第6話:半月の夜①

「随分と愉快な格好をしておられるな」


 ナノンさん達と別れて自室へ戻ると、バルドールさんが部屋の中にいた。窓辺の椅子に腰かけ、私の泥だらけのつなぎ姿を見て、少し眉をひそめた。


「あ、すみません。こんな格好で部屋にあがって……」


 バルドールさんの機嫌が悪い理由を私はすぐに察した。これはあれだ。お母さんにもよく怒られてたやつだ。「汚れたつなぎのまま家の中をうろつかない! 早くお風呂入っちゃいなさい!」と叱られたものだ。こんな豪華な部屋に泥だらけの服で戻ってきたことを"愉快"な格好と、皮肉めいて言ったのだろう。


「すぐに着替えて来ますから、ちょっと外で待っていてもらえませんか?」

「いや、要はすぐ済む。あなたに伝えなければならないことがあっただけだ」

「?」


 バルドールさんから座るように手招きされ、窓辺の椅子に向かい合う形で座った。


「私は近いうち戦場へ赴く。しばらく城を留守にするからそのつもりでいてくれ」

「戦場……」


 平和だった光の国が、今1000年ぶりの戦下にあるとは聞いた。そのせいでこの国が衰弱していることも。

 バルドールさんは光の国の王で、光の騎士団の団長だと以前ナノンさんは言っていた。そんな人が戦争へ行くというのは、きっとただならぬ状況なのだということぐらい、私でも理解できた。


「あの……いつ戻ってくるんですか?」

「おや、寂しいと思ってくださるのか?」


 バルドールさんはいたずらっぽい笑みを浮かべた。さっきまでの怖い顔から急に子どものような表情にかわって、少しドキリとした。意外と表情豊かな人なのかもしれない。


「そういうことではなく! その、私が元の世界に戻るために話を聞いて欲しいと以前お伝えしていたかと思います」

「私が突然この世界に現れたということは、きっと帰る手段だって何か手がかりがあるはずなんです。少しでもいいんです。何かご存じなことはありませんか?」

「…………」


 私の質問にバルドールさんは答えない。それまでまっすぐ私を見つめていた目をそらし窓の外を見た。きれいな半月が夜空に浮かんでいた。


 この世界に来てからこの人とこうして二人きりで話をするのは初めてだった。私はバルドールさんの横顔を見る。黄金の髪に青い瞳。目鼻立ちがはっきりとした端麗な風貌はまさに王の気品に溢れ、目が合うだけで萎縮してしまう。どうしよう、何か言って欲しい。沈黙に耐えられず、私は口を開いた。


「あの……あの時、どうして私に謝ったの?」

 

 結婚の儀、誓いの口づけの時のことだ。私の頬に唇を寄せて私にだけ聞こえる小さな声で彼は言った。


 『すまない、鳩子……』


「……」


 バルドールさんはやはり何も答えてはくれなかった。

 

「……覚えていないならそれでもいいです。元に戻る方法も知らないのなら、それも分かりました。自分で何とかします」


 私は立ち上がり、バルドールさんに着替えてきますと断りを入れて奥の浴室へと向かった。やっぱり手掛かりは自分で探すしかなさそうだ。


「お父上との約束を守りたい、そう言っていたな」


 いつの間に背後にいたのか、全く気が付かなかった。問われたことが何か一瞬分からなかったが、結婚の儀の後お城のバルコニーでした会話を思い出す。


「父親を想うその気持ちはわかる。とても」


 バルドールさんは浴室の扉を後ろ手で閉める。ガチャリと鍵のかかる音がやけに大きく聞こえた。


「だからこそ、残念だ」


 ゆっくりと私に近づく。私は無意識に後退りをしたがすぐに壁にぶつかった。逃げ場はない。


「私が戦場へ行く前に、あなたにはやってもらわなければならないことがある」


 そういうと、シャワーの蛇口をひねる。水が降り注ぎ、私とバルドールさんの身体を濡らす。


「あなたには、私の子を身籠もってもらう」

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