墓と花火

@kodohura

墓と花火


 墓参りと花火は、米と味噌汁ぐらいに一緒でなければ僕は駄目だった。幼い頃の、父の買った黄色いパッケージの花火が、あまりにも滑稽だったからかもしれない。薄くスライスされたような閃光が、まだ瞼から離れないでいたからかも分からない。ただ単に故郷の風習という枠組みに収まりきらないほどに、花火は墓の前でしか見たくなかった。僕が十歳の頃の、七月二十四日のことである。


 山というには程遠いなだらかな傾斜、新緑の代わりに浅い色合いのススキがうねり、道の奥は暗闇で満ち溢れていた。片手には丸い水色のバケツ、その中に血管みたいな爆竹と細い線香花火に、適当な花火が少し。ろうそくとマッチはポケットの中でからりと揺れて、後は小さい打ち上げ花火が、バケツの底に倒れていた。電灯はないというのに、僕の視界は輝いていた。墓までの道のりも、脳で煌めいていた。


 数多の墓が並んでいる。知らない墓も大量にあって、死人の数は非情にも多くなっているように感じた。家族との思い出も、それに埋もれるように乾いて、新鮮な何かが頭に固まっていくのを未だに受け入れられなかった。立派に磨かれた石の配列の中から、僕が求めていた場所は、それほど時間を必要としなかった。


 墓の様子は殺風景というべきものであった。隔離されたように石の囲いが高く積み上がり、石碑に書かれた大きい文字が読みにくいほど黄金に照り輝いていた。月光はなく、雲が空を覆っているというのに、地面に敷かれた砂利の音が、僕の足に触れる度に耳の中を響かせて仕方がなかった。


 僕は丸いバケツを地面に置いて、石碑の前に立つと、大きく手を二回叩いて、お辞儀をした。きっと礼儀作法は違うのだろうけれど、気持ちの方が大事だという先生の言葉が駆けるから、僕は誰にも正しい方法は聞いたことがなかった。


 父と母も妹も、多分ここで眠っている。今日は夜が深くなりそうだった。丸バケツから花火とかを取り除いて、それらを地面に置くのは失礼だと感じて、花立てから元気の薄い薔薇を抜いて代わりに花火を差し込み、爆竹をその横に置いて、興奮に任せて走った。


 水がタプンと揺れる。腹八分目ぐらいまで入ったバケツを両手で運んでいると、墓の前に一人の女の子が、漠然と立っているのが目に入った。確実に僕の家族の墓前だった。


「何かあったの?」

 少女は振り返った。懐かしい匂いが僕の鼻をかすめた。

「別に」

 僕より小さい唇がそっと震えた。まだ、暑さはそこに残っていた。

「それなら、誰ですか?」

「私にも分かんないよ」

「……とりあえず、一緒に花火でもする?」

「うん」

 少女は寂しげに頷いた。

「打ち上げ花火もあるよ。後、線香花火も」

「うん」

 少女は元気よく頷いた。


 僕よりも小さい子供であった。きっと、僕の妹であった。妹は、単なる花火では釣られなかった。必ず線香花火と言われなければ、何も思わず楽しむこともしない。僕の中の妹はそういう人であった。


 少女の背丈は僕が百と二十三ぐらいであったから、それよりも三十センチぐらい低くかった。可愛らしい白いワンピースだけの格好で、長髪さえも生えきらないほどの幼さが、体の全てを覆っている。そう思うのは、遥か昔に、父が買ってきた未来への願望が籠った服装と、欲していた背丈であったからである。そんなふうに理想的に育つはずが無いだろうと、内心は少しも信じていなかったのを、僕は覚えていた。交通事故で死んだのは、もう二年も前のことになる。


「花火。花火。やったね、花火。私、見たことしかないんだ」

「そっか。うん。そっか」

 妹は先に走って、墓の中を飛びながら、自らの黒髪を揺らしていた。僕が乗った時のずっしりとした重みのあった石の弾く音は、少女にとって無音と等しかった。


 墓の中央までやって来て、重かったバケツを床に置くと、水がパチンと飛んで、床にボタリと倒れ込んだ。頬をかきながら、僕はその場に膝を付けて座り込み、ポケットからマッチとろうそくを取り出す。妹は花差しに無惨に刺された線香花火を片手に取って、マッチとろうそくで準備を始める僕の前に座り込んだ。不思議そうに、僕を見つめた少女。火をつけて、白い白濁液が垂れるのを待つ僕。黒く透き通った瞳が、どうしても記憶を震わせた。

「ねぇ、ねぇ。これやる?」

「いや、先に小さいやつが良いかな」

「分かった」

 液が一滴、ゆっくりと落ちた。少女の膝が、視界から消え去って、僕は蝋燭の先を蝋へと飛び込ませ、床に固定する。無風の瞬間が連続した。


「持ってきた。やろう。やろう」

「あぁ、すぐにしよう」

 少女から一つ、先端が緑色のした手持ち花火を受け取って、すぐに火をつけた。炭酸飲料が入ったペットボトルを、力強く開けたときに鳴るような、少し面白い音が鳴った。その瞬間、吹き出すように緑色の閃光が弾け飛んだ。墓石の反対側の通路へ向けて、その光を飛ばした。


