8、 あの日の出来事<前編>


 小6の林間学校ときのことだ。


 登山の時に、俺とホシコは班が同じだった。

 ホシコは半年前に都会からきた転校生で、さらさらの長い髪に、目が大きな美少女だった。

 幼馴染の女子たちとは少し違い、男子とケンカをするようなお転婆なところはもなくて、ちょっとふざけてもすぐに怒りもしない。

 少し大人びた雰囲気がある女の子だった。

 勉強ができて可愛くて、がみがみ怒らないホシコを意識してしまうのは当然だろう。


 俺は少しぎこちなくなりながらも、ホシコをよく遊びに誘った。

 仲良くなりたい一心だった。


 俺がホシコ相手に顔を真っ赤にしながら話す姿は、クラスメイトには滑稽に映っていたのかもしれない。

 当時の俺は、その気持ちが『初恋』と呼ばれるものだとは思いもしなかったのに……。



 林間学校は自然の家に宿泊しての校外学習だ。

 その山登りの途中、細い参道で同じ班のヤツが二人ふざけて押し合っていた。


「押すなよ~。危ないだろう」

「スリルがあっていいじゃん」


 ドーンとぶつかり合いをしている。

 急な斜面で落ちたら危ないことが、ゲームのように感じて面白かったのかもしれない。

 俺はというと、その隣を少し息を切らしてついて歩くホシコの様子が気になっていた。

 運動音痴というわけではないが、ホシコは長時間走ったり歩いたりは苦手だということを知っていたからだ。

 一緒にバドミントンをしたときも、サイクリングに行ったときも決まって『タイム! 大地くん休憩して~』とへとへとだった。

 

「ホシコ、大丈夫か? 水飲んで少し休めよ」

「だ、大丈夫。足手まといになりたくないし……」

「俺はこういう山道慣れてるからさ。後れてもちゃんと一緒にいてやるから心配するな」

「大地くん、ありがとう」


 俺がニカッと笑うと、ホシコはホッとしたように立ち止まって、水筒の水を飲み始めた。

 俺は親父と一緒によく山登りをしたり、近所の低山を探検している甲斐があったとちょっと誇らしく思った。

 俺もちょっとカッコいいところが見せられるかな? うんうんと悦に入っていると、先でじゃれ合っていた奴らがホシコの座っている場所に吹っ飛んできた。


 ホシコは、男子二人にドドッと勢いよくぶつかられアッと声を上げる間もなく、バランスを崩し崖の方に押しやられた。


「ホシコッ!」 


 ホシコが驚いた顔をしたまま崖に吸い込まれる様子は、俺にはスローモーションのように見えた。

 ホシコが無意識に右手を俺の方に伸ばした。

 俺は自分がどうなるかなんて考えもせず、ただ夢中でその手をつかんだ。

 

 そこで踏ん張れたらヒーローだっただろう。

 俺は、ホシコに引きずられそのまま一緒に崖を転がり落ちて行った。


   *


 気が付けば人気のない沢の底に二人で転がっていた。

 近くで川の流れる静かな水音が聞こえる。

 日が傾いて、だいぶあたりが暗くなってきていた。


「ねえ、大地くん! 起きて。死なないで!!」


 ホシコの悲痛な声に起こされ、目を開けるとホシコがぽろぽろと涙を流して泣いていた。

 俺は気を失ってたのか?

 体を起こすと少し頭がくらくらしたが、頭を打ったわけではなさそうだ。


「痛ってぇ……」


 とりわけ肩と足首が痛かったが、それ以外は小さな擦り傷だけで大きなけがはない。

 リュックで背中が守られたようだ。


「俺は大丈夫だ。ホシコはケガしてないか?」

 見ればホシコも擦り傷が少しあるものの、大きな傷はなかった。

「うん。少し擦りむいたけど大丈夫。大地くんがかばってくれたから……」


 そうなのか?

