コンと飼育員とお菓子好きな女の子の話(コンと狐と番外編)
千曲 春生
第1話 コンと飼育員とお菓子好きな女の子の話 その1
「志望動機はなんですか?」
「学生時代に取り組んだことはなんですか?」
「長所はなんですか?」
投げかけられる定型の質問に対して、あらかじめ用意していた回答を述べる。
とても簡単なはずだった。
それだけで、全て上手くいくと思っていた。
人生で一番の失敗はなんですか?
面接で長所を訊かれ『中学校からずっとテニスをやっているので体力には自信があります』と答えてしまったことです。
作業服姿の
トレーの中に入っているのは、ニンジン、サツマイモ、馬肉。
どれも2、3センチ角に切られており、火を通していない生の状態だ。
「コン~、ご飯だよ~」
ヨシミが面倒くさそうに言うと、隣の寝室から一匹のホンドギツネがのそのそと出てきた。
ここは市立動物園。
そしてヨシミはこの動物園で一匹だけのホンドギツネである『コン』担当の飼育員。
「おーい、元気かー」
ヨシミは話しかけますが、コンは餌を食べるのに夢中だ。
「いつも通りっと」
それでもヨシミはクリップボードにはさんだ用紙に、コンの健康状態を『異状なし』と書き込む。
「私、なにやってるんだろ」
ヨシミがつぶやくと、コンはチラリと顔を上げ、またすぐに餌に戻った。
幼い頃から、将来の夢を尋ねられることは幾度もあった。
都度、ヨシミは適当に批判されにくそうな返事をしていたが、本音で言えば夢なんて持ったことがない。
強いて言えば、安定して平穏な毎日を送りたい、だろうか。
中学からはじめたテニスは楽しかったし、高校、大学になっても続けた。
大会でもまあまあの成績を残せた。
だけど、プロ選手になれるほどの実力に達していないことは自覚していたし、その域を目指すほどの情熱もなかった。
なんとなくで選んだ大学。なんとなくで選んだ学部。
その頃から、公務員を目指そうと思うようになった。
ワードやエクセル、パワーポインターの使い方を覚え、市の一般事務職採用試験に挑んだ。
「あなたの長所を教えてください」
面接のとき、そんな質問に対してこう答えた。
「私は中学生のときからずっとテニスをしています。体力には自信があります」
これが、全ての間違いだった。
無事、市の職員には採用された。
配属は市営動物園だった。
しかも、事務ではなく、飼育員。
「いやー、どうしてもヒトが足りないらしくって。体力に自信あるんでしょ? 一年だけだからさ、来年の新人が入ってくるまで頼むよ」
人事配置の担当者から直々に電話がかかってきて、そう言われた。
まあ、新人であるヨシミに断れるはずなんてない。
こうして、ヨシミは春から動物園で働きはじめた。
別に動物が好きなわけではない。
はっきり言ってしまえば、嫌いだ。
臭いし、汚いし、言って聞かせるなんてこともできないし。
しばらく案内係をやりながら、各動物の大まかな特徴を覚え、夏ごろからホンドギツネのコンの担当になり、初秋。現在に至る。
コンの寝室に水を撒いて、デッキブラシで掃除する。
貸与品とはいえ、作業服や長靴が糞尿で汚れるのは不快だし、何より自分自身が獣臭くなっているのでは、と不安になる。
「公務員に世話してほしいなら、住民税払え!」
ヨシミはよくわからないことを言いながら、ブラシを持つ手に力を込める。
余談ではあるが、個人住民税は前年の所得が各地方自治体の定める金額以下だと免除される。
もし仮にコンが法律上この街の市民だとしても、前年の所得は0円なので住民税は免除となる。
閑話休題。
コンは大きなあくびをすると日の当たる場所で丸まって、昼寝をはじめた。
掃除が終わった頃、園長がやってきた。
「どうだい? 市原さん」
「特に異常はないです」
園長はうなずくと、尻尾に顔を埋めて遠目には大きなパンケーキの様に見えるコンに目をむけた。
「コンも随分丸くなったね」
「へ?」
確かにコンは丸まって昼寝をしている。
「いやねぇ。コンは元々、街中で怪我をしているところを保護された野生のキツネだったんだ。それでね、警戒心が強くて誰これ構わず噛みつくものだから、苦労したよ」
それは、ヨシミにとっては意外な話だった。
面倒くさそうにのそのそと歩き、ご飯を食べては昼寝をする。それがヨシミにとってのコンの印象だった。
「コンももうお婆ちゃんだからね。まあ、色々と教えてくれるよ」
園長はそう言って去っていった。
コンは後ろ足で耳をかくと、再びパンケーキになった。
夕方。
ヨシミは休憩室でお菓子を食べてから、案内係として園内を歩く。
コンのいる運動場の前。その金網ギリギリのところに、一人の女の子がいた。
小学校中学年、三年生か四年生くらいだろうか。学校帰りの様で、ランドセルを背負っている。そして、その顔には大きなメガネをかけていた。
ほとんど寝てばかりのコンが、女の子の足元、金網一枚をはさんだすぐ近くまで来ていた。
ヨシミは足を止め、遠目に女の子の様子をうかがった。
もしかしたら、金網の隙間から勝手に餌を与えているのかもしれないと思ったから。それならば、一言注意しなければいけない。
しかし、ヨシミが心配したようなことはなかった。
女の子はコンに餌を与える様なことはなく、ただコンに話しかけている。
学校の廊下で休み時間に友達と雑談するような、そんな雰囲気でコンに話しかけているのだ。
しばらく見ていると、女の子は服が汚れるのもいとわない様子で、地面にペタンとすわる。コンもお腹を地面につけて座る。
それからしばらく、女の子とコンは
ふと、そよ風が吹く。ヨシミの方向から、コンと女の子の方向へと。
女の子はコンに何かを言うと、コンも返事をするように一声鳴いた。
そして、女の子は立ち上がり、ヨシミの方へと小走りでやってくる。
そして、女の子はヨシミの顔を見上げてくる。メガネのレンズの向こうには、美しい金色の瞳があった。
「えっと……」
ヨシミが声をかけようとしたそのとき。
スンスン。
突然、女の子はヨシミに鼻を近づけ、匂いを嗅ぎはじめた。
スンスン。
スンスンスン。
スンスンスンスン。
一通り匂いを嗅ぎ終えると、女の子は笑顔を浮かべた。
「お姉さん、お菓子の匂いがする」
そう言うと、女の子はニコリと笑顔を浮かべて、駆けていった。
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