1-04.「ご、ご……極楽じゃあ~………」

 

 数日の間、俺はこのダークエルフ郷をぶらぶらとしつつ、身体を休め、記憶を整理していた。

 レイフの言うとおり、寝て目が覚めたり、或いは何等かの刺激を受ける度に、欠けていた記憶の一部が蘇り、また整理されていく。

 観るもの、聞くこと、食べるもの。日常の些細な仕草や行動。それらにより受ける刺激が、自分の中で体験的記憶として思い出される。

 より鮮明に蘇るのは、俺個人に関する記憶より、それぞれの世界に関する記憶の方だ。

 特に固有名詞、個人名や情緒的な体験などは、偏った思い出し方になる。

 例えば、「そういえば前にも、こんなことを家族と経験した気がする」ということ、「そのときは、父と母と祖父母が居た」ということまでは思い出せた。

 けれどもそのときの感情も相手への気持ちも浮かんできても、その両親祖父母の顔や名前などは、雲がかかったように不鮮明だったりする。

 これはレイフもそうだったらしく、また今でも「向こうの世界での私的な交流相手」の記憶は部分的で、そして日に日に気にならなくなっているという。

 レイフの“解釈”では、曰わく“この世界に生きて行く存在として”やっていく上で、“別の世界での私的な交流、人間関係”を引きずらないようにするために、脳が調整しているのではないか、とのことだ。

 うーむ。それなりに説得力はある……気はする。


 確かに、レイフの例で考えるなら、この世界における母ナナイやその他の家族、一族と巧くやっていくためには、“別の世界での家族、人間関係”の記憶が強すぎない方が良いだろう。

 この世界で彼らと生きていくことを思えば、別の世界での人生にアイデンティティを置きすぎるのは良くない。

 

 しかし俺はどうか? 

 こちらの世界での人生(オーク生?)の記憶も未だ曖昧なままで、なんとはなく宙ぶらりんな感覚だ。

 

 ◆ ◆ ◆


「それは、言葉の“解釈”、受け取り方の問題だね」

 で、こちらは全く別の話題。

 レイフはそう切り出してくる。

「まあ、つまりさ。

 君は今の自分の顔を、手鏡で確認したワケだろ?」

「うん、まあ」

「で、それで実際に、『ブタみてぇな面してんな!』とは、思ったワケでしょ?」

「いや、まあ、そうだけどさぁ~……」


 周りのダークエルフ達は、やや怪訝な……というか、あからさまに訝しげな視線を向けてきているのだが、この会話の最中には気が付いても居ない俺。


「何々“みたいな”とか、何々“のような”と形容するときは、まず間違い無くその何々とは違っているんだよ。普通は」

「ん? んん? んーー?」

「だってさ。もし君が手鏡で自分の顔を見て、まさにそこに豚そのものの顔がついていたら、君はそれをどう表現する?」

「えーー? んーー? 豚面トラック………?

 ……あ、そうか」

「豚そのものの顔だったら、それは“豚みたい”でも、“豚のような”でも無く、“豚の顔”と表現するんだよ、普通は」

「何々みたい、の時点で、何々そのものでは有り得ない、と」

「そう。だからもしルールブックに『豚のような顔をした亜人』と書いてあったなら、それは絶対に『豚そのものの顔をした亜人』では有り得ない。なのでそれを『豚そのものの顔をした亜人』と解釈してしまうのは、国語力の問題」

「ぐむむっ!」


 数日過ぎたあたりには、俺とレイフはこんな風な会話を無闇に垂れ流すくらいの関係になっていた。

 いや、まあ、そりゃー周りの皆さん、怪訝な顔の一つや二つ、いやもう百や二百は当たり前に向けてこようってなもんですよ。

 何せ「族長の子」たるレイフが、つい先日拾ってきたばかりの得体の知れない死にかけ豚野郎と、よく分からない話を親しげにしているワケですから!