 俺はちゃんとホシコを守れていたことにホッとする。


「元の場所までは登れそうもないね」

「……そうだな」


 そういうとホシコは今にも泣きそうだった。

 俺はとりあえず痛い足を隠した。

 折れてはいなそうだが、動かすとズキズキとした痛みが走った。

 どちらにせよ、腫れあがっているこの足では登れそうもない。

 それを伝える必要もないだろう。


「こういう時は、下手に移動すると迷うからじっとしていた方がいいんだぞ」

「そうなの? こっちからも向かった方が早く助けてもらえるんじゃないの?」

「それが違うんだなぁ。ホシコはまだまだ山は素人しろうとだな」

「何よそれ!」


 俺が、チッチとわざとらしく舌打ちをしながら分かってないなぁと言うと、ホシコは頬を膨らました。

 怒る元気があるなら大丈夫だな。


「ホシコは、水筒とおやつはあるか?」

「私、何にもない……」


 落ちるときにリュックも水筒も散り散りになってしまったようで、近くには落ちていなかった。

 そうすると、食料は俺の分だけか……。


「フッ、ズルして少し多めにおやつを持ってきてよかったな」

「えーっ、食べきれる分までって約束だよ!」

「何を言ってんだ? 山では何が起こるか分からないから、極甘なのをいっぱい持つんだよ」


 ウソではないウソでは、遠足の約束やぶりをしていいかどうかは、別の問題だけど。

 そうして、俺はリュックの内ポケットや底の方から予備のお菓子をたっぷり差し出した。


「キャラメルとはちみつ飴と……。あと、もさもさのクッキー!」

「もさもさのクッキー?」

「これは腹にたまるやつだから食っとけ」

 俺は、チーズ味のエナジーバーの半分をホシコに分けた。

 

「……いいの? 大地くんのだいじな食料だよ?」

「え、じゃあホシコは俺が何も持ってなかったらくれないの?」

「それは、分けるだろうけど……。でも、それとこれとは話が違うっていうか。ホントに遭難してるみたいだし……」


 俺は、さっそくもさもさのクッキーをモグモグしながら、ホシコも食べるように促した。


「いいから食えよ。元気でないぞ」

「うん……。ありがとう」


 ホシコは、ハムスターのように両手で大事そうにクッキーを食べ始めた。


 それを見ながら俺は思う。

 もうすぐ日が暮れそうだ。


 助けはいつ来るんだろう……。


 暗くなれば、すぐにはここを見つけることはできないかも知れない。

 そう考えると、俺の心臓はぎゅっとなったがホシコに気付かれてはいけない。

 女の子なんだし、きっと俺よりも不安に思っているはずだ。

 ああ、こんな時もっと火起こしやキャンプの仕方を知っていたらよかったのに、俺は何も知らない。

 自分の無力さに打ちひしがれると、足が痛んだ。

 足だけでなく、少し体も熱っぽいかも知れない。


「暗くなって、少し寒くなって来たね」


 ホシコがフルと震えたが、ホシコはリュックを紛失していて上着も何も持っていない。

 俺は、自分のリュックにあったオレンジ色のヤッケ《防風上着》を差し出す。


「俺は寒くないから使えよ」

「大地くん、なんでもかんでもくれるのは人が良すぎだよ。ちゃんと大地くんが着て」

「やせ我慢じゃなくて、俺は寒くないんだよ。ほら!」


 俺がホシコの手を掴むと、一瞬ビックリしたようだがすぐに意味が分かったようだ。


「ホントだ。大地くんぬくいね」

「だろ? お前こそヘンに気を使うな」

「だって、私のせいで……」

「違うだろ。ふざけてたあいつらが悪い。ホシコは悪くない」

「大地くん……」

 


 そういうと、ホシコは堪え切れずに、ポロポロと泣き出した。

 心細く、不安な気持ちがあふれたんだろう。


 俺は、妹の美空をなだめるようによしよしとなだめる。

 


