耳も検査した。それでも、どれもただ正常に機能していて、頭痛の起こりうる原因にはならないはずだと告げられてしまった。


 どこにも原因の見つからない頭痛の種。

 それなのに。


 目覚めとともに。

 登校中に。

 授業中に。

 下校中に。

 寝る前に――それどころか、寝てる間にも。

 

 物理的に影も形も無い偏頭痛さんは親以上にいつもわたしのすぐ側に居てくれる。

 ちっともありがたくないけれど。


 ◆◆◆


 そして、今日も偏頭痛さんに付き添ってもらっての下校だった。


 昼下がりの私鉄には、乗客はまばらだった。臙脂色のシートに深く腰掛け、わたしは鞄に突っ伏していた。


 冷房にはまだ早い時期で、首振りの扇風ファンが定期的に真上からわたしに空気を吹き付けてくる。正直、乱暴な風で髪が絡まるし、妙にぬるい空気が降り注ぐだけだしで邪魔だった。


 電車が揺れるたび、心臓が脈打つたび、右目の奥から後頭部にかけて、何かが膨張したような鈍い痛みが走る。

 目をぎゅっと押さえてみたり、首筋を揉んでみたり。いろいろ試すけれど鈍痛は一向に去ってくれる気配が無い。

 血流なのか耳鳴りなのか、頭の中でゴウゴウという音が増していく。全身が妙に冷えて吐き気すら覚え始める。


 後頭部の、少し右側。痛みの中心と思われるそこにぐさりと注射針を刺したら、頭痛の種になっている悪い液体がどろっと出て来て痛みがすっきり無くなるのではないかと思うことが良くある。

 むしろ、頭痛のたびにそう思う。


 何かはっきりした原因があって、それさえ無くなれば万事が解決してほしい。どうしてもそんな詮無いことを考えてしまう。


 鞄の上にフェイスタオルを広げ、額を押し当てながら、わたしは痛みに耐えていた。

 家まではまだ20分ほど電車に揺られなければならない。テスト前の短縮授業のおかげで座ることができたのはいちおうラッキーだった。

 わたしはひたすら、薄暗い視界の中で歯を食いしばっていた。


 早く。早く。


 ただ電車が超スピードでわたしの家の前、さらに言うならベッドの上まで連れて行ってくれることを願いながら、わたしは身を縮めて石のようになっていた。



 以前、この体質について父親に謝られてしまったことがある。


 ――お父さんは若い頃は頭痛なんて何も無くて平気だった。

 偏頭痛が出始めたのは大人になってからで、おまえみたいに学校に行ってるときに痛むなんてことはなかった。お父さんのせいで苦労をかけてしまって本当にすまない。

 きっとこれから不便も多いだろうから、お父さんが今のうちにできるだけのことはするから。


 いつかもっと楽になる薬が開発されるかもしれない。それまで頑張ろう。


 ――そんなことを告げられた。


なんだか不幸というレッテルをべっとりと貼り付けられてしまった気分だったけれど、不思議と親を憎むという気持ちは無かった。


 どちらかというと、同じくらい痛いのに子供のために頑張ろうとしているのが不憫に思えてしまった。

 たとえばわたしが頭痛の無い子だったら、父親は自分の治療に専念できただろうし、仕事をセーブすることだってできた。

 そう考えると申し訳ない気持ちすらわいてしまうのだった。


 わたしにも父親にも、偏頭痛が無ければ――きっとそれはそれでいろんな苦労があって純度の高い幸せだけを味わえるわけではないことくらい、分かっている。

 それでも。願わずにはいられなかった。

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