「すごいね。なんか、笑ってるみたい」

「そうだね。僕の火に近づけて、君のも火をつけなよ」

 僕はそう言いながら、妹の背丈まで しゃがんであげると、そのまま彼女の持つ花火の先端へ口づけするようにそっと近づけた。黄色い花火が、緑色の光と混じり合うように出てきた。

「やっぱり、綺麗だね」

 空中に大きな丸を描くように、腕を大きく振っていた。僕のモノは、妹のをつけ終わると蝉のようにパッと生涯を終えてしまった。

「うん、うん。爆竹取ってくるよ」

「分かった」

 墓石の前まで歩いて二歩。彼女は幽霊なのだろうか。それとも生きているのだろうか。これは夢なのか、あるいは現なのか。月はまだ寝台に入ったきり、出てこなかった。


 僕が爆竹と打ち上げ花火を両手で持ってくると、少女はつまらなさそうに頬を膨らませて、こちらをじっと見ていた。鋭い眼差しであった。

「どっちから?」

「爆竹からにしよう」

 二人で一つずつ持った。火元へ近づき、チリチリと導火線に火を放つ。じりじりと、ヒモが燃えていく。

「どっちが長く持つか競争ね」

「チキンレースってやつか」

「そうだよ。いっぱい持ってた方が優勝で、景品は線香花火。決まりね」

「うん。うん。構わな、熱い!」

 手の中で、破裂した。耳を劈くような音が、床に寝そべりながら、バチンバチンと跳ねている。黒い煤が、僕の人差し指と親指に重く描かれて、少しばかりか二人で顔を見合った。彼女も、黙ったままだったけれど、同じようなことらしかった。

「どっちも負けか。じゃあ、線香花火は明日ね。明日」

「分かった」


 僕は非常にがっかりしていた。肩を落としているのだと思う。邪魔になるからと置いていた打ち上げ花火を手に取ると、すぐに導火線にろうそくの先を触れ合わせた。すぐに始まるわけではなかった。通路の方まで急いで持っていき、地面にセットすると、囲いの中まで避難するように走った。

 そうして、打ち上げ花火は始まった。大玉のようではない。ただ、手持ち花火よりかは幾らか野太い光の塊が、袋の中から飛び出すように、ポップコーンみたいに弾けるのだ。色合いもバラバラだった。真紅、オレンジ、深緑、ライトブルー。本来は放つことのない色合いも、脳が錯覚してまいそうになるくらいには、特別に僕たちを魅了していた。


「綺麗だよ。本当に、綺麗だね。こんなにきれいなもの、私これまで見たことないよ。あぁ、あぁ。綺麗だなぁ。綺麗。綺麗だね。あぁ、あぁ。もう終わっちゃたのかな」

「うん。そうみたい」

 一瞬よりも早かった。瞬きよりもすぐだった。所詮は、コンビニ産の普通のものだった。少女は、つまらなさそうに頬を膨らませていた。

「線香花火でも、しようか」

「……うん!」

 少女は駆けた。二人で向き合いながら、ろうそくを囲うように座って、慎重に蝋燭へ近づける。ろうそくも、残りは半分ほどにまで減少していた。

「どっちが膨らむか勝負ね」

「もういいよ、勝負なんかどうでもいいぐらい花火が綺麗だから」

 どういう仕組みかは知らなかったけれど、線香花火は水みたいに先端がブクブクと太って、それを守るように線が中を舞うのが、なんとなく好きだった。


「みんなは、私の目の前からいなくなれば、私がいなかったことになると思っているんだよ。でも、そんなことないのにね」

「そっか。まだ遊びたかったな。二人の思い出は何もないから」

「大丈夫だよ。花火は、絶対に忘れないからね。だって、光ってすごいもん。絶対に離さないから」

「そうかもね。あっ」

 ぽたり。灯はろうそくだけになった。空虚にも、僕の視界は墓石で埋まっていた。丸バケツの中には、三本の使い終わった花火と、打ち上げ花火の箱が沈んでいた。僕の持っていた花火も、バケツへ投げた。チュンと小鳥のように鳴いた。灰は優雅に水の上を浮いていた。眠気が勝る頃になり、僕はあくびを数回した。


 帰ろうとバケツを持って通路へ出た。重くなったのは、ただ花火の残りが浮いていたからではなかった。足取りは、とても重かった。隣の墓までやって来て、僕はバケツを下ろした。そうして、墓石の方を見やると、墓の前に一つの写真があった。きっと、遺影というやつだろう。ひび割れたガラスの裏には、微笑んだ少女が一人。僕の遊び相手として、つい先程まで見つめ合っていた少女であった。


「妹じゃなかったんだ……」


 僕はぼんやりと呟いていた。そこで立ち尽くしていると、少しずつ僕の頬が淡い桃色に染まっていくのを感じていた。墓石には、一滴の水滴が垂れていた。いつの間にか、僕は駆け出していた。決して、怖かったからではなかった。けれど、バケツの中身はそのままにして、墓の間を僕は疾走したのだった。

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