 ホシコの肩越しに天を仰ぐと、星が見えた。


 満天の星だ。

 星の名前なんてわからない。

 怖いくらいキレイだった。

 星の音が聞こえそうだ。


 近くの沢からは水音がし。

 山からは色々な生き物の気配を感じる。

 怖くないと言えばウソになる。


 小さな懐中電灯の灯りだけでは、心もとない。

 冒険だなんていって、おどけてはいられない。


 親父と一緒にする安全なキャンプとは違う。

 ケガもしているし、ここがどこだかも分からない。


 俺だって不安で泣きそうだ。

 けれど、泣いているホシコを守れるのは俺だけだ。

 そう思うと、体は熱っぽくても頭は冴えた。


 星が見えるのは救いだと思えた。

 流れる雲すらない。

 天気がいい。

 雨降ったら体力が奪われて大変なことになっただろう。


「俺たちは運がいいな。星が見えるぞ」

「そうなの?」

「天気がいい証拠だ。雲もないし、天気は崩れないだろう」


 父さんが良くそう言っていた。

 そういう時は、キャンプ日和だと。


「わあ、ホントだ。プラネタリウムよりもいっぱいだね」


 ホシコが泣き止んで感嘆の声を漏らす。

 俺たちの目の前には、目がチカチカするほど星がきらめいていた。


「あの星はなんだろう? 金色ですごく明るいね。赤い星や青い星もあるんだ。知らなかった」


 ホシコは、都会から来たから星が珍しいのかも知れない。

 ホシコは不安な気持ちを一時忘れたのか、星空に魅入っている。

 そんなホシコの瞳に、星が映るのを俺は見ながらキレイだと思った。



「キラキラしてる……」


 思わず俺がつぶやくと、ホシコは自分のことだとは思わずににっこり笑って返事をする。


「そうだね。自分の名前だけど、今までこんなに見たことがなかったよ。キレイだね」

「あ、ホシコは星子せいこだったな。忘れてた」

「ひどい! ホシコはあだ名だよ」

「あはは。そうだったな。なんだかホシコは、最初からホシコな気がしてた」

「んっもう! セイコ《・・・》だからね。忘れないでよ」

「ああ、覚えておく」

 まあ、でも照れくさくてそう呼ぶことはないだろう。


   *


「あとは、キャンプだと思って気楽に助けを待つだけだな……」


 俺は、持っていたおやつをすべて広げる。


 その中から、キャラメルをホシコへ押し付ける。

 頬袋にキャラメルを詰めたホシコはやっぱりハムスターに似ていた。

 その顔がぼやけて見えた。

 懐中電灯の明かりも段々と小さくなっていく気がして、俺は目を擦った。

 ひどく眠かった。


「おやつパーティーをしていたら、助けが来る。大丈夫だ……」

「大地くん? だいちくんっ!!」

「ホシコ……。リュックの中のもの全部やるから、泣かないでがんばれよ」


 熱が上がって来たのか俺は、朦朧としてきた。

 視界が狭くなり、意識が遠のく。

 情けない、何もできないじゃないか。


 ホシコ、最後まで守ってやれなくてごめん。

 もし、無事に帰れたらその時は、キャンプやサバイバル術を覚えて、ホシコが頼れる男になってやる。


 そう決意したのを最後に、俺の記憶は途切れた。


 

 翌日、目が覚めると病院のベッドの上だった。

 ホシコは、異常がなくすぐに帰宅したが俺は熱があったために一日様子を見ることになったらしい。


(情けない……)


 女子よりひ弱でどうする俺……。

 俺は眠ってしまっているうちに、すべてが終わったけど、ホシコは一晩真っ暗で怖かっただろう。

 もっと励ましたり、なんかこうカッコよく頼れる男になれなかったのか?


(悔しい……)


 ピンチの時は頼れるヒーローになれると思っていた。けど、実際は俺は自分で思ってるよりも何もできなかった。

 俺は両手で顔を覆い病院のベッドで泣いた。

 

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