日記代わりの拙文
ヒデころ
行き場を失った感情の吐露
ここの所、あるいはずっと昔からだったか、心の内に渦巻いている事をここに置かせていただく。エッセイと呼ぶにも相応しくないだろうが、ひとまずはこのカテゴリーを使おうと思う。
さて、私がこれまでに公開した文章をお読みになった方々なら判ることと思うが、私はいわゆる小説とは全く違う形態を量産してきた。この理由はいくつかあり、一つはお恥ずかしながら一般ウケするような長文、起承転結のはっきりした物語を構築することが出来ずにいた事だ。
もちろん「王道」の焼き増し、どこかで見たようなトリックと裏切りの応酬を描く事は誰にも許されており、題材の不足を嘆くのは自信と知識の不足であると指摘する向きもあろう。
しかしながら私がこの場で敢えて語りたいのは、もう一つの理由の方だ。
詩とは文章でありながら絵にも近い、と私は考えている。作者の意思と意図と目的が受け取られずとも、それ自体は美しくそこに在る。この特徴は読み解かれる事が目標の小説には無いものではなかろうか。
これまでに私が「詩」として送り出したそれぞれが本当に詩として扱うに足る物であるのが前提だが、敢えて隠されるように示され、受け取る準備が出来ている人の下にのみ届けられるメッセージ――それは雄弁に語られた正解よりも純粋であろう、と考えているために、こうした形で各々を構築してきた。
一見して何を言いたいのか、何をモチーフに描いたのか不明瞭であるのも、意図的なものだ。最初から正解を示してしまっては折角の美しさが失われてしまう。輪郭をなぞり、遠く霞む影を写し取り、それでも舞台の中心に据えスポットライトを当てるような行いを避けたのはこうした理由からだ。
そしてここからが本題である。
これも拙作を読まれた方々ならお気付きのことと思うが、私が公開した文章は大別して「綺麗」なものと「薄汚い」ものの二種類がある。最近は「薄汚い」側面が強いはお察しの通り。
当初の私は光り輝くような、そして時には悲しく燃えるような、そういった風景を描こうとしていたのだが、淀みは逃げても向こうからやって来る。あの淀みは黒などという色ではなく、腐敗そのものであって、その色で絵を描くなど不可能だ。溜まり続けるそれを何とか心から追い出そうと、似た色を吐き出したのがあの結果だとも言える。
少し前まではそれで対処はできていたのだが、とうとう限界が訪れた。心の内で結晶化させるようなプロセスが満足に働かない。あまりにも長い事淀みに浸かり過ぎ、眼まで汚染されてしまったかのようにも感じている。もしかすると、持ち合わせていた浄化や蒸留のプロセスそのものが壊れたのかもしれない。
残念ながら、だから何という話ではない。「しばらくお休みをいただきます」などと気取る気も無ければ、元から不定期更新の波に補足する意味も皆無と来れば、さてこの文章は意味があったのか。
本当は私の心の内まで風景画として仕立てたかったが、それさえできずに鬱屈としたまま身動きが取れず、このような訳の分からない塊を作ってしまたのだろう。
実際は、私は私の本音をすら見透かせずにいる。
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