 話していてお互い分かったのだが、どうやら俺とレイフの居た「向こうの世界」は、かなり近い文化、文明を持っていた……というか、多分同じ世界なのだ。

 年代はハッキリしないが、同じ世界で死んで、別の同じ世界へと同じように転生している。

 しかもどうやら、地域的な意味だけではなく文化背景的にも近い。

 有り体に言えば、いわゆるオタク力が高かった。


 で、その上でこのレイフ。かなりの、“理屈屋”タイプのオタクだったようだ。 

 まあ、だったというか、現在進行形でバリバリの理屈屋なのは間違い無い。

 比べると、俺はどうにも“そっち”ではなく、どちらかというと“感覚派”のようで、あんな風に立て板に水で理屈を並べられる方では無い。

 なので、レイフの話にへーへーほーほーと返すのがもっぱらだ。


 それらの、言ってしまえば駄話。

 レイフには純粋に「久しぶりにこういう話が出来る」という楽しみもあるようだったし、その事で未だ自分自身が何者かすらきちんと分かって居ない俺との心理的な距離もかなり縮まったところもあるが、何よりもそれらを通じて「この世界のこと」について教え、また「向こうの世界」でのことを含めた俺の記憶の整理をさせようと言う意図もあるようだった。

 これは、俺にとってもかなり助かった。

 少なくとも、未整理で曖昧な「二つの過去」に混乱し、無闇に不安になるようなことは無かったのだから。


 ただ……。


 ここでの俺は、立場としては「氏族長の客人」というものだった。

 厳密には氏族長の子、レイフの客人、となるのだろうけども、レイフはダークエルフ社会ではまだ未成年な為、俺の客人としての立場を保証するのはその親である氏族長ナナイということになるのだそうな。


 そのナナイだが、この人……というかダークエルフは、かなりの“変わり者”のようだった。

 まず最初に会ったとき同様に、かなり陽気な気質だ。

 曰く、これはダークエルフとしては希、なのだと言う。


「向こうの世界」でのエルフのイメージと言えば、どちらかというと“神秘的”とか、“高貴な”、といったところだ。

 この世界でそのイメージに合うのは、エルフの中でもハイエルフと言われる種族らしい。

 彼らは光の魔法を得意とし、他種族の社会とは殆ど接せずに、遠く離れた島に王国を造り暮らしているのだという。

 陽気で木訥、なのがウッドエルフと言う種族で、彼等は森に樹上都市を造り生活し、風と土の魔法に弓を得意とする。

 これもこれで、「向こうの世界」で語られていたエルフのイメージに近い。伝承とか昔話に出てきそうなエルフイメージだ。

 

 ダークエルフは、まあ、一言で言うと「陰気」なのだという。

 悲観的。よく言えば慎重、悪く言うとものぐさ。

 いや、怠け者、ということではないが、如何せん物事の悪い面や悪い可能性にばかり神経を使いがち、なので、結果消極的になるのだという。

 そういうダークエルフの種族的気質からすると、氏族長ナナイの積極的行動力や陽気さ、ざっくばらんで開けっぴろげな態度というのはかなり珍しい方なのだという。


 彼女は、若い頃に闇の森を出て各地を旅をしていたと言う。

 森の呪いに守られることだけで良しとして、保守的で変化を嫌うダークエルフ社会に嫌気がして……と言うと「そーれはちょっとばかし……かなり? 大袈裟だな」とのことだが、まあ好奇心が強かったのだろう。

 各地を長年放浪し、様々な経験を積んできた。

 その時の経験は、知識や見識としてのみならず、武者修行とも呼べる戦闘経験もかなり積んでおり、戻ってきて直ぐに、ダークエルフ集落近辺を荒らしていた魔獣を数頭仕留めて、苦しめられていた他の氏族達をも救い賞賛を得た。

 それにより、母であった前氏族長から地位を譲り受け、またダークエルフ氏族長議会での発言力も高くなったのだが……その後も時折、氏族長の任を妹に押しつけては旅に出てしまうなどの奔放ぶり。

 賞賛も支持も高いが、同時にそれらを嫌う、煙たがる者も多い、毀誉褒貶のある人物なのだ。


 ◆ ◆ ◆

  

 一部の建物、場所を除いて、俺は客人としてかなり自由に集落を歩き回れた。

 正直、常に警戒され、監視されているみたいな居心地の悪さはあったし、実際警戒も監視もされては居たのだが、それでも不自由無く過ごしている。

 彼等にとっては「得体の知れない流れ者のオーク」でしかない俺に、衣食住のみならず治療に自由まで保証してくれてるのだから、破格の厚遇と言えるのではなかろーか。

 自由に歩き回れることで、この「向こうの世界の俺」の認識からするとかなり「風変わり」な郷、居住地の様子が色々と分かってくる。

 

 ダークエルフはウッドエルフと違い、基本的には地下を生活拠点とする。

 だから、多くのダークエルフ氏族の集落は、自然の洞窟などを利用し、拡張、改築したものだ。

 また、ウッドエルフより火を使うことをさほど忌避しないため、森の一部を火を使い焼いて切り開いたり、レンガや炭を焼くこともする。


 このケルアディード郷氏族の集落はそれら一般的なダークエルフ集落とはやや趣を異にしていた。

 構造だけを言うなら、樹木を利用し、自然物と人工物の渾然一体とした立体的な地下街付きの低層ビルディング群、といった感じだろうか。

 まず、ウッドエルフの樹上都市の要素を取り入れていた。

 ウッドエルフは土の魔法を利用して樹を操り建物へと変化させる。

 複数の木々や樹齢千年を越えるかという様な巨木の内側に空間を造り、枝を階段や木々の間を繋ぐ陸橋にもする。

 それと似た魔術を使い、ベースとなる居住区を大木の根本に作っていた。

 その上でウッドエルフ式の樹上家屋や、レンガや土壁などで補強した小屋や洞窟もそれぞれの特性に合わせて利用する。

 例えば、保存するのに通気性の必要なものとそうでないものとで、利用する倉庫を分けたりする。


 こういった工夫は、各地を旅して得てきた氏族長ナナイの知識と、レイフの使う特殊な術式の魔法に依るものが大きいのだそうだ。

 

 で、その一つに今、ご厄介になっている。


 ◆ ◆ ◆


「ご、ご……極楽じゃあ~………」

 と、思わず口をついて出る。

 何故かと言えば、これ。今、俺が浸かっている暖かい湯の力。

 お湯パワー。即ち、露天温泉、故で~~~~……あります。

 

 温泉、と言うか、厳密には「湧き水を利用した浴場施設」なのだが、これがまあ、俺の「向こうの世界」での記憶にある「温泉露天風呂」に近い印象のものなのだ。

 こちらの世界では、風呂、浴場というのは主に人間社会……彼ら曰く「帝国人」の文化で、それ以外の種族ではさほど一般的でも無いらしい。

「帝国風の公衆浴場」を参考にして作られたそれは、このダークエルフ社会にちょっとした変革を齎した。

 入浴という習慣、を。


 ウッドエルフもダークエルフも、基本的には「水浴びして汚れを落とせば良い」という文化、風習だった。

 人間社会では、入浴によるリラクゼーション効果や健康増進効果などで習慣化していたが、人間よりも日常的に魔法に親しんで居るエルフ達は、ちょっとした疲れや身体の強張りですら、簡単な治癒魔法の応用で回復させてしまえる。と言うか清潔さだって魔法でなんとかしたりもする。

 つまり、エルフ達には清潔さや疲労回復効果を求めてお湯に浸かる、という意味での入浴習慣はあまり必要無かった。

 あるとしたら、「お湯に浸かることが気持ち良い」という感覚のみ。

 で、ナナイはかつての旅でそれを覚えてきて、こちらに戻った後にそれを再現しようとしたのだそうな。


 これはどういうことかというと、「娯楽としての入浴習慣、文化」を、ナナイがダークエルフ社会に持ち込んだ、ということだ。

 そもそもが長命であるが故に変化を嫌うエルフ社会に、変革を齎したワケだ。

 イノベーション! ……というやつ?

 ありがとう、ナナイパイセン!

 

 とは言え、記憶をたぐってみても、自分が特別に風呂好きであったとは思えない。思えないがそれでも、やはりその、「リラクゼーションとしての入浴習慣」は持っていた様で、風呂に入れるということが俺には嬉しいし心地良い。

 まあ勿論、客人扱いとはいえ遠慮がち。

 日が落ちれば基本的に眠るというここの生活サイクルからはかなり遅い時間に入ることにしていた。


 実のところ、本当はもっと早くに入りたい。

 重ねて言うが、別に俺は特別に風呂好きなわけではない。多分。

 それでもこんなに風呂に入りたくなりのは、日中そこそこハードな運動をしているから、だ。


「リハビリみたいなもんだよ」

 とはレイフの弁で、まあ確かにそれはそれで必要なものだったが、しかしまあけっこう、いや、かなりハード。

 それが要は、ダークエルフ流の戦闘訓練、なのだ。

 

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